33.昔の俺と今の俺<6/6>
グランがローサと話している間に、エレムは『グラン』と一緒に湯を沸かし、子ども達を風呂に入れていたらしい。太陽の匂いのする夜着を揃って着せられた三人は、なぜかグラン達が泊まる為に整えられた部屋に放り込まれた。その後『グラン』は湯の入った桶と着替えやタオルの入ったかごを持ってローサの部屋に入っていった。
「ローサさんには湯船に浸かるような体力がないから、毎日ああやって『グラン』さんが体を拭いてあげてるんだそうです。見た目は少年のようなのに、熟年の夫婦みたいに献身的ですよね」
グランと同じ顔なのに、とでも言いたそうな口調だ。
比べられても困る。あれはローサの『理想のグラン』だ、俺自身じゃない。
髪がある程度乾くと、子どもたちは今度は床に座って、ランジュが持ってきた絵札で絵合わせを始めた。
小さな姉妹には、質の良い紙に鮮やかな色で文字や絵が描かれた絵札そのものが面白いらしい。今までの環境が環境なので、ランジュが持っているおもちゃの類は、上流階級の子どもが普段使いにするようなものと変わらない。昼間遊んでいたガラス玉だって、この姉妹には宝石のように見えているのだろう。
湿ったタオルをたたんでかごに入れながら、一仕事を終えたような顔で、エレムは大きく息をついた。
「で、どうだったんですか?」
「なにがだよ?」
「ローサさんの所から黙って出て行った理由ですよ」
ちっ、まだ覚えていたか。
「傷だらけで倒れてたのを、助けてもらったんですよね? 命の恩人みたいなものじゃないですか。出て行くのは仕方ないにしろ、なにも言わず突然っていうのは、人としてどうなんでしょう」
「うるせぇな、一〇年前の自分の行動にまで責任持てるか」
「自分の行動なのに、ほかの誰が責任持ってるんです」
人間性まで問われてしまった。グランはランジュの頭を拭くのに使っていたタオルを、エレムの顔に向かって投げつけた。動きを読まれていたらしく、エレムは器用に片手でそれを受け止めてたたんでいる。
「……あいつは、男を駄目にする類の女なんだよ」
子ども達はすっかり絵合わせに夢中になって、こちらの話を聞いている様子はない。グランはあぐらをかいた膝の上に頬杖をついた。
「親身になって世話しすぎるんだよ。いるだろ、ヒモが寄りつきやすい女」
「はぁ……」
「最初のうちは、怪我で動けないから変に思わなかったんだが、傷が治ってからも、過保護な母親みたいに一から十まで世話しようとするんだ。ああいう女は、自分が必要な人間だと思ってもらいたくて、必要以上に人の世話をするんだろうな」
エレムはいまいちぴんと来ない様子で曖昧に頷いた。
「世話好きは悪いことじゃねぇけどさ、合う合わないがあるだろ、やっぱり。俺がもう少し人間が出来てればまた違った別れ方が出来たんだろうが、あの時はあれが精いっぱいだったんだ。……ただ、今にして思うと、暴れて暴言吐いて金目の物を持ち出すくらいの勢いで出てきた方が、マシだったのかもなぁ」
「それじゃ本当のろくでなしじゃないですか」
「でもその方が、置いて行かれる方はすっぱりあきらめがつくだろ。悪者になりきれない辺りが、俺も青かったよな」
どうして男というのは、別れるつもりの女にまで、出来るだけいい顔をしようと思ってしまうのだろう。思わず神妙な気分で振り返ってしまったグランを見て、エレムは小さく笑った。
「そういう経験が少ないのでいまひとつ理解が進まないんですが、黙って出て行ったのも、グランさんなりの誠意だったってことなんでしょうね。人としてどうなのかなんて、偉そうなことを言ってすみませんでした」
「“少ない”って、……少しはあるのか?」
「なんてこと言うんですか」
エレムはむっとした顔を作ると、くしゃくしゃなままのランジュの髪をとかすために、櫛を持って子ども達の方に近づいていった。
まぁ、あいつもあれで、レマイナ教会の中じゃ有名人だしな、あの歳でまるっきりなにもないということもないだろう。一人で勝手に納得していたグランは、ふと扉の向こうに人の気配を感じて顔を上げた。
声もかけずに『グラン』が扉を開けて顔をのぞかせた。遠慮する気などこれっぽっちもないらしい。
「晩飯だぞ」
たいして愛想もないのはどちらも変わらないのに、小さな姉妹は『グラン』の顔を見ると、絵札で遊んでいた手を止めて嬉しそうに手招きした。
「『グラン』、えふだがきれいなの」
「そうか、よかったな」
「『グラン』もえあわせしよう」
「飯食ってからな」
姉妹は頷くと、広げていた絵札を簡単に片付けて立ち上がった。エレムに髪を整えられたランジュが後に続き、たたんだタオルを入れたかごを抱えてエレムも腰を上げる。子ども達が扉をくぐっても、『グラン』はそこから動かず、さっさと出てこいと言うような顔で、座ったままのグランに視線を向けた。
「この兄ちゃんと先行ってな。すぐ行くから」
一緒に立ち止まっている子ども達をエレムの足元に押し出して、『グラン』は視線でエレムに、先に行くように促した。どうやら『グラン』はグランに話があるらしい。エレムが伺うようにこちらを見たので、グランは黙って頷いた。
子ども達がエレムに連れられて、カルロのいる部屋の方に歩いていくのを見送ると、『グラン』は相変わらず不機嫌な目つきをグランに向けた。
「……今回は、お前らになにもする気はない」
「人の顔見て、いきなり剣を抜こうとしたじゃねぇか」
「突然お前の顔を見たら、誰だって剣くらい抜きたくなるだろ」
同じ顔の奴にそんなことを言われても困る。
『グラン』は多少ばつが悪そうに息をついた。
「……お前がいると、ロズがいろんなことを期待しちまう」
「あ? ……ああ」
「望んだら、それが叶っちまう。叶った分だけ、ロズに跳ね返ってくる。それがまずいんだ、判るだろ?」
グランは頷いた。自分たちがここに来てしまったことも、本当ならありえないことだったのだ。もうじき命の灯が潰える人間の、短い残り時間に一気に代償が求められるとしたら……
「ロズだけなら、まだ仕方ないって本人も言うだろう。でも、子ども達にまでなにかあったら困るんだ。だから、明日になったら、早いうちに帰ってくれ。死ぬ前にもう一度お前に会いたいって望みはもう叶ったんだ。ロズは最期まで俺が護るから、残りの時間を、できるだけ穏やかに過ごさせてやってくれ」
途中から、『グラン』の目から不機嫌そうな色が消えたのが判った。
自分が誰かのために本気になったら、気にくわない相手にすらこんな風に必死になれるのだろうか。頭まで下げかねない『グラン』の真剣な表情も、まるで夢の中の自分を見ているように、グランには現実味がわかなかった。
「お前が俺にそっくりな理由は判ったからな。心配しなくてもさっさと消えるさ」
「……そうしてくれ」
『グラン』は少しの間、ほっとした様子を見せたが、すぐに口元を不機嫌そうに引き結んだ。見た目だけではない、仕草や口調まで、ローサが望むものを保ち続けようとしているのだ。
話が済んで、さっさと歩きだそうとした『グラン』を、グランは思わず呼び止めた。
「お前がロズを心配するのは、ロズが“俺”に心配して欲しいって望んでるからなのか? それとも『ラステイア』っていうのは、持ち主がどんな奴でも、持ち主の役に立ちたいといつでも本気で思ってるのか?」
「そんなの判らねぇよ。今の俺は、ロズのためにいる。判るのはそれだけだ」
『グラン』はなんの迷いもてらいもなく言い切った。
ローサが欲しかったのは、そう言ってくれる誰かだったのだろう。そのために、何度も何度も失敗を繰り返して、あげくにこんな遠くまで流れてきたのだ。
それを言わせているのが、昔の姿の自分だというのが、ローサの変わらなさを象徴しているようで、グランにはなんだかやりきれなかった。