35.ひとつの成就とお別れと<2/5>
「お、おいなんだお前」
いい気になってお喋りに夢中になっていたせいで、後ろから近づいたグランに男達は全く気がついていなかった。
グランの取り上げた紙を取り返そうと、男が必死で手を伸ばすが、グランが頭を鷲掴みにして押さえているので手が届かない。他の男達には、昨日自分達を追い返した男が二人いるように見えているから、身構えてはいるものの腰が引けて手が出せないでいる。
グランからその紙を受け取ったエレムが、もっともらしい顔つきで文面に目を走らせた。
「なんだかそれっぽいことが書かれてますけど、ダルフさんが署名してるなら、所在が判っていると言うことですよね? どうして借金しているご本人に取り立てに行かないんですか?」
「そ、それは……」
グランに頭をおさえられた男は、いきなり言い淀んでいる。エレムの笑顔は穏やかなままだが、久しぶりに、古物商で値切り交渉するときのような目に切り替わっていた。
「この委任状の前提になる、ダルフさんが子ども達の父親だと証明する書類はどこにあるんです?」
「そ、それは代訴人の先生が持って……」
「それに、役所がこんな委任状に印を押したりはしませんよ。養子縁組の書類ならもっと別な書式になるはずです。これを作った方は、王室の方が書くような書状と、勘違いしてるんじゃないですか?」
質問はするが、相手に考える隙を与えずたたみかける。いろいろ用意してきた答えはあったのだろうが、男達はうまく言葉を切り返せないようだ。エレムは子どものいたずらを咎めるような、哀れみすら含んだ目でため息をついた。
「公文書の偽造、詐欺、金銭の恐喝、児童の略取、ざっとみてこんな所でしょうか。金貸しがこんな文書を偽造するようだと、融資の書類なども信用できないとお役人に判断されかねませんよね。あなた方の雇い主の事業権にも関わってくるんじゃありませんか?」
もちろんエレムが言っていることが、この国で全て当てはまるのかは判らない。だが、どう考えてもこの書類自体は、ローサを脅して金を巻き上げるための偽造されたものだ。訳知り顔のエレムに、余裕たっぷりにもっともらしいことを並べられ、連中は明らかに怯んでいる。
そろそろお帰り頂いてもいいかなと、じたばたする男の頭を押さえる手にグランが力を込めようとしたところで、牧場の門から一台の馬車が敷地に入ってくるのが見えた。
屋根のない、四人乗りの小さな馬車に、白い法衣を着たレマイナの神官が四人乗っている。後ろに並んで座っているのは、あれはロキュアとラティオだ。グラン達が居るのを見つけたらしく、ロキュアがラティオに嬉しそうに話しかけている。
二人の前に座っているのは、教区司祭のジョゼスと、もうひとり、太い黒縁の眼鏡をかけた中年の男だった。
馬車は彼らのすぐそばまで乗り付けてきた。ジョゼスは一目で、どういう状況になっているか察したらしい。馬車を降りてグランやカルロに目だけで挨拶すると、ばつが悪そうにしている四人の男達にむけて笑みを見せた。
「やぁ、君たちは金貸しのマルコヌさんの所の人たちですよね。こんな所までなにをしに来てるんですか?」
判っているくせに、この男もとぼけたものである。取り繕うように野卑な笑みを見せた男達の代わりに、エレムは持っていた『委任状』をジョゼスに手渡した。
ジョゼスの後から降りてきた黒縁の眼鏡の男も一緒にのぞき込む。一通り眺めて、二人は揃って困ったように苦笑いを見せた。
「なるほど、頑張って作ったものですね。でも残念ですが、この文書は無効ですよ」
「無効って、これは代訴人の先生が作った本物の……」
「本物か偽物かは置いておくとしても、ダルフくんがこんな委任状を書いても意味がないんですよ。あの二人はダルフくんの子どもじゃないんですから。あ、ニケルさん、あの女性がローサさんです」
最後の言葉は、黒縁の眼鏡の男に向けてだった。ニケルと呼ばれた男は、『グラン』の腕にすがるように座っているローサの前に行くと、几帳面な仕草で頭を下げた。
「レマイナ教会南西地区統括本部、法務部所属のニケルと申します。あなたの事情は伺っております」
「はぁ……」
「ヒンシアに新しく立ち上げる教会施設に、孤児院を併設することが本決定しました。ローサさんにはほかに身寄りがないため、ご自分の亡くなられた後、二人のお嬢さんを孤児院に委ねたいと相談を受けているとのことでしたので、そのお嬢さん方に関して……」
いいながら、ニケルが片手を上げた。馬車から降りて様子を眺めていたラティオが、慌てた様子で黒い革のかばんを持ってニケルのほうに駆けていった。かばんから出した書類を眺めながら、ニケルは続けた。
「まず、二人のお嬢さんの出生の届けが、王都近くの町役場に出されていました。父親の名は二人とも空欄のままでした。母親はあの二人を置いてダルフさんの所から出たあと、別の町で亡くなっています。ダルフさんと結婚していた届けはどこにもありませんでしたので、子ども達はダルフさんとは全く無関係です」
本当の母親が亡くなっている、と聞いて、ローサは複雑な表情で『グラン』を見上げた。『グラン』はローサの手を握って、静かに頷いた。
「母親には、姉がひとりいたので、子ども達をひきとるか確認しましたが、これを拒否し、ローサさんに親権を譲ることを了承しました。この国で必要な書類は全部揃えてきました、あとはローサさんが書類に署名して役所に届ければ、正式にあのお二人はあなたの子どもとして認められます」
青ざめていたローサの表情が、花が咲いたように明るくなった。呆然と話を聞いている男達に、ジョゼスは気の毒そうに声をかけた。
「もちろんローサさんは、ダルフくんと結婚していたわけではないから、ダルフ君の借金にはなんの関係もないよ。念のために、マルコヌさんに直接この件を確認したら、ダルフ君の取り立てに関しては本人の所在を確認するまで中断とのことで、君たちにはなにも指示していないと答えたよ。どうも君たちは、本来の取り立ての仕事とは別に、小遣い稼ぎのつもりでローサさんの所に押しかけていたようだね。ひょっとしたら、ここ以外にも小銭が稼げそうな所に勝手に『取り立て』にまわってるんじゃないかな? マルコヌさんに叱られないとよいけどね」
今度は男達の方が青くなる番だった。グランが頭から手を離してやっても、もう騒ぐ気力もない様子だ。
「レマイナ教会建屋には、診療所が必ず併設されます。神官は、皆看護人であり、医師の資格を持った者も多くいます」
ニケルはローサの前に膝をつくようにかがみ込み、優しく顔を見上げた。
「ヒンシアの教会施設が完成したら、ぜひあなたも子ども達と一緒にいらしてください。あなた方の身柄はレマイナ教会がお預かりします。残された時間、お嬢さん方のそばで安心して過ごされてください」
ローサの目から、初めて涙がこぼれた。今までの儚いものとは違う、心からの喜びの笑顔だった。




