43.溶燦の太陽と道標の月<5/6>
「今なら……今なら、使えそうな気がします」
なにを、と問う必要はなかった。目には見えない、力そのものとしか言いようのない気配がエレムの足元から湧き上がり、その手元に集まってきているのが、グランにも感じられたのだ。
エレムはすぐに、ローサのいる部屋の方に歩いていった。一言二言、カルロと言葉を交わした後、エレムが部屋の中に入っていったのが気配で判った。グラン達の様子を変に思ったのか、小さな姉妹も絵札をめくる手を止めて、廊下の先に目を向けている。
エレムには法術の素質がある。かなり早い段階で、エレムの養い親であるラムウェジも、その素質には気付いていたようだ。
だが、実際にエレムが法術を使うのをグランが見たのは、ただ一度きりだ。相当大きな力を扱えるようなのに、普段は全くそれを使うことが出来ない。ロキュアが行う程度のごく簡単な癒しも、エレムにはできないのだ。なにか理由があるのだろうとグランは思ってはいたが。
ローサの部屋の方で、なにか大きな力が動いた気配があった。熱もないのに、温かさを感じる力だった。
「……!」
同時に『グラン』が、声にならない叫びをあげた。
確かめるように広げた手の、指先から、髪の先から、淡い紅色の光が放たれ始めた。部屋の中が薄暗いこともあって、『グラン』の全身から放たれる光の粒は、ひどく幻想的で美しかった。
子ども達が、不思議なものを見るように『グラン』を見つめている。その顔に怖れや怯えはない。美しいものを見た純粋な驚きで、子どもながらに言葉を失っているようだった。
『グラン』は、グランに一度視線を向けた後、子ども達に向けて泣き笑いのような表情を見せた。全身に光をまとった『グラン』は、すぐに踵を返し、止める間もなく廊下の先に駆けていった。反射的に後を追おうとした姉妹の手を、ランジュが掴んでひきとめた。
遠ざかる足音と一緒に、建物の裏手にある扉の開く音が聞こえた。入れ違いに戻ってきたエレムが、足音の意味に気付いてなにか言いかけたが、グランは黙って首を振った。
「……ローサさんが、みんなに会いたいって言ってます」
子ども達が立つのを手助けするエレムのその手に、さっきあった力の気配はもう感じられなかった。嬉しそうに立ち上がった子ども達が廊下に向けて歩き出すのにあわせるように、砂利を蹴散らす馬の蹄の音が牧場の外へ向けて勢いよく駆けて消えていった。
廊下の先で開け放たれた裏口の向こうで、ローサの住む小屋の入り口の扉がやはり開け放たれたままになっているのが、夜の暗がりの中にも見えた。
『グラン』がなにを取りにあの部屋へ行ったのか、馬を走らせてどこへ向かったのか、グランにはありありと判った。
グラン達が部屋にはいると、寝台に横たわったローサが、力なく微笑んだ。その体から命が尽きかけているのを察したのか、子ども達が一瞬立ちすくんだ。
ローサの顔からは、さっきまであった傷やあざは綺麗になくなっていた。
法術による癒しは通常、当人の持つ『癒えようとする力』を引き出す手助けをしているに過ぎない。エレムは、残りの生命力を引き替えにしてでも顔の傷を癒すか、このまま誰にも会わずにほんの少しだけ長く生きるかどうかの選択肢を、ローサに与えたのだ。
「『グラン』は……『彼』は?」
グランは無言で、牧場から村の外に続く道の方に視線を向けた。ローサは判っていたのか、笑顔を消しはしなかった。
「やっぱり、一番いて欲しい時にはそばにいてくれないのね。『あなた』らしいわ」
そう言われると、返す言葉もない。
でもあれは、ローサの理想の『グラン』だ。ローサのものである自分に残された僅かな時間を、ローサと子ども達のために最大限有効に使おうとしているのだ。
落日の色をした石の埋め込まれた剣を片手に、美しい光の粉をまき散らす『グラン』を乗せて、昏い夜空の下をひた走る馬の姿が、グランには目に見えるようだった。あいつは間に合うだろうか。間に合って欲しいとも、間に合わずにいて欲しいとも、今のグランには言えない。
小さな姉妹の背を押すようにグラン達が寝台の側に近寄ると、ローサはグランに向かって細い腕を差し出した。顔の怪我は綺麗に消えているが、腕に出来たあざや傷はそのままだった。それでも、顔に傷がないだけ、子ども達を怯えさせる心配はないだろう。
手をさしのべ、潤んだ目でこちらを見るローサに、グランは小さく首を振った。
「今お前が手を握らなきゃいけないのは、俺じゃないだろ」
ローサは少しだけ哀しそうにグランを見ると、寝台の傍らで自分を見つめる小さな姉妹に目を向けた。その瞳からは、グランを映していたときの女そのものの色はすぐに消えて、愛するわが子を慈しむ母親の微笑みだけが残っている。
ローサは愛おしそうに二人の娘の頬をに触れ、小さな手を握りしめた。
「ごめんね……一緒にいてあげられなくて、ごめんね」
グランの後ろで、ローサと子ども達の様子を伺っていたエレムが、なぜかはっとしたように息を飲んだのが伝わってきた。