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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
緑原の英雄と冥闇の使者
172/622

6.土の記憶<1/6>

 灰色の世界に、枯れた葡萄畑がどこまでも続いている。

 荒れ果てた畑のあちこちでは、なにか大きな風にでもなぎ倒されでもしたかのように、多くの葡萄の木が添え木ごと倒れていた。

 空は虚ろで色が無く、太陽も見えない。障害物などなにもないのに、山並みの稜線も地平線も見えない。それなのに、周りの光景はやけにはっきり見える。

 地面を踏むと、枯れ落ちた葡萄の枝葉が乾いた音を立てて砕けた。倒れた葡萄の木は、歩くのにも邪魔だ。

 何気なくそれを脚で蹴りよけようとして、グランは動きを止めた。

 倒れた葡萄の木だと思っていたものは、槍や剣が突き刺さったまま倒れる、兵士の亡骸だった。

 見回すと、荒れた葡萄畑だと思っていた土地は、放置された戦場跡に姿を変えていた。無数の死体が折り重なり、うち捨てられ、そこから流れた血が、土地全体を黒く染めている。

 そのグランから少し離れたところで、うさぎの人形を抱いたランジュが、目をぱちくりさせて辺りを見回していた。

 一見、状況の変化を飲み込めていないだけのように見えるが、見渡す限りの死体のなかでも、この肝の据わりようはなんなのか。いや、状況からしてこれは夢なのだろうから、あまり真面目に突っ込むのは大人げないのかも知れない。

 不意に近くで物音がして、グランとランジュは同時に目を向けた。

 さっき見回したときには死体しかなかったはずの風景の中に、いつの間にか、古い時代の全身鎧を身につけた戦士が立っていた。

 戦士が持っているのは、槍の柄に剣の刃をつけたような、特徴のある長柄武器だ。色のない世界で、その刃部分だけは、赤く錆び付いたように色づいている。

「み……つけ……」

 桶に似た形の兜の下にある顔は黒くくすんで、はっきりと見えない。見えないのに、その目がまっすぐランジュを見据えているのは、なぜかグランにも判った。

「女……黒髪の……我……殺し……」

 大男は兜の下でくぐもった声を上げた。怨嗟と言うより、歓喜に近い声のように、グランには思えた。

「我が……今こそ……我を……」

 ランジュは目をぱちくりさせて、鎧男を見返している。そのランジュに向かって、甲冑男は大刀を振り上げ、いきなり襲いかかろうとした。さすがにグランも、とっさに立ちはだかろうと踏み出しかけた。

「子ども相手になにをやってるんですか!」

 それまで視界にいなかったはずのエレムが、グランの反対側から甲冑男の前に躍り出た。

 ランジュは寝たときのままの姿だが、エレムはいつも通り法衣姿で、背中に背負った鞘から既に剣を引き抜いている。そういえば、グラン自身も、剣だけではなく軽鎧まで身につけている。きっと、夢だからだろう。

 と思っている間に、鎧の戦士が、肉薄するエレムに向かって大刀を横薙ぎに振り回した。

 重さのある鎧を着込んだ大男から繰り出される一撃だ。受けるだけでも相当な衝撃がかかりそうだ。だが、エレムの剣も顔に似合わず大振りの大剣だ。受け流す技量もあるし、易々と力負けはしないだろう。

 だが、受け止められて火花を上げるはずの大刀の柄は、エレムの剣の刃を素通りした。

 まるで、それ自体が幻であるかのように。

 にもかかわらず、次の瞬間には、エレムは柄で脇腹をしたたかに打ち据えられ、そのまま横に払い倒された。エレムの体は倒れた兵士達の死体の中につっこみ、その死体達は押しつぶされるそばから乾いた枯葉の山に姿を変え、崩れ壊れながら飛び散った。

「な……なんですか今の」

 散り落ちる枯れ葉の中で、脇腹を片手で押さえながら起き上がったエレムが、信じられない様子で顔を上げた。甲冑の戦士は、煩わしい虫でも払ったかのように大刀を持ち直し、ランジュに向かって構え直した。

 すぐに踏み込むかと思ったが、兜の下の顔が、なにかに気付いた様子で右に動いた。

 柄に手をかけながら駆け出したグランが、無言で甲冑男と距離を詰めている。

 足元の死体達は、グランが踏み出すごとにただの枯れ草の固まりに姿を変え、踏まれれば乾いた音を立てて崩れ散っていく。グランは黒く鮮やかな風のように、色のない世界を裂いて冑の戦士に肉薄した。

 甲冑の男が、気だるげに右腕を動かし、大刀の柄をグランに向かって横に薙いだ。

 なにげない仕草だが、甲冑の重さを考えれば、まともに直撃したら相当な衝撃ダメージを喰らいそうだ。

 グランは直前で体をかがめ、柄をやり過ごした。体勢を整えながら、がら空きになった甲冑男の懐に飛び込む勢いで、兜の右側面に剣の柄頭を叩きつける。

 鈍い手応えと一緒に、甲冑男の動きが一瞬止まった。装備の重さのせいで、横に殴り倒せるまではいかなかったが、首から上へはいくらか衝撃ダメージは与えられたようだ。

 グランは一旦飛び退くと、剣を構えなおし、踏み込む勢いと一緒に今度は上段から斬りかかった。狙いは、鎧と兜の間にある、首元のわずかな隙間だ。

 防ぐのが間に合わず、甲冑男は左腕の籠手でグランの剣を受け止めた。籠手は甲冑と同じ、厚みのある鉄製だ。

 男は腕でグランの刃を押しのけようと力を込め、その籠手を叩き斬る勢いでグランが更に力を込める。その一瞬の均衡の中で、グランは赤く錆びたように濡れた色の刃に、ひときわ紅いものが輝いているのに気付いた。

 落日のようにくらい光で刃を染める、見覚えのある紅い、赤い――あれは。

 思考が答えを形にする直前、グランの剣を受け止めていた籠手がこすれるような鈍い音を立てた。

 剣の刃が、わずかだが籠手に食い込んでいるのだ。

 甲冑の下で、男が驚いた気配が伝わってきた。兜の下にあるはずの顔は、黒くくすんでよく見えないままだが。

「貴様……何者……」

「こっちの台詞だ、なんなんだお前」

 甲冑男は答える代わりに、武器を持つ腕を引き、大刀の切っ先を前に突き出した。グランは距離をとるために、一旦背後に飛び退い――

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