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41.溶燦の太陽と道標の月<3/6>

 踏み込むと、踏み荒らされた草の匂いに混じって、いくらかの血の匂いと、それとは別の不快な匂いが微かに鼻をついた。

 靴を見た瞬間に予測はついたが、それを実際に目にするのは全く違う。グランはこわばりそうになる自分の手足を必死で動かし、茂みの奥でぐったりと倒れているローサに近寄った。

 殴られ、腫れ上がった顔と、手足に着いた痣。土で汚れ、破られて乱れた服。なにが起こったのかは明白だった。グランの後ろからついてきていたエレムが、息を飲んで立ちすくんだ。

「エレム、馬車から毛布もってこい、早く!」

「は、はい!」

 肩を抱き起こしても、ローサはぐったりとしたまま気がつく気配がない。殴られたときに切れたのだろう、口の端ににじんだ血が赤黒く乾き始めている。

 グランは、脇道に入る前に街道の遠くに見えた数人の人影を思い出した。そういえば、あれは村に押しかけてきていた取り立ての男達に似てはいなかったか。

 抱えたローサの肩は、軽くて、ちょっと力を加えたら折れてしまいそうだった。体も衰え、余命も残り少ないと判っている女相手に、こんな手荒なことをしようという発想自体がグランにはなかった。だが、自分よりも弱い、抵抗できない相手だからこそ、より暴虐になれる類の人間が世の中には確かにいるのだ。自分は今まで、そういう奴らを嫌というほど見てきたのではなかったか。

 今まで何度も呑み込んだ苦い感情が形になる前に、毛布を抱えて戻ってきたエレムの足音がすぐ近くに聞こえた。グランは頭を振った。今するべきなのは、ローサを手当の出来る安全な場所に早く連れて行くことで、重く苦い感情に沈んで動きを鈍らせている場合ではないのだ。



 町に戻るよりは、村に行ってしまった方が早そうだった。幸い、ローサを乗せてきた馬車の御者は、怪我もたいしたことがなくすぐに気がついた。町にいってジョゼス達に知らせてくれるよう頼んで、グラン達はそのままマルヌの村に向かった。

 毛布にくるまれグランに抱きかかえられたローサはひどく弱っていて、馬車に乗っても気がつく気配がなかった。かえってそれは、ローサにもグラン達にも逆に救いだったのかも知れない。ランジュはローサを見てもなにも言わず、預けられたローサの荷物を抱きかかえ、踏まれて汚れた熊の人形をの泥を落としてやりながら、不安そうに黙り込んでいた。

 グラン達の話を聞いたカルロは、母屋にある、昨日グラン達が泊めてもらった部屋にローサを運ぶように指示した後は、その部屋に誰も入れようとしなかった。時折湯の用意や、ローサの着替えやタオルをとってくるように指示はするのだが、医療の知識のあるエレムすら入れようとしないのだ。

 もちろんグランも、不安げな子ども達にまとわりつかれた『グラン』も、閉め出されたまま手が出せない。

 襲われた御者の話では、診察の後少し休んでから、それでもかなり日の高いうちにローサを乗せて町を出たのだという。ラティオかロキュアのどちらかが付き添おうとしたのを、馬車ならすぐだからとローサが断ったらしい。そこを、まだ近くをうろついていた取り立ての男達に見つけられてしまったのだ。

 もし屋根のある馬車なら、ほかの誰が一緒に乗っているか判らないから、男達は手を出そうと思わなかっただろう。教会で使っていた馬車は、屋根のない簡単なつくりのものだ。

『グラン』は蒼白だった。ローサが倒れていたのは、徒歩でもここからさほどかからない場所だ。自分がここで待っていた間にと思えば、やりきれないのはよく判る。

「ローサが、気がついたよ」

 しばらくして部屋から出てきたカルロが、グラン達を見て疲れた顔で言った。

「痛み止めの薬と、温かい飲み物を用意してもらえるかい。あと、傷に塗る薬と……」

「俺が手当てする。入れてくれ」

「駄目だよ」

 ドアの前のカルロを押しのけようとする『グラン』を、カルロははっきりと制した。

「ローサは誰も入れないでくれって言ってる。顔にまであざが出来て腫れ上がっているからね。子ども達もびっくりしちまうだろ」

「そんなのロズのせいじゃないだろ、入れてくれよ!」

「察してやっておくれよ、『グラン』」

 噛みつくようなの勢いの『グラン』にも怯むことなく、カルロはただ、哀しげに首を振った。

「あたしだって、ローサがどんな怖い思いをしたかよく判るよ。あんな目にあったすぐ後に、憎からず思ってる男に、今の自分の姿を見られたいとは思わないよ」

「でも……」

「とにかく、少し落ち着く時間をあげておくれよ」

 もし、グラン達が見つけた時にローサが気がついていたら、どういう反応をしたのだろう。自分は冷静にそれに応えてやれただろうか。情けないが、こればかりはグランにはまるっきり自信がなかった。

「なにかあったら呼ぶから、あっちの部屋で待ってておくれ。あと、子ども達になにか、食べさせてやっておくれ」

 勢いの弱まった『グラン』の腕を軽く叩き、カルロはまた部屋の中に戻っていった。自分の感情のぶつける先が判らないらしい『グラン』は、今度はグランを睨み付け、掴みかかってきた。

「お前が……お前達が来なければ、ロズはこんなことには」

「違うだろ」

 グランはえり元を掴ませたまま、『グラン』を見返した。

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