40.溶燦の太陽と道標の月<2/6>
なんだか様子がおかしい。グランは片耳を指でふさいで、エレムと顔を見あわせた
ランジュはそれなりに感情や好き嫌いを表に出すが、グラン達の行動を左右するほど強烈に自分を主張することは今までなかった。こんなに激しい泣き方も初めてだ。エレムも心配そうな顔だが、泣き声にうろたえるというより、怪訝そうな色が強い。
ランジュが物質に対してこんなに執着するようには、どうしてもグランには思えなかったのだ。呼吸困難を起こしそうになるほど大声で泣くなど、普段のランジュからは考えにくかった。
背中をさすってやりながら、エレムがタオルでランジュの顔を拭いてやっても、ランジュは全く落ち着く気配がなかった。
「……戻るぞ」
「いいんですか?」
「ずっとこれじゃかなわねぇや」
今からでも、暗くなる前には村に戻れるだろう。最悪、フスタの町で泊まったっていい。別れの挨拶を済ませた後なのでなんとも間抜けだが、ランジュがこれほど騒ぐのを無視して先に進むのは、どうにもためらわれた。
小窓から御者に声をかけ、馬車が方向を変えて、やっとランジュは泣き声をあげるのをやめた。それでも、時間つぶしの一人遊びをしようともせず、エレムの法衣の袖を掴んだまま、伺うようにずっとグランを見ている。グランの気が変わるのを警戒しているのだろう。
面倒くさくなって、グランは腕組みして座ったまましばらくの間寝ていた。
フスタの町の近くまで馬車が戻る頃には、空は鮮やかな夕焼けの色に染まっていた。
橙色の太陽に染められたフスタの町の前を抜け、街道からマルヌの村への脇道にはいる時、フスタの町とは反対方向に伸びる道の遠くに、歩き去っていく幾つかの人影が見えたような気がした。だが、すぐに馬車が山あいの木立の中にさしかかって、元来た道は見えなくなった。
空はまだ夕焼けの色でも、茂った木立が辺りの空を覆い隠して辺りはだいぶ薄暗い。外を歩くのにはまだ困らないが、馬車の中にはランタンの灯りがほしいほどだ。このぶんだと、村から出る頃には真っ暗になってしまうかも知れない。
もうこの頃合いだ、ローサはとっくに馬車で送られて村に戻っているだろう。夜道は危ないからと引き留められるのも面倒だが、ここで町に戻る素振りでも見せたら、ランジュがまた大騒ぎするのは目に見えていた。多少憂鬱な気分でいたら、村に行きたくないグランの気持ちの察したかのように、馬車が急に速度を落とした。
「……少し先で、馬車が停まってるんですが」
小窓から御者に声をかけられ、グランは窓から顔を出して道の先を伺った。少し先の道の脇に、馬がつながれたままの屋根のない馬車が停まっている。しかし、馬車にも御者台にも人影がなく、馬もつながれて待っているのではなくて、御者がいなくて途方に暮れているような印象だった。
「あれ、教会のやつらが使ってた馬車じゃないか?」
「え?」
エレムも反対側の窓から顔を出す。確かにあれは、ジョゼス達が乗っていた馬車だった。ローサを送った帰りに、御者が休憩でもしているのだろうか。それとも、車輪にでも異状が起きて、立ち往生しているのか。
「ちょっと、停めてくれ」
停まった馬車の陰に、石や倒木とは違うなにかがあるのが見えて、グランは少し離れた所で馬車を停めさせた。備え付けのランタンに灯をつけるように御者に言ってから、一人先に降りた。
姿が見えないが、やはり人の気配がする。しかし、陰で作業をしていたり、逆に意図的に隠れているようにも思えない。
慎重に馬車の陰をのぞき見ると、そこには見覚えのある男が気を失って倒れていた。傷はひどくないが、明らかに背中や体を殴られたようなあとがある。
馬車の扉は開いたまま、ローサが子ども達のために買ったものの入った袋が、地面に落ちていた。口の開いた袋から顔をのぞかせた熊の人形も、土で汚れている。何者かに踏み荒らされたように。
これが残っているということは、まだ馬車は村に向かう途中なのだ。しかし、ローサの姿が近くに見えない。
「エレム! ランジュを置いてお前だけ来い」
言いようのない息苦しさを胸に感じながら、グランは立ち上がり、辺りを伺った。
すぐ側の道の脇の茂みが、踏み荒らされたばかりのように草が倒れている。その奥に女物の小さな靴が片方、落ちているのが目に入った。
「ど、どうしたんですか?」
倒れた男を目にして、エレムが声を上げた。グランは、馬車の側にいるランジュが、御者に手をつながれてこちらを伺っているのを確認してから、踏み荒らされた茂みの奥に足を進めた。倒れた男に声をかけようとしていたエレムは、グランの視線を追って、踏み荒らされた茂みと女物の靴に気付いたらしく動きを止めた。