34.ひとつの成就とお別れと<1/5>
初めての友達が『ラグランジュ』だったと、いつかこの姉妹は知ることがあるのだろうか。寝るまでの時間を一緒に遊んだ三人の子どもは、結局同じ部屋の同じ寝台の上で朝まで寝息を立てていた。
「まぁ、いいじゃないですか。お友達と一緒の部屋にお泊まりなんて、それだけで子どもはわくわくするものですよ」
自分の寝台を子ども達に明け渡したエレムが、子ども達に薄掛けをかけてやりながら笑った。自分達が離れている間にいなくならないか、などという心配を子ども達にさせないだけ、ローサはいい母親なのかも知れない。
それはいいのだが、背中の打ち身が完全に治っていないエレムは、床の上に毛布を敷いたくらいでは満足に眠れないのが発覚した。しょうがないのでグランが床で寝ていた。
朝になったら、悪い夢のような胸の重さで目が覚めた。
先に目を覚ました子ども達が、グランにちょっかいをだして遊んでいた。
一番小さいのがグランの上にぺったりと乗っかり、ランジュと姉の方はグランの髪を使って三つ編みの練習をしていた。最初は距離をとっていたのに、一晩同じ部屋にいたせいで慣れてしまったらしい。
エレムも止めればいいのに、使った寝具を干したり着替えを片付けたりする間、子ども達が静かでいいからと放っておいたようだ。
朝からいろいろと面倒な気分になってしまった。とりあえず起き上がって、三つ編みだけはほどかせたものの、ランジュと姉は今度はグランの髪を櫛ですきはじめた。小さいのはグランの膝を椅子にして、勝手に人形遊びをしている。もうどうにでもしてくれ。
朝の支度をしろと子ども達を呼びに来た『グラン』が、グランの惨状を見てさすがに口をぽかんとあけていた。
『グラン』が子ども達の顔を洗わせに井戸まで連れていったので、グラン自身は今日帰ることを先に言っておこうと、ローサの居る小屋に向かった。調子がいいのか、寝台に浅く腰掛けて窓の外を眺めていたローサは、グランを見ると嬉しそうに微笑んだ。
ローサは昨日よりも血色がよいようだった。やせた手足も、骨張った指も、昨日と変わりはないはずなのに、ほんのりと赤みを乗せた頬と淡く桃色に光る唇のせいか、ローサは昨日よりも美しく見えた。こう思うのが、もうじき永遠に会えなくなる古い知り合いに抱くただの感傷なのか、『ラステイア』の力の働きのせいなのか判断がつかず、グランは思わず部屋の隅にある棚に目をそらした。
棚の上の木皿に、ランジュが子ども達に分け与えたらしい色のついたガラス玉のいくつかが載っていた。立て掛けられた剣も、いつもの自分ならもっとよく見ておきたいと思うはずなのに、今はなぜか近寄りたい気にもならなかった。
「ロズ、俺達、昼前には帰るよ」
「……そう」
入り口を開けたまま、奥に入ろうとしないグランに、ローサは少し寂しそうに眉を動かした。
「あの子達にもお友達ができたのに、残念だけど……たまには思い出してあげてね」
「レマイナ教会に世話してもらえるなら、エレムのつてで様子が聞けるだろう。あいつの方がきっと気にかけてくれるさ」
「それだと嬉しいわ……。本当に、最後に会えて良かった」
「ああ」
それ以上気の利いた言葉は思いつかなかったし、言う気もなかった。グランは軽く笑うと、すぐに小屋の外に出た。井戸の近くで子ども達に顔を拭かせていた『グラン』が、どこか不安そうにこちらを見ていたが、目が合うとまた不機嫌そうに顔をそらした。
今ならルキルアの部隊はまだ、ヒンシアからさほど遠くない場所にいるはずだ。国境を越えていなければ、馬車で追いつけば合流は容易だ。もし国境を越えていたとしても、エスツファとルスティナなら、上手く自分達が追いつけるように手配してくれているだろう。昼前にここを出れば、夜になる前にヒンシアに戻れるはずだった。
「へぇ、あんたたち、エルディエルとルキルアのお偉いさんと知り合いなのかい」
自分達が昼前には帰ると告げると、カルロは感心したようにグランとエレムを交互に見た。
「だったら、あんた達に連絡を取りたいと思ったら、レマイナ教会か、ルキルア軍の人にでもお願いすればいいんだね。別に、呼びつけるほどの用事はないだろうけど、あたしや子ども達に手紙くらい書かせておくれよ。自分の大事な友だちを懐かしめる知り合いがいるって思うだけで、慰められるものさ」
「僕も、出来る限りあの子達のことは、気にかけてあげたいと思います。もちろん、カルロさんのことも」
エレムは頷いた。カルロは少しだけ目を潤ませたようだったが、すぐに豪快な笑顔でそれを打ち消した。
朝飯を終えると、子ども達は今度は外の草原で鬼ごっこを始めた。朝食こそ一緒にとれなかったものの、ローサは今日は気分がいいらしく、小屋の前の日陰に出した揺り椅子に座って、子ども達やグラン達の様子を嬉しそうに眺めていた。
裏手の小屋にいた御者が出立のために馬車を整えようとしたところで、グランは昨日町で買ったままの食料がそのまま荷台に乗っているのを思いだした。すぐに悪くなるものではないし、置いていってカルロに使ってもらおうと、エレムと一緒に荷物を降ろしていたら、母屋の方がなんだか騒がしくなった。
「……だから、あの子ども達はダルフの子なんだよ? ダルフが金を払えないんじゃ、子ども達にお願いするしかないだろう」
若い男が、精いっぱいガラの悪い声を上げているのが聞こえてくる。昨日の奴らがまた来たらしい。荷物をおろすのは御者に任せて、グランとエレムは母屋に向かった。
昨日、『グラン』に追い返されて行った四人の若い男が、ローサの座った揺り椅子の近くで、カロル相手につばを飛ばしている。『グラン』はローサのそばに寄り添って、きつい表情で男達を見据えていた。
小屋から少し離れた草地でランジュと遊んでいた小さな姉妹は、『こわい人』がローサを囲んで騒いでいるのを見て、動きを止めて立ちすくんでいた。その二人の手を、ランジュがぎゅっと掴んでいる。
いつもはなにも考えていないような顔をしているランジュが、ひややかとしか表現の仕様のない目で、遠くから男達を見据えていた。少なくともランジュ自身はあの男達を怖いともなんとも思っておらず、その冷静さが判るのか、二人の子どもも今は怯えた様子はなかった。
「なにいってんだい、あれはダルフの前の女の子どもで、ダルフは関係ないだろ。あんたたちもわざわざこんな所まで来て遊んでないで、もう少し実のあることをやりなよ」
「自分の子でもないのに、前の女が逃げた後も一緒に住んでるわけがないだろう」
それを言ったら、自分の子でもないのに一緒に連れてきたローサのことはどう説明するのだ。そういう矛盾は考えないのだろう。ローサはこわばった顔で、『グラン』の手を掴んで、男達を凝視している。
「おっと待てよ、今日はダルフからこんなのを預かってきたんだ」
そろそろ叩きだそうかと、『グラン』が一歩踏み出そうとしたのを、男の一人がへらへら笑いながら遮った。そいつが懐から取り出したのは、質の良い紙に筆で書かれた、いかにも役所で使う証文のようなものだった。
「ダルフは子ども達を、俺達に任せたいって言ってるんだよ。もうすぐ死んじまうあんたに、大事な子どもを預けてるわけにはいかないもんな、いいお父さんじゃないか」
「いい加減なことを言ってるんじゃないよ、そんなのでっちあげ……」
「おいおい、代訴士の先生に立ち会ってもらって作った、ちゃんとした委任状だぞ。ほら、ここにダルフの署名と役所の印もある」
男が得意げに示した場所には、確かにそれっぽい四角い印が押され、書類の文字とは違う筆跡で署名がしてあった。それまで威勢の良かったカルロの表情が固くなった。
一緒に様子を伺っていたエレムが、グランを見て軽く肩をすくめた。しょうがないな、とでも言いたげな顔だ。
「もちろんあんたが、ダルフの借金を全部返してくれるなら、こんな紙なんか要らないんだけどな。親の借金を子どもが払うのは当たりま」
「ふうん、代訴人ねぇ」
得意げに口上を並べていた男の頭を後ろから押さえつけ、グランはその紙を取り上げた。