4.英雄伝説の地<3/4>
「いつもは司祭様のほかに、若い神官さんがいらっしゃるのですが、今は皆さん、ご用事で別の村に行かれていましてね。その間、村の者が交代で教会や司祭様のお住まいのお世話をしております」
「ああ、あなたは家族の方じゃないのですか」
「小さな村ですから、家族と変わりませんけど」
女は微笑んだ。あまり排他的なもののない、良い村のようだ。
「デュエスの教会って、僕は初めてですけれど、この辺りには割と多いのですか?」
出された藍苺の果実水と、添えられた干しぶどうをいただきながら、エレムが訊ねる。グランは出された葡萄酒を遠慮なく口にし、ランジュは切ってもらった蕃茄を、嬉しそうにほおばっている。
「多くはないけれど、つながりは深いんですよ。そもそもこの辺り一帯に葡萄の栽培を広めたのも、一旦絶滅するかと思われた葡萄を救ったのも、デュエスの神官だったんです」
「ええ? この周辺の川沿いってみんな葡萄畑ですよね? これにデュエス教会が関わってるんですか?」
エレムが関心を示したせいか、女は嬉しそうに目を細め、
「この辺りは川沿いで急斜面の山地が多いし、畑で育てられるのが馬鈴薯くらいしかなかったのです。そこで、当時のデュエスの神官だっ方が各地で話を聞き、日当たりと水はけの良い斜面でこそ良く育つ植物として、大陸北西地区から苗木を持ち込んで栽培を始めたのが、葡萄だったんです。北西地区では葡萄の育成について研究が進んでいましたから、栽培方法や土壌の改良についても学べることがたくさんありました。根付いてしまえば、北西地区よりも気候の条件がよかったようですね。それに、度重なる改良で品質も良くなりました。おかげで、この一帯は葡萄と葡萄酒の名産地と言われるまでになったんですよ」
「そうなんですか! さすが農耕神ですね」
なるほど、デュエスのもたらす加護とはこういった形のものらしい。エレムの言葉に、女は誇らしげに大きく頷くと、
「でも、葡萄栽培が定着してしばらく後で、今度は葡萄の木の病気が広まったんです。木の根についた病気は、この一帯の葡萄畑を壊滅寸前にまで追い込みました」
適当に聞き流して葡萄酒を飲んでいたグランは、そこでやっと話に気を引かれて女に目を向けた。
「この地域の葡萄酒の味が良くなったのを目当てに、川を使った交易が盛んになっていました。それで、遠くの国の葡萄の病気が持ち込まれたらしいのですね。いろいろ調べていたところ、その病気がもともとあった国では、病気自体があまり問題にならないことが判ったんです。これは、その国の葡萄の木に、病気に対して耐性があるのかもしれないと当時のデュエス神官が気がついて、その国の葡萄の苗木を持ってきて、この地域の葡萄を接ぎ木をしたのです。そのおかげで、病気に悩まされることがなくなりました」
「接ぎ木にしたら、味が変わっちまうんじゃねぇの?」
「接ぎ木自体は、ずっと以前から行われてたんですよ。いい葡萄のできる木の枝を、ひとつの地区全体に接ぎ木したりね。それに葡萄酒の味は、その年によって同じ種類でも微妙に違うものですから、問題にはならなかったのです」
「さすが知恵の恩恵を施すというデュエスですね」
エレムは本心から感心したように声を上げた。しっとりした大粒の干しぶどうをそっとつまみあげ、
「それに、こんなに美味しい葡萄が絶滅なんかしなくて、本当に良かった」
「ぶどうはおいしいのですー」
ランジュがよく判ってなさそうな脳天気な声を上げる。女はおかしそうに目元にシワを造った。
それは、葡萄酒を飲んでいたグランも同じ感想だった。正直、金を払ってでもこのままここで腰を据えて飲みたいくらいだ。
話のおかげでありがたみの増した葡萄酒を楽しんでいたら、門の外が少し騒がしくなった。目を向けると、ロバに荷車を引かせ、二人の男が門を入ってくるのが見えた。
片方は、小柄だが頑丈そうな初老の男で、もう一人は上半身裸の、剣闘士を思わせるような屈強な体格の大男だった。逞しい筋肉と、日に灼けた肌が勇ましくすら見える。村人が様子でも見に来たのかと思ったら、
「ああ、戻ってきましたわ。お帰りなさい、司祭様、村長さん」
「やぁアディさん、お客さんですか」
屈強な大男が、穏やかに目を細めた。
「コタ村のヘイザムさんの荷馬車で、ここまで来られたようですよ。この方々は街道を東に行かれるから、ここで降ろして差し上げたようです」
「ああ、さっきすれ違いましたよ。そうですか、よくいらっしゃいました」
「あ、あのぅ……」
ロバの手綱を初老の男に預け、にこやかに近づいてくる大男に、エレムが戸惑ったように声をかける。大男は目をぱちくりさせると、すぐに合点がいった様子で、
「ああ、こんな格好で失礼しました。私、この教会を預かる教区司祭のフィルドです。法衣で葡萄畑に入ると、この体ですからいろいろ引っかけてしまうのですよ」
「ああ、そうなんですね。ご苦労様です。僕たちは……」
こんな斜面の村で、日頃から農作業に携わっていると、体格もよくなるものなのだろう。合点がいった様子で、エレムも挨拶のために立ち上がったが、
「……あれ? ひょっとして」
庭の隅に荷馬車を寄せてきた初老の男が、エレムと、座ったままのグランを見比べて声を上げた。
「ルキルア軍の方が言っていた、レマイナ神官のエレムさんと、傭兵のグランさんですかい?」
「え? はぁ」
「三日くらい前かな、エルディエルとルキルアの部隊が街道を通っていった時、ルキルアのエスツファ将軍が使いの方をよこされたですよ。少し後から、温厚そうなレマイナの神官と、上から下まで真っ黒な美男の剣士殿が小さな女の子を連れて通るはずだから、もし必要なら援助して欲しいと」
どうやら、グラン達が途中のどこで宿を取っても大丈夫なように、通りかかる村々で言づてを残しているらしかった。とぼけたように見えて、エスツファはそういう根回しはそつがない。
「おとな二人はどうにでもなるが、お役目で小さな女の子を預かっているので、くれぐれもよろしく頼むと言わ……」
言葉と一緒に、村長と司祭の視線が、椅子に腰掛けて大人しく果実水を飲んでいるランジュに向いた。
そのとたん、司祭と村長の笑顔が、明らかにこわばった。