53.女王との取引<3/5>
「はい、古き人の施設跡には、草木が生えないことは、あなた方もご存じでございましょう」
「ああ……」
グランは、山頂の社に到着したときのことを思い出し、頷いた。
社のある山頂一帯は、どうも古代遺跡に関わりがありそうだったのに、周辺は緑に満ちていた。古代魔法の気配が働いていると言われながら、いまいちしっくりしなかったのはそこにある。
「妾どもは、機能を失った古き人の施設を地に還し、新たに命を芽吹かせるために作られました。妾どもの餌は、古き人の魔法技術で加工強化された建物の壁や岩土にございます。壁や地面を形作る土や石は妾どもの体となり、加工のための魔法薬は魔法力に変換されて妾どもを動かす力になります。子供達は皆、胸にこのような石を持っておりますが……」
“女王”は自分の胸もとに輝く茶色い石を手で示した。
「妾どもはこれに、餌の中に含まれる魔法力を蓄え、体を動かす力として用いております。しかしある程度時間が経つと、石の機能は徐々に衰えはじめ、取り込める魔力量が減っていきます。そしていずれ貯蔵庫の役割を果たさなくなって、ただの石となり、魔法力を喪った者は体が壊れて土に還ります」
「その石は、あなた方にとって、命と同じものなのですね」
「命というのは不適切でございますが、そのようなものにございます。妾や“娘”達などは、体にもある程度魔法力を貯め込むことができますので、石を失ってもすぐ壊れることはございませぬが、体の小さなこども達は、石を失ったときが“死”ともいえるでしょう」
そういえばアリグモに襲われた蟻は、胸の石を奪われたとたんに形が崩れて土塊になってしまった。アリグモが蟻を襲ったのは、石に蓄えられた魔力を奪う目的があったのかも知れない。
「……あんた達が何者かは、なんとなく判ったような気がするが」
結局はよく判っていなそうなことを言いながら、グランは“女王”に訊ねた。
「肝心なことを聞いてなかったな。俺たちをこんな所にまで呼んでおいて、いったい何をやらせたいんだ?」
「失礼いたしました、『寄り添いし者』が……」
「それ面倒くさい、どうせ知ってるんだろ、名前で呼べ」
「名前……称号より、個体の識別記号がよろしいのですね。承知いたしました、グランバッシュ様」
“女王”は納得した様子で頷いた。称号とかなんだと聞きたかったが、いちいち突っ込んでいたら話がまた滞りそうなので、グランは黙っていた。
「あなた方にお願いしたいことは、ふたつございます。ひとつは、妾どもの巣を食い荒らす蜘蛛たちの親を退治して頂くこと。ふたつめは、社の泉を枯らすようアヌダの巫女殿に進言していただき、この住処と空をつなぐ手助けをして頂きたいのです」
「妾どもは、もとからこの地に棲んでいたのではございませぬ。新しき人たちがこの地に住まい始めるより遙か昔、風に乗ってやってきました。そのときは、妾ただ一体でございました」
淡々と、だがどこか懐かしむように、“女王”は言う。
「妾は幸運でございました。山頂には施設の目印となる建物があったため、空からも目につきやすく、降りてみれば地下には広大な施設跡がございました。妾は山頂に巣穴を掘り、そこで最初の卵を生みました。
生まれたこども達は、まず巣穴のまわりの施設跡を餌に大きくなりました。本来であれば、地表のすべての施設跡を食べ尽くしてから地下の施設に取りかかるはずであったのですが、地下にはより強力な魔法力の存在があり、こども達はそれに惹かれて下方に向かい始め、いくつかの食べ残しができてしまいました。
地下の施設は広大で、いつ尽きるとも知れぬ餌のおかげで、妾たちは大きく繁栄いたしました。その間、いくつもの“娘”たちが、巣穴から新しい地に向けて旅立っていきました。長い年月がたち、地上が新しき人たちのものとなっても、妾たちはこの場所で変わらず巣を広げておりました。
そうこうしているうちに、たまたまこの地を訪れた『アヌダ』の信奉者が、この山地の地下に豊かな水脈があることに気づきました。
その者は、地下の施設と地上の出入り口をつなぐ転移装置の力を利用し、己の法術を用いて水を汲み上げ始めたのです。法術の介入により、一定間隔で水を山頂に転移させるよう、転移装置の設定が一部書き替えられてしまったのです」
「それが、あの泉と、地底湖から飛びたつ水の蝶なんですか?」
「左様でございます。山頂の出入り口は“娘”達が旅立つために必要な場でございましたが、人がいる以上ふさいでいた出入り口を開いて飛び立つわけにはいきませぬ。それでも、妾どもはしばらくの間、泉の真下に当たる蝶の通路は迂回する形で活動を続けておりました。新しき人の命は短く、山頂の水を目当てに住み着いた人たちも、いずれは滅び去るだろうと考えておりました。しかし新しき人に、水はよほど貴重だったと見えて、去りゆく気配はございません」
「高地に水を汲み上げられるほどの技術力が発達したのはここ数十年くらいのことですからね……それも、費用と手間がかかります。もとから水源があればそれにこしたことはないでしょうね」
エレムの言葉に、“女王”は静かに頷いた。
「長きにわたった妾どものこの地での活動も、そろそろ終わりに近づきました。地下の施設はほぼ解体が終わり、あとは集めたすべてをこども達が食べ尽くすだけでございます。残る妾の仕事は、この地の餌が尽き、妾が壊れるまでの間、こども達の仕事を見守り、できるだけ多くの“娘”たちを別の地に送り出すことでございます。
しかし、山頂の出入り口は新しき人が泉として水をため込んでおります。妾どもの体は土でできておりますから、ある程度以上水に触れると崩れてしまいます、翅で風に乗る“娘”達のためにも、あの泉を枯らしたうえで、通路を開かねばなりませぬ。妾どもは、汲み上げられる水量を減らすため、水の蝶の生まれる周囲を土で埋め島を造り、蝶が通れぬよう何層も加工を施して法術の働きを弱め、それでも飛び立とうとする蝶を子ども達が捕らえるようにしました」
「それが、あの地底湖の中心の島なのですか」
「左様にございます。繰り返すうちに、山頂に汲み上げられる水量は徐々に減りました。しかし、あと一歩というところで、アヌダの巫女に『祈り』と称して行使される法術の力が、島を崩してしまうのです」