4.古き記憶をつなぐもの<1/5>
「簡単に言うと、これは古代人の記録媒体のひとつじゃないかと思われるのよね」
「ちっとも簡単じゃねぇよ」
天幕の中央に立ち、右手の人差し指の上で真四角の薄板をくるくる回すキルシェに、グランは即答した。
「そもそも媒体ってなんだ媒体って。そこから説明しろ」
「グランさん、もう少し質問の仕方というものが……」
「こいつ相手に気取ったってしょうがねぇだろ」
「それはそうなんですけど」
「なによそれー」
全然とりなしになっていないエレムの言葉に、キルシェはわざとらしく薔薇色の唇をとがらせた。
髪と同じ色の紅を乗せたぽっちゃりとした唇も、確かに標準以上に魅力的ではあるのだが、この女はどうにもグランには美味しそうに見えなかった。肉感的な体つきを強調するような服装が、逆に興醒めさせられるのかも知れないが、それだけではない気もする。
「媒体とは、なにかを伝えるための仲立ちをする存在のことだと思うが」
言っていて、いまひとつぴんとこなそうに首を傾げたのは、この天幕の主のルスティナである。踊り子のような布の少ない服のキルシェとは対照的に、ルスティナは男と同じ意匠である将官の軍服だ。服自体はもちろん派手でもないし色気もないが、細身で背も高いルスティナにはよく似合う。
「記録媒体というなら、それは記録したものを人に伝える役割を果たすものということかな。その薄板は、本や石版などと同じ類のものだと解釈してよいのだろうか」
「その薄板の中に、本みたいに文がいろいろ書いてあるって事なのか?」
「うーん、なんて言えばいいのかなぁ」
キルシェは薄板を指先でくるくる回して弄びながら、言葉を探すように左手を口元に添えて首を傾げた。
この薄板は、ヒンシアの湖上の城が半壊した後、瓦礫の中からキルシェが見つけてきたものだ。転移の法円を作動させる『鍵』の役割をすると思われるもので、キルシェが自分で「調べる」といって預かっていったのだ。城では顔料が塗られて一見判別しづらかったが、今は塗料は全て剥がされ、銅を暗くしたような本来の色を取り戻している。
グランの剣の柄と同じ素材で作られたそれは、本当なら、古代遺跡の中でも限られた場所にしかないはずのものだ。
「仕組みとしては、この薄板の中に、何百何千って数の文字が、ぎゅっと収まってると思えばいいわ。でも書かれているのは、普通の言葉じゃない、魔法を発動させるための呪文が詰め込んであるのよ」
「呪文の指南書みたいなもんか?」
「それともちょっと違うのよね。完成した呪文がいくらか書かれてるんだけど……」
キルシェはいつもより歯切れが悪い。グラン達が容易に理解できるような説明が思いつかないのだろう。少し考え、何を思いついたのか、人差し指でもてあそんでいた薄板を全員が向かい合う真ん中に差し出した。
差し出された薄板は、角のひとつがキルシェの指先に触れているだけなのに、そこに見えないテーブルでもあるかのように空中に静止した。
普通ならありえないことなのだが、キルシェは古代魔法を扱う自称『暁の魔女』だ。ちょっとやそっとのことでは、グラン達も驚かなくなってしまった。慣れというのは怖いものだ。
「まず、軸になる呪文として書き込まれているのは、これね」
そう言うと、キルシェは、普段会話に使うものとは別の言葉を口にした。
何回か耳にはしているので雰囲気はなんとなく判るのだが、グランにはまったく理解出来ない。発音だけ拾って再現するのも難しい言葉だ。どうやら、古代語を発音しているのだろうと思われた。
短い呪文の後、宙に浮いた薄板を囲むように、緑色の光で出来た古代文字の法円が空中に描き出された。
同時に、薄板の上にも、幾重もの円を描いた緑の光が浮き上がる。薄板の上に見える光も、小さな小さな古代文字の羅列で出来ているようだった。
「可視化するとこんな感じね。この状態だと、ただの円形の模様にしか見えないんだけど、これがどれだけの情報を含んでいるのかというと……」
言いながら、キルシェは薄板の中央に指を差し、そのまま上に向けた。その指先に引き上げられるように薄板の中の光の文字列が螺旋を描きながら上に向かって伸びていく。
「これは……全部文字なのか」
「これだけの量の情報がこの板の中に?」
驚き以上に、文字列の美しさに見とれるように、ルスティナが声を上げた。エレムもさすがに驚いた様子で、伸びていく光の文字を視線で追いかけている。光の文字の螺旋は、天幕の天井に触れそうなほどに伸びてやっと止まった。
「これは主軸になる呪文。更にこれを補助する働きのある呪文が……」
次に板の上に現れたのは、赤と黄色の光の円だった。キルシェが指を動かすと、最初に伸びた緑の螺旋に絡みつくように、赤と黄色の光も上に伸びていく。
一見、光の柱のようになった螺旋の所々に、白や金色の光の文字が寄り添っているように見える。それは、天に伸びた大樹にかかる小さな雲のようだった。
光っているだけで特に害はないようなので、グランは恐る恐る手を伸ばしてみた。
触れても熱くもなんともない。光の螺旋はグランの指に遮られることもなく、そのままの形を保っている。
「だ、大丈夫なんですか、触っても」
「判りやすく可視化してるだけだから平気よ。本に書かれてる文字に触ってるのと同じ」
おどおどと聞いたエレムに、キルシェはおかしそうに頷いた。
ルスティナが光の文字を観察しようと、グランの反対側に顔を寄せてきた。ほかには誰もいないからか、表情がいつもより好奇心で輝いているように見える。ルスティナの整った顔を、螺旋の柱から放たれる光が淡く染め、瞳に光の文字が映り込んだ。