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38.ひとつの成就とお別れと<5/5>

「馬車に乗ったまま買い物なんて、なんだかお姫様にでもなったみたい」

 側を歩くグランに、少しはしゃいだ様子でローサが話しかけてきた。ゆっくりと進む馬車に日傘をさして乗るなど、確かに高貴な者がするような印象がある。さながらグラン達は、護衛の騎士と従者といったところだろうか。

 馬車に乗ったもう一人のお姫様は、いつの間にか買い与えられていたねじりパンにかじりついていた。どおりで静かだと思った。

 どのみち、ローサもあまり長いくは外に出ていられない。グラン達も陽のあるうちにヒンシアに続く街道に戻らなくてはいけない。限られた時間の中で、ローサが選んだのは、子ども達のための新しい服と、揃いの熊の人形だった。

 一度だけ、女物の装飾品を売る店の前でローサがグランを見上げたが、グランは素知らぬ顔を通した。

 今、グランがなにかを買い与えてしまったら、それはローサにとって特別な意味を持ってしまう。その特別を得たことが、『ラステイア』の持ち主であるローサにどう作用するか判らない。既にローサは、普通ではありえない幸運をこれまでにいくつも得ているのだ。

 グラン自身は、情にほだされた一時の自己満足で済むが、そのためにローサが予想外の事態に遭うような危険を増やすのは、やはりためらわれた。

 エレムは伺うようにグランを見たが、特になにも言わなかった。ローサは少しだけ寂しそうに瞳をかげらせ、すぐにもとの笑顔に戻ってまた周りを見回した。


 長いようで短かったローサの買い物の時間が終わると、彼らはそのまま教会の建物に向かった。教会の前では、さっき町役場の前で別れたグラン達の馬車の外側を、御者が丁寧に拭き上げながら待っていた。教会の馬車をその後ろに停めると、ロキュアが自分達が戻ったことを知らせに中に入っていった。

 馬車から先にランジュを降ろし、ローサの買った荷物をエレムに手渡してから、グランはローサを抱き上げるために馬車に足を踏み込んで手を伸ばした。ローサは日に当たって多少疲れた様子だったが、手を伸ばすと抱き上げやすいように左腕をグランの肩に手を回してきた。

「グラン」

「ん?」

 呼ばれてごく自然に返事をした瞬間に、ローサがグランの顔を引き寄せた。

 しまった、と思った時には既にローサの唇がグランのそれをふさいでいた。それなりに警戒はしていたが、まさかこんな往来でこんなことをするとは思わなかったのだ。

 想定外のことに、動きが硬直してしまった。最近の俺の周りの女はどうも、行動が俺の予測の一枚も二枚もずれていて対処が難しい。俺の頭が固くなってるんだろうか。いや今はそういう分析はどうでもいい。

 グランが動かないのをいいことに、ローサは唇を離した後も少しの間グランの肩に顔を埋めていた。グランははっと我に返り、ローサを抱き上げて馬車から降りて振り返った。

 こちらに首を向けたまま、エレムが目を点にして固まっていた。

 先に降りていたランジュは、ひとつ前に停まった馬車の馬とにらめっこをしていたので、気がついていなかったようだ。グランは多少変な汗を額に浮かせながら、ぎこちなく後ろに下がったエレムの前を通り過ぎた。

「おかえりなさい、お買い物はどうでしたか?」

 ロキュアに声をかけられたらしく、教会の入り口の扉を開けてそわそわと待っていたラティオが、グラン達を見て明るい声を上げた。グランに抱えられたローサが、穏やかに微笑んで頷いた。

 グランはそこでやっと、人から見た自分の顔がどうなっているか、気にする余裕がでてきた。

 平たく言えば、ローサの紅が移っていないか心配になったのだが、扉にはめられたガラスに映る自分の顔には、そんな痕跡はなにもなかった。

 そういえば、町で買ったのは子ども達のものだけで、ローサは自分のためになにも買わなかった。紅など贅沢品だ。そんなものを買うことなど思いつかないほど、余裕のない生活をずっと送ってきたのだろう。

 入り口は一緒のようだが、中に入ると教堂と診療室へ続く廊下は別のようだった。ラティオに案内され、診療室の前に置かれた長椅子にロズを座らせると、診察の準備をしていたらしいジョゼスが診療室から顔を出した。

「おかえりな……エレムさんは?」

「あ、ああ、あいつなら馬を見てるランジュを待って……」

 まさか、ローサが俺にこれこれこういうことをしたのを見たせいで外で固まっています、とも説明できない。当のローサは、何事もなかったような笑顔で静かに腰掛けたままだ。

 呼びに行く振りをして正気付けに行った方がいいかと思う間もなく、まだ多少ぎこちない動きながらも、ランジュを連れてエレムが建物に入ってきた。ローサの荷物を長椅子の上に置き、ジョゼスに向かって頭を下げる。

「じゃあ、俺達もそろそろ行くか」

 言いながら、教堂のほうにふらふら歩いていきそうになったランジュの首根っこを捕まえる。

「ひと休みしてお茶でも……と言いたいんですが、ルキルアの方に無理を言って抜け出してこられた様子ですしね」

 名残惜しそうながらも、ジョゼスがグラン達に向かって手を差し出してきた。

「次にヒンシアに立ち寄る機会があったら、ぜひ新しい教会に顔を出されてください。完成したら、ラティオとロキュアはヒンシアで勤めることになっています」

「はい、皆さんのご活躍、期待しています」

 やっと調子が戻ってきたのか、にこやかに握手に応じてエレムも頷いた。しかしローサには、どういう挨拶をしていいのかとっさに思いつかなかったらしい。

 たとえまたヒンシアに来る機会があったとしても、もうローサに次に会うことはないだろう。死を免れない病を患っている相手に、お元気でなどというのも変な話に思える。

 ローサはなにか言いたげにグランを見上げた。グランはただ笑って、右手を差し出した。

「みんなと、……子ども達と仲良くな」

「グラン……」

 最後くらい、抱きしめるくらいしてやるのも思いやりなのかも知れない。だが、ここに着くまでにはまだ多少は胸を支配していた感傷的なものが、今のグランのなかからは不思議なくらい綺麗に消え去っていた。

 あるのは、もうすぐこの世から喪われる古い友人への、ごく普通の気遣いや名残惜しさで、けしてローサが欲してやまないような類の感情ではなかった。

 少しの間、なにか言いたげにグランを見上げていたローサは、すぐにあきらめたように微笑んで、グランの右手を握った。そのまま、グランに襟を掴まれて仕方なくおとなしくしているランジュにも手を伸ばす。

「グランをお願いね」

 頭を撫でられて、ランジュはなぜか不思議そうにグランを見た後、ローサを見返してにっかりと笑った。

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