37.ひとつの成就とお別れと<4/5>
「大丈夫よ『グラン』、馬車なら町までたいした時間もかからないし、今日は調子がいいの」
「でも」
「あなたには子ども達を見ていてほしいわ。あいつらがまた戻ってこないとも限らないし」
言い募ろうとする『グラン』に、ローサは静かに、しかしきっぱりとした口調で答えた。グランは胸に軽い痛みを感じた気がして、思わず『グラン』から目をそらした。
口ではああいっているが、ローサの本心は、少しの間でも『グラン』から離れてグランと一緒にいたいのだ。自分が望む形の『グラン』が献身的に尽くしているのに、……いや、だからこそ、ローサは余計に、思い通りにならない方のグランの心を、少しでも自分に向けたいと思っているのだろう。
そんなことは『グラン』だって判っているだろう。しかし『グラン』は、ローサの望みを叶えるために存在している。ローサが強く望んだら、抗うことは出来ないはずだ。
それは、『ラステイア』の主であるローサにとって、代償を求められる行為になるかも知れないのに、一方でそいういローサの心の動きを、どこか心地よく思っている自分自身が確かにいるのだ。
「もちろん、帰りもちゃんと馬車でお送りしますよ。私たちは来られないかも知れないですが」
「ジョゼスさまが一緒なのよ、少しでも気分が悪くなったらちゃんと言うわ」
ローサは微笑んだ。『グラン』はなにか言いたそうにしながらも、ローサの心が決まっているのを察したらしく、渋々頷いた。
子ども同士の別れはいつだって悲壮感がない。子ども達は、これが最初で最後の別れになるかもしれないことなど想像もしない。また来るか、明日来るかと楽しみにしながら、そのうち時間と一緒に友達の顔も忘れてしまうのだろう。
ジョゼス達が乗ってきた馬車すらおもちゃにして、最後まで三人の子ども達は楽しそうに遊んでいた。支度を終えたグラン達を乗せた馬車が、ジョゼス達の馬車に続いて走り出したのを、小さな姉妹は見送るカルロと『グラン』の間に挟まれて、笑顔で手を振っていた。ランジュも馬車の窓から顔を出して、しばらく手を振っていたが、牧場の敷地から出て見送る子ども達の姿が見えなくなると、目の前に座るローサに顔を向けた。
「ランジュちゃん、あの子達と仲良くしてくれてありがとう」
グランの隣に座ったローサは、目を細めてランジュを見下ろしている。ランジュは頷くと、なぜかグランにちらりと目を向けた。その目になにかを問うような、妙に大人びた色が見えた気がして、一瞬グランは戸惑ってしまった。
だがすぐにランジュは、何事もなかったように窓の縁に手を置いて外を眺めながら、機嫌良く鼻歌を歌い始めた。
「町に出るなんて久しぶりだわ。手続きが終わったら子ども達におみやげを買ってあげたいの、グランも一緒に見てくれる?」
「あんまり長い時間出歩いたら、体に障るんじゃないか」
「大丈夫よ、そんなに大きな市場じゃないもの」
ローサは楽しそうに微笑むと、グランの腕に手を添えて体を預けてきた。体はやせて肉が落ちて、もたれかかられているのにひどく軽かった。女らしい丸みはだいぶ失われ、腕も手も骨張ってひんやりしているのに、触れられている肌に妙になまめかしいものを感じる。
普段は適当なお喋りで場をもたせるエレムも、なにに気を回しているのか、少し居心地が悪そうな顔で窓の外に目を向けていた。
フスタは小さな町なので、役場の窓口はそんなに混んでいなかった。
体力の落ちたローサには、ちょっとした段差を越えるのも大仕事だ。転んだら危ないので、馬車から役場の待合室までを、グランが横抱きに抱き上げて運ぶことになった。普段から『グラン』にこうやって世話をされ慣れているはずのローサは、どこか恥じらうようにグランの胸に手を添えて均衡をとっている。
ローサは軽いので、この程度なら苦でもなんでもないが、見た目の印象が強烈らしく、後ろからついてきたロキュアが、うらやましそうにひそひそとラティオに囁いた。
「ラティオ、すごいね、本当に騎士さまって感じ! 私もあんな風にされてみたいなぁ」
「ロキュアってばなに言ってるの。あれは……そうね、元騎士さまになら……」
ラティオがぼそぼそとロキュアの言葉を肯定したので、二人達の前を歩いていたジョゼスが盛大に吹き出した。エレムは、役場の前の噴水池から動かなくなってしまったランジュにつきあっていたので、一般女子のこの貴重な意見を聞くことは残念ながら出来なかった。
ジョゼスから事情を聞いた役場の職員は、すぐに別室にローサ達を通して、用意された書類を検分し始めた。グランはすることがないので、ローサを中に運んだあとは廊下の長椅子に座って待っていた。
手続きが終わるまで、さほど時間はかからなかった。書類は完璧だったという。
事情が事情なので、町長まで引っ張り出して書類は即日受理された。正式に小さな姉妹はローサの娘として役場に認められたのだ。その証明書も今日中には完成し、子ども達とローサがヒンシアのレマイナ教会に移るときの手続きのために、ニケルが預かることになっている。
「私たちはほかにも揃えなければいけない書類があるので、一旦教会に戻りますが」
ローサと娘達に関する作業が一段落したおかげでか、晴れやかな表情でジョゼスが言った。
「ローサさん、せっかく街まで来たのだから、診療所で少し詳しくみておきましょうか。買い物が終わったら、早めに教会までいらしてくださいね」
「はい、どこまでもありがとうございます」
疲れた様子もなく、ローサは気持ち頬を紅潮させ、明るく微笑んだ。対照的に、ジョゼスとニケルと一緒に教会に戻らなければいけなくなったラティオは、グランを見て名残惜しそうに頭を下げた。
案内役に残ったロキュアが言うに、市場は道幅がそこそこあるので、屋根のない馬車なら乗ったままでも買い物が出来るらしい。ロキュア達の乗ってきた馬車にローサとランジュを乗せ、グランとエレムはロキュアに先導されてゆっくりと進む馬車について歩くことになった。