7.土の記憶<2/6>
「ってぇ!」
背中に感じた衝撃よりも、自分の声に驚いてグランは目を開けた。視界には寝台の端と、燭台の淡い灯りに照らされた天井が見える。
どうやら、夢を見ているうちに寝台から落ちてしまったらしい。
それにしても妙に現実味のある夢だった。色はほとんど灰色だけだったが、草地の匂いも、踏みしめた枯れ草の感触も、籠手に受け止められた剣の手応えも、はっきり思い起こせる。
のそのそ床の上で起き上がると、エレムと一緒に寝ていたランジュが、寝台の上でぺたりと座っているのが視界に入った。
寝ぼけているのか、ランジュは周囲を確認するように視線を巡らせていたが、グランと目が合うと、不意になにかを思いついた様子で大きく息を吸い込み、
それこそ火がついたように大声で泣き叫び始めた。
グランがあっけにとられていると、それまでうなされていたエレムが、ぎょっとした様子で跳ね起きた。
「ああ、怖かったんだね。もう大丈夫だよ」
エレムは泣き叫ぶランジュに手を伸ばそうとして、なぜか右の脇腹を押さえて顔をしかめた。それでも、左腕でランジュを抱え、しがみついて泣いているランジュの背中をさすってやっている。
いや、今のって絶対なんかの計算だぞ。俺を見て泣き始めるとかどういう了見だ。とは思ったが、それよりもおかしな事に気付いて、グランは壁に手をついて立ち上がりながらエレムに訊ねた。
「『怖かったんだね』って、どういうことだ?」
「え? ああ……今見てた夢が生々しかったので、つい」
「夢?」
「ええ、灰色の葡萄畑で、鎧姿の戦士がランジュに襲いかかってきて……」
グランは眉をひそめた。その視線が、廊下に続く扉に動く。
グランはそっと扉まで向かうと、素早く錠を外し扉を引いた。
「……なにやってんだ」
「あ、あのそのっ!」
廊下で身をかがめ、扉に体をぴったりくっつけて様子を伺っていたらしい村長が、内側に開いた扉と一緒に転げるように倒れ込んできた。
「こ、子どもの泣き声が聞こえたので、どどどうしたのかと思ってその」
「それにしちゃ来るのが早すぎねぇか?」
「そ、それは」
「どうやら俺達は、揃って同じ夢を見てたらしいんだが。村の広場にあった像と同じ格好した鎧の男に襲われる夢だ」
村長は、淡い燭台の光でもそれと判るほど、はっきりと青ざめた。
「そ、そんな夢みたいな」
「夢の話だって言ってんだろ。こっちはな、夢のほうがましだってくらいの厄介事に、今までさんざん行きあってるんだよ。今更夢みたいなことが起きたからって驚きゃしねえよ」
「グランさん、言ってることが無茶苦茶ですよ。あー、怖くない怖くない、糖蜜湯でも作ろうか?」
エレムは泣きじゃくるランジュをなだめつつも、グランへの突っ込みを忘れない。グランは構わず、
「どーも様子がおかしいと思ってたんだが、あんたら、俺達が村に泊まるとまずいことが起きるのを知ってたんじゃねぇのか」
「そそそれは」
「やはり、起きてしまいましたか」
不機嫌に言いつのるグランと、気圧されてずりずりと後退していた村長は、揃って廊下の先に首を向けた。小さな燭台を片手に立つ法衣姿のデュエスの司祭が、気遣うような視線をグランに投げかけている。
「申し訳ありません。今回は小さな女の子でしたから、さすがに大丈夫かと思っていたのですが。本当に、妄執の固まりになってしまわれているのですね……」
「何の話だ?」
「私も、同じ夢を見ておりました。あなた方が、英雄ボーデロイと刃を交えるところも」
「なんだって?」
どうやらあの甲冑の戦士は、やはりこの付近の英雄であるボーデロイらしい。だが、司祭まで同じ夢を見るとはどういう事なのだろう。
「夜分に申し訳ありませんが、落ち着いて眠れる気分でもありませんでしょう。よければ、説明の時間をいただけませんか」
「しかし、司祭様」
「この方々なら、お話ししても大丈夫でしょう。それに、ひょっとしたら……」
真面目な顔で、司祭は村長を見据えた。グランは訝しそうに目を細め、エレムに抱き上げられたランジュに視線を向けた。
ランジュはしゃくり上げながらもこちらの様子を伺っていたが、グランと目が合うと、なぜか慌ててエレムの肩に顔をくっつけた。
グランはなんとも言えず、片頬をひきつらせた。あのガキ、絶対なにか知ってやがる。
ランタンを手にした村長と、燭台片手の司祭に先導され、三人は人気のない村の道を歩いた。
月はもう沈んでしまったのかまだ昇っていないのか、家並みの間から見上げると、吸い込まれそうな星空がまたたいている。
グランとエレムはいつもの服に着替えたが、エレムに抱き上げられているランジュは夜着のまま、しゃくり上げてエレムにしがみついている。
一見すると、幼い子どもがただ夢に怯えているだけのようにも思えるが、自分と目が合うのを微妙に避けているのがグランには気に入らない。それも、気付いているのはグランだけなので、どうにもこの状況では問い詰めにくい。
連れてこられたのは、村長の家からさほど遠くもない、デュエス教会の庭だった。砦跡の塔の前に立つ英雄ボーデロイの像からは、深夜の来訪者を威嚇し、睨み付けるような迫力が感じられた。もちろん、ただの気のせいなのだろうが。
司祭は懐から取り出した古い大きな鍵で、塔の扉を開いた。
中は当然真っ暗だ。司祭は壁に作り付けられた燭台に火を移し、全員を中に招き入れた。岩で出来た塔の壁はかなり厚いらしく、中は思っていたよりも狭い。狭いがゆえに階段はなく、奥の壁に鉄のはしごが作り付けられて、その先は天井に開いた人一人通れるくらいの穴へと消えている。
そのはしごの手前に、鎧の戦士が立っていた。