52.女王との取引<2/5>
『イイえ、わたくしは娘のヒトリにございマス、旦那サマ』
彼女はグランをまっすぐ見たまま、素直に答えた。
目の前まで来ると、女……の形をした上半身は、多少大柄な人間の女とさほど大きさが変わらなかった。後ろから見たら、腰を絞って大きく膨らませたドレスを身につけているようにも見えるだろう。
『母はコノ奥で待っておりマス。こちらにドウゾ』
唇の動きはなめらかだが、発音にどこか違和感がある。
“娘”は軽く頭を下げると、大きな体をゆっくりと反転させた。地面につくほどに大きな翅を震わせて歩くその姿は、白いマントをなびかせて姿勢良く歩く貴婦人を思わせる。
どうやら、やっと“女王”のもとにたどり着けるらしい。三人はぎくしゃくと顔を見合わせ、部屋の更に奥の通路に向かう“娘”の後に続いて歩き始めた。
彼女が“女王”の娘なら、人間でいうなら王族の姫ということになるのだろうか。
だが、三人を先導して歩く“娘”に対し、すれ違うほかの蟻たちは特に道をあけたり、敬意を払うようなそぶりはない。それぞれ勝手に、自分の役割を果たそうと動いているようだ。
羽蟻たちの集められた部屋を出ると、今までよりも更に広い通路が続いていた。これまでたどって来た通路も、蟻たちがすれ違っても余裕があるくらいに広かったが、こちらは更に広く、天井も高い。
広い通路の先には、更に大きな部屋があった。大きいだけで、周りを特別に飾るようなものはなにもない。“娘”も、なんの気構えもなくさっさと中に入っていく。
恐る恐るついていくと、部屋の中にいたのは両手の指に余る程度の数の“娘”たちと、それらを世話しているらしい蟻たちが控えていた。
通常の大きさの蟻は、今までと変わらず好き勝手に動いているようだが、“娘”達は部屋の右側に規則正しく控え、グラン達が来るのを待っていたようだった。
その部屋の中心で、一体だけひときわ大きな蟻が横になっていた。
形は娘達とほぼ同じ、蟻の下半身に人間の上半身という姿だが、娘達よりも更に一回り大きい。翅は持っておらず、頭には金色の立派な王冠を戴いている。
その王冠の中央には、ひときわ大きな茶色の石がはめ込まれていた。縞模様が入っているので、今まで見てきた蟻たちの持つものと同じ石のようだが、“女王”の王冠と胸元の石は、妙に赤みを帯びた光を放っている。
彼女の周囲の地面だけは、様々な色を放つ宝石の原石の塊が敷き詰められ、壁からの光を受けて淡く輝いている。それは王族が使う豪奢な寝台のようにも見えた。
「オ母様、旦那サマ方をお連れしまシタ」
グラン達を先導してきた“娘”が進み出ると、王冠をかぶった“女王”は寝台の上でけだるげに身を起こした。楕円の椀を伏せたような大きな目が、一瞬、淡く赤く輝いた。
「ようこそおいでくださいました、『寄り添いし者』が共に在りし御方よ」
今まで目にしてきた蟻たちとは別格の存在感だ。会ったらまず文句のひとつも言ってやろうと思っていたのに、グランはとっさに声が出ない。
代わりに、背筋を伸ばしたヘイディアが一歩進み、毅然と顔を上げた。
「あなた様が“女王”でございますか」
「はい、直接お目にかかれて嬉しゅうございます、風の力を操りし御方よ」
“女王”はゆっくりと三人を見渡した。ヘイディアはまったく怯む様子はない。そういえばこの女は、生き物なんだかよく判らない存在よりも、人間の方が苦手なのだった。
「ここは、いったいなんなのでしょうか。あなた方はこんなところで何をされているのですか」
「ここは、古き人たちが作った施設の跡なのです。あなた方、新しき人たちが『古代遺跡』と呼ぶものです」
「施設って……」
エレムが納得いかない顔で、今まで歩いてきた道を思い起こすようにふり返った。
今まで見てきた古代遺跡は、今の人間にはどういう目的で作られたのかもよく判らない、無機質な建物ばかりだった。だがここで見てきたのは、土を掘っただけの通路と部屋ばかりだ。光を放つ壁や天井が、どういった加工をされているのかはよく判らないが。
「この一帯は、水の力を集めるために作られた施設だったのでございます。新しき人たちも、水の力を生活に利用いたしましょう?」
「あ、はい……、水を汲み上げたり、粉を引いたり、大きな鍛冶屋では炉に空気を吹き込むのに、水車をうまく使ってます。あんな感じで古代の人も、水の力を利用してたんですか?」
そうだとしても、水場の規模が桁違いのような気がするが。いまいちぴんとこない様子のエレムに“女王”は、
「確かにそのようにも用いましたが、この施設の目的はそれ以上のことでございます。水の力から、風や光や熱を生み出し、それを様々なことに用いておりました」
「水から、光……?」
どうやらヘイディアもよく判らないようだ。もちろんグランにも想像がつかない。だが、そのあたりの詳しいことは“女王”も説明する気はないらしい。
「この山地の南側、新しき人が『枯れ谷』と呼ぶ一帯は、古来は北のメルテ川に並ぶほどの大きな川でございました」
「枯れ谷って言うくらいだから、そうなんだろうな」
長い年月で地形や高さが変化して、川や湖が干上がったという話はよく聞く。地質学者という奴らが言うに、遙か大昔は、海の底だった場所もあるらしい。長い年月で地面が隆起したり沈下したりして、全く地形が変わってしまうのだという。
南の枯れ谷も、そういった類いのものだろうと、グランは特に気にしていなかった。
「古き人は、一帯の水がこの施設に流れ込むよう、山地の地下に水脈を利用した水路を作り、水の流れを大きく変えてしまったのです。あなた方が最初に見た地底湖は、集めた水を一時的にため込む貯水池の名残でございます。今はだいぶ浅くなりましたが、この施設が稼働していた当初は、この一帯の山の高さの半分ほどの深さがございました」
「山の半分?」
「はい。長い年月を掛け、水で削られた土砂が流れ込んだせいもございますが、あの貯水池の底には、多くの同胞も沈んでおります」
「こ、こどもたちって……」
さすがにぎょっとした様子で、エレムが聞き返した。“女王”の子供達といえば、あの蟻たちのことなのではないか。
だが女王の顔に、感傷的なものはみられない。もともと上半身は人間の形に似せてを精密に彫ったような外見なので、表情も変わらないようだが。
「妾どもは、この施設を地に還すためにここに棲んでおります」
「地に還す?」