12.緑原の英雄と冥闇の使者<1/5>
気がつけば、グランは灰色の世界の中に立っていた。
空は虚ろに昏く、太陽もない。
どこまでも続く荒れた葡萄畑。葡萄の木はみな枯れ果てて、多くはなにかになぎ倒されたように倒れている。それはまるで戦いのあとの戦場に放置された、多くの亡骸のようにも見えた。
そしてよくよく見れば、やはりそれは、槍や剣が突き刺さったまま倒れる、多くの兵士の死体なのだ。
どうやら、夢には段階があるらしい。
つまんねぇ演出しやがって。
二度も見せられれば、もう驚きはしない。グランは冷ややかに周囲を見回した。
視線を向ければ、やはり最初の夢と同じ場所にランジュが立っている。自分と同じ光景を見ているはずなのに、まったく動じた様子もない。目が覚めたときに泣いていたのは、やっぱりわざとに違いない。
背後で物音がして、グランとランジュは同時にふり返った。
古い時代の全身鎧を身につけた、山のように大きな戦士が立っている。槍の柄に、穂先ではなく剣身をつけた武器――大刀を持った大男だ。色のない世界の中で、その刃の周りだけは人の血を受けたように赤黒く輝いている。それも、さっきと同じ。
違うのは、鎧の戦士が兜の下の目を、まっすぐグランに向けていることだった。
ボーデロイは、当面の敵を、ランジュではなくグランに定めたのだ。
「ひとつ、聞きたいんだが」
ボーデロイの持つ大刀の刃の側面、柄に近い部分には紅い石が埋め込まれている。鮮やかに燃え落ちようとする落日の色。
その石を眺めながら、グランは口を開いた。
「あんた、なんで強くなりたかったんだ?」
「……」
「時代が時代だから判らなくもないんだが、あんたのおかげで戦争は終わったんだろ? あんたより強い奴はいなかったってことなんだから、それでよかったんじゃねぇの?」
面の下の瞳は、黙ったままグランを見据えている。
狂ってしまった相手にこんな事を問うたところで、意味はないのかも知れない。だが上手く琴線に触れて意識を取り戻させることで、無駄な戦いを避けられたなら、それに越したことはない。危険度と労力は少ないほうがいいに決まっている。
だが、次にグランに見えたのは、面の下で嘲笑の形に歪んだ口元だった。
ボーデロイは見せつけるように右手だけで大刀を振り回し、その切っ先をグランに向けた。風がうなり、周囲の死体達が枯れ草に姿を変えて吹き飛んだ。
「やっぱ無理か」
ため息のように呟いて、グランは踏み出す姿勢を作りながら右手を剣の柄にかけた。ボーデロイも両手で槍を構え、足を開いて突撃の構えをとる。
その視線だけが、わずかに横に動いた。
間近に迫り、上段に構えたエレムが、ボーデロイの右側から無言で獲物を振り下ろした。
ボーデロイはうるさそうに、槍を横に薙いだ。エレムの姿すら、まともに見ようとはしない。
その腕の動きが、不自然に止まった。
エレムの眼前で、ボーデロイの大刀の柄が火花を散らし、エレムは攻撃を受け止めた“それ”を手に、一旦後ろに飛び退いた。
ボーデロイが不思議そうに、やっとエレムの方に首を向ける。
エレムの手にあるのは、いつも背中に背負っている自分の剣ではない。塔の中でボーデロイの鎧と共に飾られていた、あの大刀の柄だった。
柄自体は木製だが、先端部分には刃をつけるための金具が、全体の三分の一ほどを覆うように取り付けられている。斬り合うことはできないが、盾代わりに刃を受けつつ、打撃武器として使うには充分だ。グランのものよりも大振りの剣を扱うエレムには、軽くて物足りないくらいだろう。
「防げた……!」
エレムは自分でも驚いた様子で声を上げた。その間にも構え直した柄で、ボーデロイに打ちかかる。
塔の中では、大刀の柄も鎧と同じように異常に良好な状態で保存されていた。鎧が朽ちないその理由が、死してなお滅びることの出来ないボーデロイの妄執にあるのなら、その影響を受けて一緒に状態を保っている大刀の柄を用いれば、夢の中のボーデロイになにかしら影響を与えられるかも知れない、とグランは踏んだのだ。抱えて寝たところで、夢の中に持ち込めるかはさすがに自信はなかったが。
続けざまに打ちかかるエレムの攻撃を、ボーデロイは最小限の動きで受け止め、払いのけようとする。その間、がら空きになったボーデロイの真正面に、鞘に収めたままの剣の柄に手をかけたグランが迫っている。
グランが自分の間合いに入った瞬間、ボーデロイはエレムの持つ柄を大刀のそれで大きく押し返した。勢いに堪えきれず、エレムが後ろに飛びずさる。ボーデロイはそれを見届けようともせず、今度は刃の先をグランに向けて突き出した。