29.昔の俺と今の俺<2/6>
エレムがはっとしたようにローサを見返した。どういう顔をしていいのか判らない様子で、問うようなグランの視線にただ小さく頷いた。
「人間の体には本来、自分の体を護るために、害になるものは排除しようとする力があるんです。熱や吐き下しはそういう作用から来ています。……でも、その白い岩は、体の一部にうまくなりすまして、排除されないように患者の体の機能を騙してしまうんです。そのくせ、大きくなると痛みや体全体の不調を作り出したりします。法術でも消えるどころか、逆に働きが活発になるおそれがあるので、手が出せないんです」
「ジョゼスさまも、そうおっしゃってらしたわ。痛み止めと、しびれやめまいを和らげる薬を処方するくらいしか、できることがないって」
「……それって、症状が進むとどうなるんだ?」
「それは……」
言い淀んだエレムに、ローサはただ静かに微笑んだ。
「私は、もって半年くらいだろうって。それを言われたのが半年くらい前だったから、けっこう頑張ってるんじゃないかしら」
「……そうか」
「先が長くないって聞いて、またあなたに会いたいって、思ったの。ずうっと、思ってた。そしたら……」
ローサの視線が、グラン達の背後にある小さな棚に移って、二人はつられて首を動かした。
小さな鏡や薬かごといった小物の置かれた棚の脇に、ひとふりの剣が立て掛けてあった。
柄は、木で出来た握りの部分に布が巻かれただけの簡素なものだ。鞘もなく、剣身は革布でぐるぐる巻きにされている。その、皮布の巻かれていない柄に近い部分に、埋め込まれた真っ赤な石が、日の当たらない部屋の隅で、落日のような昏い光を放っていた。
「あれを……『ラステイア』を手に入れたのか? どうやって?」
「……ごめんなさい。それは、ほかの人に言っちゃいけないみたいなの」
ローサはすまなそうに首を振った。
『ラステイア』は、主をもって具現しても、正体や名前を隠そうとする。契約の時に、持ち主にもその制約がかけられるのかも知れない。全く名前が知られていないのは、そのせいなのだろうか。
油断をすると、自分から正体をばらしかねない『ラグランジュ』とは大違いだ。
「でもあれを見つけたら、『グラン』が……『彼』が現れたの。あなたを拾った時みたいだった。嬉しかった……」
ローサは本当に嬉しそうだった。エレムは相変わらず、どういう表情をしていいか判らない様子だ。ランジュが読み終えた絵本を丁寧に閉じ、テーブルの上に置いた。
「……グランは、どうしてここに?」
「俺とそっくりの男がいるって聞いたからさ」
「そう……『彼』が呼んでくれたのね」
そうか、こうやって持ち主の望むことを叶えていくのか。グランはローサを見返した。
「ロズ、あれがなにか知ってるなら、判ってるんだろ? あいつは持ち主の願いをただで叶えるわけじゃないんだぞ、必ず代わりのものが求められるんだ」
「判ってる。……でも、もう失うものもないし」
言いながら、ローサは無意識のようにランジュの頭に手を伸ばした。
「心配なのは、あの子達のことだけ……。でも昨日いらしたジョゼスさまが、ヒンシアに新しいレマイナ教会建屋が誘致される計画があるから、孤児院の併設も働きかけている所だっておっしゃってくださって」
「ああ……」
「あとは、問題なくあの子達を面倒見ていただけるのが判れば、私はもういいの。あなたにも会えた。代償になにを求められても、甘んじて受け入れるわ」
ランジュはきょとんとした顔で、自分の頭を撫でるローサを見上げている。ローサの表情は穏やかで、迷いは見られなかった。かける言葉が思いつかず、グランはただ息をついた。
「嬉しくて、なんだか疲れちゃった。少し休みたいわ」
ローサは満足そうに目を伏せた。確かにさっきよりも、起きているのが辛そうだ。
「急がないなら、今日は泊まっていって。せっかく来てくれたんだから、もう少しお話しが聞きたいわ」
「構わないが、……あいつが嫌がるんじゃないか?」
「大丈夫よ、ああ見えて『彼』は優しいのよ、昔のあなたみたいに」
グランは苦笑いして立ち上がった。ふと窓の外に目を向けると、草原で鬼ごっこでもしているらしい二人の子どもと、その近くで『グラン』が面白くなさそうな顔で子供達の様子を見ているのが見えた。
小屋の外に出ると、最初にあった恰幅のいい女が、建物横の庭と呼べなくもない場所に作り付けられた木のテーブルに布を広げ、その上に水差しに入った牛乳やカップを並べているところだった。あの女がカルロというのだろう。
カルロは出てきたグラン達に気付いて、他意のなさそうな笑顔を見せた。
「あんたたちの乗ってきた馬車の御者さん、別の小屋で休んでもらってるよ」
「すみません、突然押しかけたのに……」
エレムは素直に頭を下げた。そういえば馬車のことをすっかり忘れていた。
馬車は少し離れた納戸のような小屋の横に停められ、馬はそのそばにつながれて水を飲んでいた。
「なんだかよく判らないけど、ローサの知り合いなら大歓迎だよ。昼は固パンとスープくらいしかないけどいいかい」
「あ、はい、お手伝いします」
「いい、いい。それよりあの子達の面倒見ておくれ、『グラン』は先にローサに薬を飲ませなきゃいけないから……」
言いながら、グランと、二人の女の子を連れてこちらに歩いてくる『グラン』を見比べた。
「あんたも同じ名前なんだっけ? どう呼べばいいだろう」
「あんた達のやりやすいようにでいいよ、よそ者に気を遣うことはない」
「それもそうか」
カルロは豪快に笑いながら、窮屈そうに体を縮めて小屋の入り口をくぐっていった。
戻ってきた『グラン』は、相変わらず不愉快そうにグランを見たが、なにも言わずにカロルの後に続いて小屋の中に入っていく。
外に残った二人の子どもは、グランを見てとても不思議そうな顔をした後、エレムの横に立つランジュに目を向けた。自分達以外の子どもをあまり見ないのか、とても興味津々といった様子だ。エレムはゆっくりと二人に近づくと、屈み込んで笑顔を作った。
「こんにちは、僕はエレムといいます。こっちの子はランジュ」
子ども相手にまで律儀に自己紹介している。童顔で人の好さそうなエレムは、レマイナの法衣を着ていることもあって、どこに行っても誰に会っても、あまり警戒されることがない。二人の子どもは少し戸惑った様子で顔を見あわせたが、怯えている気配はなかった。
小さいもの同士が接触を図っている間に、粥の入った椀と水差しを盆に乗せた『グラン』が、ローサのいる小屋に入っていった。どうやら『グラン』は、ローサの身の回りの世話までしているらしい。グランはすることもないので、丸太を輪切りにしただけの簡単な椅子に腰を下ろした。
「あの子達、ローサの子じゃないんだよ」
スープの入った鍋をそのままテーブルの上に置いて、カルロが話しかけてきた。




