44.溶燦の太陽と道標の月<6/6>
「大好きよ、元気で、幸せになってね……」
ローサが今こんなことを言う理由が、子ども達にはよく判っていないだろう。それでも二人は、一言も聞き漏らすまいと、ローサの顔を見つめ返している。もう言葉を発するのも辛いのか、ローサの呼吸は浅く、短くなってきている。
それまでエレムの横で黙っていたランジュが、床に置かれたままの袋に手を伸ばした。ローサが町から、子ども達のために買ってきたものが入っている袋だ。揃いの新しい熊の人形を手に取ったランジュは、黙ってそれをローサに差し出した。
ローサはそれを受け取ると、娘達にそれぞれその人形を手渡した。二人が嬉しそうに人形を抱きかかえると、ローサもまた嬉しそうに微笑んだ。
そのまま、ローサは目を閉じた。隅でローサとグラン達の様子を見ていたカルロが、堪えきれない様子で嗚咽を噛み殺しているのが伝わってきた。
ほどなく、ジョゼス達を乗せた馬車が牧場にたどり着いたが、ローサは意識を取り戻すことなく眠り続け、深夜に静かに息を引き取った。欠け始めた月が静かに地上に光を投げかける、青白く美しい夜だった。
ローサが亡くなったのと同時に、グランそっくりの若い男はいなくなってしまった。そのことをジョゼス達に訊ねられたカルロは、ただ静かに笑って言った。
「あのひとは、ローサのために遣わされてきた天使だったんだ。お役目が終わって、帰ってしまったんだよ」
小さな姉妹は、「『グラン』は光になっていなくなった」としか答えないため、ジョゼス達は更に困惑した様子だった。だが当のカルロや姉妹達が『グラン』がいないことを気にしていないので、それ以上は触れないことにしたらしい。もちろんグランとエレムは『判らない』を貫いた。
ローサの遺体は、牧場のあるマルヌの村ではなく、フスタの町にある共同墓地に埋葬されることになった。そのほうが、いずれヒンシアにできる孤児院に移るまでのあいだ、フスタのレマイナ教会に預けられる子ども達が、母親の死を自覚して受け入れる助けにもなるだろう。それに、ヒンシアに行った後も墓参りがしやすいだろうという、カルロの配慮だった。
「埋葬に、立ち会って来なくてもよかったんですか」
グランの向かい側に座ったエレムが、気遣うように訊ねてきた。グランは馬車の窓の縁に肘をかけ、外を眺めながら答えた。
「いいんだよ、死んだ人の葬式あげるのも墓建てるのも、生きてる人間のためにすることなんだ。ロズに関しては、俺が立ち会う必要はねぇよ」
「はぁ……」
エレムは間の抜けた声で頷くと、自分の隣に座るランジュに視線を移した。つられてグランも目を向ける。ランジュは鼻歌を歌いながら窓枠にもたれて、うさぎの人形に外の景色を見せてやっていた。
「お前、しっかりそれ持ってきたのな」
鼻歌を中断したランジュは、グランに目を向けてにっかりと笑った。
「うさぎさんは、うさぎさんなのです。かわりは、ないのです」
「そうか」
グランが答えると、ランジュはまた窓の外に目を向け、鼻歌を再開した。
朝になってグランが改めて見に行くと、ローサ達が使っていた部屋には、あの剣はもうなかった。『グラン』が持っていったのだろう。しかし、ローサが死んだことで、剣を持てる体も失ったはずだ。
あの剣はどうなるのだろう。主が死ぬと、次の持ち主を捜しに勝手にどこかに行ってしまうのだろうか。結局判らずじまいだった。
エレムはいつもどおりのランジュの姿に、軽く笑みを見せた。あんなことがあった後だから、明るさいっぱいというわけではないが、どこかさっぱりしたような笑顔だった。
「グランさん、僕、少しだけ、思い出したことがあるんです」
「ん?」
「ローサさんが、お嬢さん達に、ごめんねって、謝ったじゃないですか。『一緒にいてあげられなくて、ごめんね』って」
「ああ……」
エレムは目を細め、無意識のように自分の両の手のひらを眺めた。その上に、なにか大事なものが乗ってでもいるかのような目で。
「金色の光の中で、女の人が僕に手を伸ばしてるのを、思い出したんです。『ごめんね、一緒にいられなくてごめんね』って……。窓からの光が強くて、顔まで見えなかったけど……」
エレムは、ラムウェジの視点でしか思い起こせなかった母親の姿を、自分の目から見た光景として思い出したのだ。心なしか潤んだ瞳を隠すように、エレムは目を伏せた。でも顔は、なぜか嬉しそうだった。
「ただの願望なのかな。ローサさんを見て、母もこう言ったのかも知れないって思っただけなのかな……。でもなんだか、すごく腑に落ちたんです。ああ、母は僕を棄てていったんじゃない、僕に生きて欲しかったんだって」
「そうか」
グランは頷いて、軽く唇の端を持ち上げた。
「よかったな」
「……はい」
ローサが亡くなったその翌日、クフルから王都に向かう街道沿いの林で、野宿していた四人の男が血だらけになって死んでいるのが発見されたという。物取りにあったものと思われたが、斬り口から、襲ったのは相当な剣の手練れではないかという話だった。だが、犯人はついに見つかることがなかった。
その近くで、鞍のついていない馬が発見されたが、どうやらどこかの牧場から逃げ出してきただけらしく、事件とは無関係ということで片付けられた。
馬は、届けのあったマルヌの村の牧場主の元に返されて、それ以上のことはもう、なにもなかった。
<追憶の月と溶燦の落日・了>
ご覧いただいてありがとうございます。
第五章開始まで少々準備のお時間を頂きます。