20.出向く前から帰りたい
「ぼくは、リオンといいます。ルアルグの神官見習いですが、事情があってアルディラさま……僕の母が乳母をしていた、お嬢様のお世話係をしてます」
「ほう」
「そのお嬢様が、カカル……お嬢様のお父上の知り合いの大事な宴席に招かれて、お父上の代理で参加するように言われて、ぼくもその旅に付き添ってたんです。その途中で、その宴席というのが、実際はお嬢様のお見合いだというのが発覚したんです」
……どこかで聞いたような気がする、こんな話。それもつい最近。
微妙な顔つきになったグランには気付かず、リオンは一生懸命続けている。
「元々気が強い上に、だますように送り出されたことで、頭に血が上ってしまったようで、このままだと絶対婚約させられるから今のうちに逃げ出してやるっていうんです。他国だし危ないってなだめても全然聞いてくれないし、放っておいたら一人でもいなくなりそうな様子だったので、仕方なくぼくも一緒に抜け出してきたんです」
「……へぇ」
「一日くらい道に迷って不便な思いをすれば頭も冷えるだろうと思ってたのに、なんだかうまい具合に街道を外れた裏道に出てしまって、気がついたらルキルアの領内に入っちゃってるし、本人はうまくいきすぎて調子に乗っちゃってるし……。どうしようかと思ってるうちに、昨日の夕方くらいだったんですけど、宿をとれるような村でも町でもと思って歩いていたら、いきなり四人くらいのガラの悪い男達に囲まれたんです。あいつら、ぼくとお嬢様を見るなり、『こいつら、グランって男の連れだろう』って言い出して」
思わず変な声を出しそうになってしまい、グランはとにかく知らん顔で先を促した。
「なんでも、その中の一人が、グランという男のせいで恥をかかされ、それまでの縄張りにいられなくなったって言うんです。この辺りまでまで流れてきたはいいものの、街道でへまをして捕まってしまって、せっかく騒ぎに乗じて牢から逃げ出してきたのに、一緒に逃げた仲間はあいつのせいでまた捕まった、という話もしてました」
この近辺で恨みを買うなことといえば、遺跡から出てきた直後に出会った奴らくらいだ。
しかしうかつだった。そういえばあの騒ぎで、まだ捕まっていない者が何人かいるはずだ。そのうちの誰かが、グラン達の落ち着き先までつけてきていたのだ。
「そんな男は知らない、人違いだって言っても、全然聞いてくれなくて……。ぼくを殴る蹴るしたらとりあえず気が晴れたみたいで、アルディラ様を連れていってしまったんです。『グランの宿は判っているから、この娘を人質に呼び出して思い知らせる』という話をしていました。追いかけたんですけど、道を間違えたのかすぐに見失ってしまって、そのうち気を失ってしまったようで……」
そこにグランが通りかかったのだ。
嫌な予感というか確信に近い推測を、グランは試しにぶつけてみた。
「ひょっとして、そのアルディラっていうお嬢様、髪はこんな感じで、こんな服を着てたり?」
「そ、そうです! でもどうしてご存じなんですか……?」
ランジュの外見を思い出しながら、身振り手振り交えたグランの説明に、リオンは目を白黒させている。
グランはため息をついた。
神官の法衣は色の違いこそあれ、形はどの教会もほとんど変わらない。夜目では法衣の色もそんなに区別がつかないだろう。この少年はエレムより小柄だしもちろん剣も背負っていないが、思いこみが記憶を補正してしまって、エレムと勘違いされたのだ。
ということは、やはり昨日押し入ってきた賊と、ここまでグランを呼び出した者は別人なのだ。とたんに帰りたい気分でいっぱいになったが、
「とにかく、ここで会ったのもなにかのご縁です、アルディラ様を助けるのに力を貸してくださいよぅ」
「俺が?!」
「ほかに誰もいないじゃないですかぁ」
「なに言ってんだよ、そんな事情ならルエラの衛兵にでも助けを求めればいいじゃないか。連れ去られたのがエルディエルの姫君だって明かせば、それこそ軍隊だって出してくれるだろ」
「そんなことしたら、助かってもアルディラ様が怒り狂って手がつけられなくなるのは目に見えてますよう。大公様だって、もうアルディラ様のわがままを大目に見なくなっちゃうだろうし、大事になる前になんとか助け出して、自分の意思で戻ってもらわないと……って」
泣きそうな顔でそこまで一息に言ってから、リオンはびっくりしたようにグランを見返した。
「ぼく、アルディラ様がエルディエルの姫様だって、言いましたっけ?」
「今の話を聞けば誰だって判るだろ。おてんば姫が逃げ出したって話は、とっくにルキルアまで広まってるぞ」
「あああやっぱり」
リオンは絵に描いたように頭を抱えた。グランは努めて真面目な顔で、
「大事な姫様に傷がついたりしたら、お前も叱られるどころじゃすまないだろ。取り返しのつかないことになる前に、ルキルア軍に知らせて助けを求めた方がいい」
世間知らずのお姫様になんか関わりたくはないし、そっちで勝手にやってて欲しい。
「でも、町までいって説明しても、ぼく一人じゃ信じてもらえないかも知れないし」
「まぁそれは……」
「格好からしてあなた傭兵でしょう? お礼は必ずしますから、アルディラ様を助けるのを手伝ってくださいぃ」
「えー、やだよめんどくさい」
「そんなこと言わないでお願いしますよう。ぼく一人じゃどうしようもないんですぅ」
「だから靴にすがりつくんじゃないっ」
グランは思わず立ち上がってひきはがそうとしたが、これを放したら自分は死ぬとでもいうような力でしがみついたまま、リオンはえぐえぐと泣いている。
殴って気絶させて放置していこうか。ちらっと考えてしまったが、ふと思いついて、グランは倒木に座り直した。
「……お前、今助けてくださいじゃなく、『手伝ってください』って言ったよな?」
「え、はぁ」
「自分一人じゃお姫様を助けるのは難しいけど、誰かと一緒ならなんとかなるって自信でもあるのか? お前、なんか役に立つことができんの?」
「そ、そりゃあ」
泥で汚れたまま泣いたものだから、化粧が落ちたおばさんのようになっている顔を袖口でごしごしこすり、リオンは控えめに胸を張った。
「ただ乳母の息子というだけで、アルディラさまのお世話係をしてるわけじゃありません。大公家の方のお側付きは、原則として、法術の使えるルアルグ神官と定められてるんです。ぼくはまぁ……まだ見習いですけど、アルディラ様の遊び相手として小さい頃からおそばにいましたし」
「やっぱりコネじゃねぇか」
「いやいや!」
妙に力強く首を振ると、リオンはすっくと立ち上がって、ふふんとでもいうようにグランを見返した。
「これだから他国の方は……。ルアルグは天空を支配する神、この地を吹き渡る全ての風の源はルアルグにあるのです」
「へー」
「ルアルグの神官は風を操り、時には天候を変えることさえできるのです。僕は、まぁ見習いですけど……」
「いいからさっさと実演しろ」
「感性の鈍い人だなぁ……」
ぶつぶつ言いながら、リオンは姿勢を正して、自分の胸の前に両手を引き寄せた。かざすというよりは、目に見えない毬を持つような仕草だ。目を閉じる。
「空を支配し季節を導く偉大なりし神ルアルグよ、その指先の力ひとかけを我が手のひらに貸し与えん……」
ざわ、とリオンの周りの空気が動いた。リオンの前髪が浮き上がり、法衣が風で揺れる。
リオンの手の中で風が渦巻き、そこから、自然のものとは明らかに違う動きの風が広がった。
ラムウェジの扱ったレマイナの法術は、凝縮された生命力そのもののような力で、そばにいれば力そのものの存在は判るが、見た目だけなら大きな変化のない地味なものだった。
でもルアルグの力は、そのものは見えなくても、肌で直接感じることができるし、風の触れるものの動きがちゃんと見える。どちらが秀でているかはまた別の話で、これはこれでなかなか印象の強い光景だ。
これがこんな広漠としたところではなく、緑の深い草原なら、もっと感動的な光景だったろう。風は心地よくグランの頬をなで、髪をそよがせ、周囲に拡散されていく。
誇らしげに天を仰ぐリオンに、グランは声をかけた。
「……で?」
「……」
「……そんくらいなら、俺も板持って扇げばできそうなんだが?」
「えっと、その……」
リオンの起こしたものではない乾いた風が、二人の間を吹き抜けていった。
「……帰るかな」
「いや待って! 待ってくださいぃ!」
改めて立ち上がろうとしたグランに、リオンが慌ててすがりつく。
「高位の方なら、風の固まりをぶつけて壁や建物を壊したり、馬車を吹き飛ばすこともできるんですよぅ」
「お前が今それをできなきゃなんの意味もないだろうがっ! いいから人の服に顔をこすりつけるんじゃないっ」
「とにかくほかにどうしようもないんですよう、助けてくださいぃ」
いっそほっといて、お姫様は痛い目にあった方がいいんじゃないだろうか。
もう振り払うのも疲れてしまった。グランは口の中に残っている葉っぱを噛みながら、リオンを蹴り倒して捨てていくべきか真剣に考えかけた。
しかしここで放って行ったとして、姫君がエルディエルの部隊やルキルア軍に無事に保護された時が逆に厄介だ。リオンがここぞとばかりに、グランに見捨てられた恨み辛みを周囲にぶちまけたら、今度はグラン達がお尋ね者にされかねない。
捨てていくのも関わるのも面倒くさい。どうすればいいのだ。
グランは思わず、自分が歩いてきた道を横目で振り返った。もう何度目になるかも判らないため息をつく。
「……そのアルディラ様ってのは、美人か?」
「え、ええ……」
「しょーがねぇな」
どう転んでも厄介ごとがどこまでも追いかけてくるのなら、せめて美人のお姫様に恩を売っておく方がまだましか。ふとそう思ってしまったのは、かじっていた葉っぱのせいで多少気が大きくなっていたからかも知れない。
「相応の礼はしてもらうからな」
「は、はい、それはもちろん!」
一気に表情を明るくして力強く頷くと、リオンはふと思いついたように首を傾げた。
「そういえば、あなたはどこに行くつもりで、こんな所を歩いてたんですか……?」
「さぁ行こうか」