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26.南へ、過去へ<4/5>

「ロキュアさん達が、僕がはやり病で親族を亡くしたって話をしてたのに、全然驚いた様子がなかったから」

「ああ……まぁな」

 ラムウェジからは、エレムがラムウェジの養子になったいきさつも、こうして自分の意思で旅をしている理由も、一通り聞いてはいる。ただ、エレムが自分で話さないなら、それはそれでいいともグランは思っていた。

 エレムも、グランがどうしてこういう生活をしているかなどとりたてて聞いてこないし、グラン自身も必要もないのに話すつもりもない。それは、一緒に組んで旅をするのとはまた別の次元のことだ。

「実は、僕はラムウェジさまに出会って、一緒に旅をするようになる辺りまでの記憶が、ほとんどないんです。おかしいですよね、五・六歳にはなってたはずなのに、自分の親兄弟の顔も、家の中の様子も、どんな友達がいたのかも、全然思い出せないんです」

 エレムは、杯に映る自分の顔をのぞき込むように見下ろし、目を伏せた。

「ラムウェジさまが、僕の住んでいた町に来られた時の話は、何回も聞きました。道路にまでたくさんの人が倒れて、ラムウェジさまは片っ端から声をかけて、生きている人を一人も見逃さないように、町の隅々まで見て回ったそうです。僕を見つけたときの光景は、まるで絵に描かれたみたいに、僕も自分のまぶたの裏に思い描けるくらいです。僕は、僕の妹と弟を両腕に抱いて息絶えていた母のそばに、黙って座っていたんだそうです。母は壁にもたれて、窓から差し込む光が麦穂の色のように僕らを照らして、その中で僕がたった一人生きて座っていて、ラムウェジさまは、本当にレマイナが僕のことを見守っていたんじゃないかと思ったくらいだったそうです。でもこれは、ラムウェジさまの目から見た光景で、僕は全く母の顔も、兄弟達の姿も思い出せないんです」

 ラムウェジの話では、エレムは保護されてからしばらくの間、泣きも怯えもせず、全く無表情だったという。

 人は自分の心の許容量を超える出来事に遭うと、なんらかの形で自分を護ろうとする。エレムは当時の記憶を封じ込めることで、自分の心が壊れるのをかろうじて防いだのだろう。

「僕だけが生き残ったのは、全財産をはたいて買った僅かな薬を、両親が僕に与えたからだろうと聞きました。多くいた兄弟達の中で、なぜ僕だったのか、それはもう推測するしかありません。手に入った薬の量が少なかったから、体が大きな上の兄弟には足りないと判断したか、僕より小さな子達はもう亡くなっていたか……。ラムウェジさまの推測は、こうして僕が薬の知識を学んだ今でも、的確だと思えます。誰か一人を選ばなければいけないというのは、親としてもとても辛い選択だったろうと思います。それでも、自分達よりも子どもを、その中でもより生き残れる可能性の高い子をと考えて、僕にすべてを託したんだと。それは愛以外のなにものでもないって、ラムウェジさまはおっしゃいます。僕もそうだと思います、理屈としては」

 それまで、形だけは笑顔を保っていたエレムが、息を殺すように唇を引き結んだ。

「……でも、小さい兄弟を抱きかかえて僕の目の前で母が亡くなっていた光景を思い描くと、それとは別のことも考えてしまうんです。僕に生きて欲しいと願ってくれたのは、頭では判ります。もし僕がラムウェジさまの立場なら、やっぱり同じように説明すると思います。僕の命をつないでくれて、両親にはとても感謝しています。でも……やっぱり、考えてしまうんです。両親は、母は、なぜ僕を連れて行ってくれなかったんだろう。ほかのみんなは連れて行ったのに、どうして僕だけを置いていったんだろう。どうして僕だけが、ひとりぼっちで残されてしまったんだろう」

 まだ三分の一ほど葡萄酒の残った杯を包み込む両手の上に、いくつもの雫が落ちてはじけていく。エレムは泣いていた。

「おかしいですよね……。頭では判っているのに、心の中に、いつまでも母に問いかけている自分がいるんです。僕は要らない子だったんじゃないか、僕が悪い子だったから、両親に棄てられたんじゃないかって。そうじゃないのはもちろん判ってます。でも、自分でいくらそう思っても、他の人にいくら言われても、駄目なんです。でも死んでしまった人に、もうなにも聞けないじゃないですか」

 酒が入っているせいか、エレムは涙を流す自分の顔を、グランから隠そうともしない。かける言葉もなく、グランは黙って自分の杯を口に運んだ。

 エレムが、伯爵夫人の死に目のことにこだわるのは、このせいなのだろう。死んだ夫人の立場ではなく、残される子どもの立場になって考えてしまうから、夫人が死に目に家族に会うことを選択しなかったのを、いつまでも納得できないでいるのだ。

 ため込んでいたことを全部口にすると、エレムはそのまま声を殺して泣き続けた。

 なにを言っても無駄だと判っている以上、グランに出来るのは黙って泣かせておいてやることくらいだった。しばらくそのままなにも言わずにいたら、それまで静かに絵札で遊んでいたランジュが、いきなり起き上がった。

 エレムの後ろに膝で立ち、ランジュはエレムの頭に手を伸ばした。ランジュに『いいこいいこ』されて、驚いた様子でエレムは顔を上げた。

「……まいったな」

 ランジュは笑うでも一緒に泣くでもなく、ただ黙ったままエレムの頭をなで続けている。自分の頬が涙で濡れているのにやっと気付いた様子で、エレムは慌てて手の甲で目元を拭い、それでも足りなくて手近にあったタオルで顔を拭いて、泣き笑いのような笑顔を見せた。

「ごめんね、驚かせたね」

 ランジュは首を振ると、今度は背中からエレムの首に抱きついた。エレムはくすぐったそうにしながらも、ランジュのするに任せている。

 どっちが世話されてるんだか判りゃしない。エレムが飲み残した葡萄酒を自分の杯に移して、グランはまた窓の外に目を向けた。さっきよりもずっと夜の色の濃くなった空に、少しづつ輝きを増した星が現れはじめていた。

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