19.捜し物、拾い物
「……なんだこれ」
長椅子に横になっていたグランは、戻ってきたエレムに差し出された紙片を顔の前でしばらく眺め、目をしばたたかせた。こんな状況でもなければ額をおさえて首でもすくめるところだが、全身が痛くて腕を動かすのも覚悟がいる。
「扉の外側に貼り付けてあったんですけど、どなたか来た気配とか感じませんでしたか」
「それどころじゃねぇよ」
「そうでしょうね」
エレムは苦笑いを見せると、抱えてきた麻袋を床に下ろした。市場で揃えてきた、食料やら薬やらをテーブルの上により分け始める。
「で、それ、どう思いますか」
「どうってもなぁ……」
グランはため息をつきかけ、大きく息を吸うだけで背中が痛くなるのを思い出した。吸い込んだ息を恐る恐る吐き出してから、胸の上に置いた手にある紙片を、もう一度眺め直す。それには、あまり綺麗とは言えない字で、こう書き付けてあった。
『娘を帰して欲しければ、グラン一人で西の廃村に来い』
空が白み始めれば、町全体が活気づいてくる。扉の前まで人が近づいてくれば、いつもなら足音が無くても気配で判るが、今のグランは打ち身からくる痛みのせいで、長椅子の上でおとなしくしているのが精いっぱいだった。外の気配に神経をとがらせている余裕などなかったのだ。
それに夜中の襲撃者は、二人にとどめを刺さず、ランジュだけを連れ去った。それなら賊の目的はランジュそのものだろうと、グランは踏んでいた。連れて行った理由はなんであれ、再び押し入ってくるとは思えなかったから、特に警戒もしていなかった。
それと同じ理由で、ランジュを餌に改めて自分をおびき出す必要があるとも思えない。
自分達に用事があるのなら、押し入ったとき、目の前でランジュに刃物を突きつけて脅すなりすればよかったのだ。
「これがなきゃ、教会経由で衛兵に依頼してもらって、ランジュを探して頂こうかと思ってたんですが」
「うーん……」
今度は炊事場で湯を沸かし始めたエレムに、グランは曖昧に答えた。
「まぁ、今の段階で衛兵に協力を求めたところで、してもらえるのは検問の強化ぐらいだろうけどさ」
「押し入ってきたのがどういう方々かも判らないですからね。街の中を探してもらうには、確かに手がかりがなさ過ぎますね……」
外見どころか、相手の人数や性別もはっきり判らないのだから、探す方もどうしようもなさそうだ。
百歩譲って、これが本当に、ランジュを連れて行った賊からの手紙だとしても。
ランジュを連れ去ったこととグランを呼び出すことに、最終的にどんな目的があるにしろ、ランジュの生命自体に危険がすぐに及ぶとは考えにくかった。伝説のなんとかである『ラグランジュ』の生命が、普通の人間にどうこうできるか自体が、グランには既に謎なのだが。
それなら逆に、胡散臭いなりに『ここに手がかりがあるぞ』と主張しているこの手紙に、従ってみるのもアリかも知れない。そこにランジュがいればよし、いなければ、改めて捜索を依頼すればいいだろう。
子供がひとり連れ去られていると常識的に考えれば、こんな悠長な話もないが、そもそもランジュは人間ではないのだ。離れていても影響力が変わらないというなら、ひょっとするとこれも、グランに対しての疫病神的な作用なのかも知れない。
「とりあえず、行くだけ行ってみるか。万が一にもこの手紙の主が、俺をこんな目にあわせたっていうなら、相応に殴り返してやる」
「グランさんならそう言うと思いました」
エレムは呆れた様子で笑みを見せた。普段なら形だけでも『そんな体でなにを言ってるんですか』くらいは言うのだが、自分がへまをしたことでこうなったと、なにか思うところがあるのだろう。
その代わりに、市場から仕入れてきたらしい数種類の粉状のなにかをカップの中で混ぜ合わせ、湯を注いでいる。得体の知れない香り、というか匂いが漂ってきて、
「……なんだそれ?」
「痛み止めと、軽い眠り薬と、その他いろいろです。痛みでろくに眠れてないんですよね?」
「そ、そりゃそうだけど」
「飲んで休めば、体も少し楽になりますよ。どうせ今のままじゃ動くのがやっとなんでしょう」
穏やかだが有無を言わせない笑顔でカップを差し出され、グランはしぶしぶそれを受け取った。カップの中では、明らかに人の味覚など考慮していない色の液体が、湯気を立てながらうずまいている。
腹が立つくらい、いい天気だった。
緑より岩肌の目立つ緩やかな山道を、グランは歩いていた。王都ルエラを東側に望む山並みは、昔はそれなりに開発された鉱山だったそうだ。集まってくる人夫たちのための小さな村もできて、この道も人通りが賑やかだったという。
ある程度掘り尽くされてしまった今、残っているのは崩れかけた坑道と、もう誰も住まなくなった村の跡地くらいだ。人が通らないから盗賊も出ない。わざわざそんなところを見にいくのは、物好きな歴史の研究家か、物好きな旅人か、こうして何者かに呼び出されて嫌々歩く自分くらいだろう。
グランは曲がりくねって先の見通せない山道を振り仰ぎ、思わずため息をついた。
昔は輸送用に荷馬車でも使っていたのか、人通りの全くない割に道幅だけは広く、傾斜がなだらかだ。その分蛇行が多いのだが、急な坂を体全体を使って登らなくて済むので、今のグランには幾分マシだった。
エレムに飲まされた薬のせい、いやおかげで、いくらかは眠れたし、だいぶ体も休まった気はする。それに今は、エレムがしまいこんでいた麻酔用の葉っぱを噛んでいるので、痛み自体はかなり楽だった。
こういうものは、大量に使用すると幻覚を見たり精神的に不安定になる危険があるので、中には医師しか扱いが認められていないものもある。それに割と高額だ。
レマイナの神官は初歩的な医療技術や知識を身につけているし、医師の資格を持っている者も多い。エレム自身も、見たこともない葉っぱや薬を市場で手に入れてくることがままあった。
まぁ、世の中どこに行っても、金があればたいていのことはなんとかなるのだ。
大きく蛇行した道なので、あまり先は見えない。このあたりで半分くらいかな、と思った頃に、少し先の道の真ん中に、大きな布の固まりが落ちているのが見えた。
どうやら人間らしい。
淡い青色の服は、どうやら神官の法衣のようだが、あまり見ない色だ。髪はこの近辺では一般的な、ちょっと暗めの茶色である。
年は一五そこそこだろう。どういうわけでか、全身が土埃や泥で汚れていて、呆然と空を眺めている線の細い顔も、擦り傷や青あざができている。追いはぎにでもあったのか、どこかで斜面から滑り落ちでもしたのか。とにかく生きてはいるようだ。
「……って無視しないで助け起こしてくださいよぉっ」
見なかったことにしてそのまま通り過ぎようとしたグランの足に、今まで身動きもしなかった少年がいきなりすがりついてきた。
「うるせえよ、なんだって厄介事に自分から関わるような真似しなきゃなんねぇんだよ、俺は今手一杯なんだよ」
「この格好見たら、ぼくが困ってるのは判るじゃないですかぁ、お願いだから話ぐらい聞いてくださいよう」
「お前の都合なんか知らねぇよ! 人の靴を鼻水で汚すんじゃないっ」
振り払おうとしたのだが、少年は少年で必死らしく、なかなかしぶとい。まるで溺れかけた者が流木にすがるような必死さだ。そんな元気があるなら、自力で山を下りるなりできそうなものだ。
数歩ほどなんとか歩いたものの、少年は全く離れる気がなくそのままグランの足に引きずられてくる。このままでは無駄に体力を消耗しそうだ。
「めんどくせぇなぁ……。とりあえず話だけは聞いてやるから、手短にしろよ」
「ううぅありがとぅございまぁす……」
道路の端にあった倒木にグランが腰を下ろすと、少年も安心したようにぺたんと座り込んだ。