13.緑原の英雄と冥闇の使者<2/5>
グランは突っ込む勢いを緩めないままぎりぎりでそれをかわしつつ、真横に伸びるボーデロイの大刀の柄を両手で握った。そこを軸にして、地を蹴る勢いで体勢を変える。
ボーデロイの顔面に、グランのブーツのかかとがめり込んだ。
棒立ちになったボーデロイの顔面を、踏み台代わりに両足で蹴り飛ばし、膝を伸ばして飛び退く。枯れ葉をまき散らしながら、グランは離れた地面の上で受け身をとって転がり起きた。
さすがに首から上に、全体重をかけた蹴りを喰らうとは予測しなかったらしい。ボーデロイは頭をふらふらさせながらも、倒れないようになんとか均衡を保っていた。
剣を抜かなかったのはこのためだ。そもそも、鉄の兜にまともに斬りかかったところで、やすやすと通用するわけがない。
ボーデロイが構え直す間も与えず、今度こそ剣を抜いて、グランは真正面から斬りかかった。グランはボーデロイの胸でも胴でもなく、装甲の隙間を的確に狙っている。それに気づいたボーデロイは、今度は大刀の刃を盾代わりにしてグランの剣を受け止めた。
グランが持ち込みたいのは持久戦だ。鎖帷子の上から着込んだ金属の鎧は一見隙がなく、ボーデロイも今はその重さを感じさせない動きを見せている。だがその重量が、まったく着用者に影響を与えないわけがないのだ。体を動かせば動かすほど、重さは疲弊に姿を変えてじわじわとのしかかっていくだろう。
ましてや、ボーデロイの鎧は冶金の技術が今ほど発達していない古い時代のものだ。鎧そのものを叩き斬るのは無理でも、動きが鈍れば、装甲のつなぎ目にできた隙間から、衝撃を与えることは十分可能だ。
頭に受けた衝撃のためか、ボーデロイの動きは最初よりも若干鈍い。それでも、グランの剣を受け、はね返すのはほとんど反射的な動きなのだろう。どちらの刃も刃こぼれしないのが不思議なくらいの斬撃に、周囲は火花で明るく染まり、そこだけが灰色の世界の中で鮮やかに浮き上がる。
十数回目の打ち合いのあと、大きく押し返されて、グランは後ろに距離をとるように飛びずさった。
ボーデロイをかなり消耗させているのは狙い通りだが、グラン自身もボーデロイも同じように肩で息を切らせている。このまま同じように続けても、グランの力だけでは、一瞬でも差がつけられそうな状況を作り出すのは難しそうだ。
グランだけでは。
グランが距離をとると同時に、今度は柄を手にしたエレムが横からうち掛かった。
ほとんど本能的な動作で、ボーデロイが大刀の柄でエレムの攻撃をはじく。白い火花が散り、エレムの法衣とボーデロイの鎧を輝かせる。
今までエレムが手を出さなかったのは、グランとボーデロイの動きが速すぎてうかつに援護できなかった、だけではない。まずはボーデロイの注意をより引いているグランが集中的に攻撃し、ある程度消耗させた後で今度はエレムが引きつける。絶え間なく交互に攻撃することで、ボーデロイの消耗をより早めさせる狙いがあった。
いかに素早く何度も攻撃したところで、柄で打ちかかるエレムの攻撃そのものに、勝敗を決定的なものにするだけの威力はない。とはいえ、鎧の上からでも殴られればそれなりに衝撃は受けるから、ボーデロイだってエレムを放っておくわけにはいかないのだ。
ボーデロイに回復させる余裕を与えず、グランが決定的に勝敗を決めるには、これが一番良さそうだった。地味だが、圧倒的な体格差がある相手には、この方法は存外効果がある。
思った通り、今までよりも動きの鈍くなっているボーデロイに、エレムの攻撃を柄ごと押し返す力はなくなっていた。ただの打ち合いなら、身軽に動け、ボーデロイの動きを的確に見極められるエレムの方が有利に決まっている。
次第に動きに無駄ができてきたボーデロイとは逆に、武器も装備も軽く、それなりに力のあるエレムの動きは鋭さを失わない。ボーデロイの大刀の動きをかいくぐり、鎧に覆われていない腕や兜へ打撃と突きが当たる数が次第に増えてきた。
相手が生身の人間ではないからか、エレムはなかなか容赦がない。摩擦の光と共に、兜が揺らぎ、装甲の隙間から見える鎖帷子がはじけて切れる。
呼吸を整え、グランは改めて剣を構え直して踏み込んだ。
刃の通る隙間と隙が見えてくれば、重いだけの鎧に意味はなくなる。自分を守っていたと思っていたものが、最後には自分自身の枷になる。そんな皮肉な負け方こそ、ボーデロイにはふさわしいのではないか。
グランが踏み出す気配を察しても、エレムはボーデロイへの攻撃を緩めない。ギリギリまで、グランの有利になるようにボーデロイの動きを引きつけておく気なのだ。
逆に、間合いを詰めるグランの動きに気づいたボーデロイは、さすがに不利を悟ったらしい。獣のような咆哮を上げながら、ひときわ力を込めて大刀を横薙ぎにした振り回した。渾身の一撃に、それまで押し気味だったエレムも受けきれず、体ごと跳ね飛ばされた。握っていた柄が勢いよく宙に舞い上がって近くの地面に突き刺さり、そばに倒れていた死体が枯れ葉に姿を変えて吹き飛んだ。
その間にも、グランは既に斬りかかる体勢を整えながら迫っている。
ボーデロイは横に薙いだ右腕を引き、迫るグランに向けて大刀を鋭く突き出そうとした、かに思えた。
が、ボーデロイはその動きの中、柄を持っていた手の力を緩めた。
剣と同じ形の刃を持つ大刀は、ボーデロイの手を離れ、一直線に空を裂いた。
刃の先にいるのはグラン――ではない、灰色の死の世界のなか、夜着姿で場違いに佇むランジュだ。
跳ね起きようとしていたエレムが、ぎょっとして動きを止めたのが視界に入った。
ボーデロイを斃すことばかり考えて、ランジュのことをすっかり忘れていた。ランジュになにかあれば、夢は終わるだろうが、ボーデロイはまたこれから先も同じ事を繰り返すだろう。それにランジュ自身、夢の中でまともに攻撃を食らったら、どういう影響があるか判らない。
今から向かっても間に合わない。自分に迫る銀色の刃を、ランジュは不思議なものでも見るように見つめている。