9.土の記憶<4/6>
「カーシャム神官の強さは、噂でですが私どもも良く存じています。しかし、ボーデロイはあの像の通り、全身鎧に身を包んだ大男でもあります。剣を持っているとはいえ、法衣を身につけただけの、しかも女性に、彼を斃すことができたのか。普通なら考えにくいところですが、カーシャムの加護を受け、その神官は見事にボーデロイを斃しました。
ただ、この地を守った最強の英雄が、最後には狂気に侵されてただの殺戮者となってしまったなど、当時の王国側には都合の悪い事だったのでしょう。彼は公には、数千の敵兵を防いだ後に力尽き、立ったまま息絶えていたということになっています。この村のボーデロイの銅像は、敵兵の死体が地を埋め尽くす中、死んだ後もこの地を守るという意志の元に立ったまま息絶えた姿だ、と、表向きは説明しています」
「……で、なんであんた達は『真相』とやらを知ってるんだ?」
「ボーデロイが死に、戦争もおさまって周辺が次第に活気を取り戻し始めた頃から、時々不可解なことが起きるようになりました。黒髪の女性がこの村に泊まると、夢の中にボーデロイが現れて、襲いかかるのです」
「復讐……か……?」
グランとエレムは、エレムの膝の上に大人しく座っているランジュに目を向けた。
ランジュの髪は、月の光を受けたような、青みがかった黒髪だ。
「襲われた女性は、朝になると大けがをした上に、精神的にも耗弱した状態で発見されました。幸い命まで落とすことはなかったようですが、一ヶ月くらいは自我を失ったような状態になってしまうのです。怪我がある程度回復して、正気に戻っても、夢のことをおぼろにしか覚えていないようです」
「夢で襲われたのに、実際に怪我をしてしまうのですか?」
「そうです、そしてその夢は被害にあった女性だけでなく、なぜか代々この地のデュエス教会を預かる司祭にも現れます。この地に流れた多くの人の血が、なにかを伝えようとしているのだと、私は思っています……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
エレムは思わず声を張り上げ、膝の上のランジュが驚いた様子で身をすくめたのに気付いて慌てて声をひそめた。
「そ、それじゃ、ひょっとしたらランジュも同じような目にあっていたかもしれないってことですか?」
「いえ、今はさすがに、実際に怪我をするような事は起こりません」
申し訳なさそうな顔のまま、司祭は首を振った。
「ボーデロイが夢に現れて黒髪の女性を襲う、ということを、当時のデュエス司祭がカーシャム教会に相談したところ、しばらくしてカーシャムの司祭が村を訪れました。そして、村にのこされたボーデロイの甲冑に、あの銀貨の飾りを施していったのです」
七つの煙水晶をあしらった銀貨。つまりボーデロイが生きていた当時、彼の鎧の胸にはあの銀貨はなかったのだ。
「煙水晶は、カーシャムの神官が安らかな死への祝福を施した証として死者に与えられるものだと聞きますが……」
「そうすることで、妄執を地から解き放とうという試みだったのでしょう。実際それ以来、夢の中でボーデロイと遭遇したとしても、大けがをするものはいなくなりました。ただ、心神耗弱の症状が見られるのは相変わらずで……。甲冑は今も当時の姿を保ったままです。ボーデロイの妄執は薄れることなく、今も、あの甲冑の中に封じ込められているのではないかと思われます」
「じゃ、じゃあ結局、ランジュが危ないめにあうかもしれないのは、変わりなかったって事じゃないですか!」
「その点は、そう、です……。申し訳ありません」
珍しく声を荒げるエレムに、司祭は本当にすまなそうに目を伏せた。
「いくらなんでも、子どもとおとなの区別くらいはつくかと思ったのですが、妄執の固まりとも言える相手に、そんな理性を求めたのが既に間違いだったのですね」
子どもなのは見た目だけ、だけどな。グランは妙に冷静に胸の内で突っ込んだ。更に言いつのろうとするエレムの横顔を見て、グランは面倒そうに眉を上げ、
「しょーがねえだろ、よその国とはいえ、軍隊の偉い奴に俺達の面倒をよろしく頼むって頼まれてたんだぞ。冷たく追い出して、後で仕返しでもされたら困るって思ったんだろ」
「そ、それはそうでしょうけど……」
「申し訳ありません……」
肩を落とす司祭の姿よりも、珍しくグランが他人の擁護をしたのに戸惑ったらしい。エレムは言い淀んだ。
「この村が宿をおかず、旅人を教会や村長の家でもてなすしきたりなのは、そのためなのです。知らぬ間に、黒髪の女性が村に泊まって、怖ろしい目にあわないように。もし訪問した中に黒髪の女性が含まれていたら、馬車を出してでも別の村の宿を案内する手はずになっていました。ただ、村のものが親戚や知り合いを自分の家に泊めるような時など、私たちが客人に気付かないことがままあります。命に別状はないとはいえ、夢に現れるまで気づかず、可哀想な目にあわせてしまうことは何度かありました」
「なるほどな」
「今回も、皆さんを馬車で別の村に送らせていただけばよかったのですが……でも、おかげで、ひとつ光が見えた気がします」
「光?」
遠慮がちながら、妙な確信をたたえた司祭の目に見据えられ、グランはなんだか嫌な予感を覚えた。
「今まで、ボーデロイが現れた夢の中に、女性本人以外の誰かが入り込むことなどなかったのです」
「え?」
「ええ? 同行者も同じ夢を見るわけではないのですか?」
「いえ、そのようなことは今まで聞いたことはないですし、私もこれが初めてです。まして、ボーデロイと刃を交えることができるなど」
「そういえば……」
エレムははっとした様子で、自分の脇腹を手でさすった。