23.南へ、過去へ<1/5>
そういえば、結局ルスティナには、天幕でキルシェに押し倒されたことの言い訳というか釈明というか説明が出来ないままだった。
馬車の窓の縁に肘をかけ、グランは大きなため息をついた。窓の外に見える緑の多い風景も、今は目に入っていないようだった。
でもあの後も、特に変わった様子もなかったし、やっぱりお友達枠なのかね、俺は。こんなにいい男なのに。物憂げなグランの様子を見て、はす向かいに座ったエレムがいくらか心配そうに眉を寄せる。
「……どういうことなんでしょうねぇ」
「ああ、よく判んねぇよな」
答えてからグランは、エレムが自分の考え事とは全く違う話題を切りだそうとしているのに気付いて、曖昧な顔で口を閉ざした。そうだった、エスツファとエレムの話の間、天幕でキルシェとグランが無言の攻防を繰り広げていたのは、とりあえずエレムにはばれてはいない。
出立前に早めに済ませた昼飯で腹が満足したのだろう、ランジュは狭い馬車の座席に横になり、エレムの膝に頭を乗せてうつらうつらしている。まったく、どこに行っても食ってるか遊んでるか寝ているかのどれかなのだ、ランジュは。
フスタという町は、ヒンシアから南東に向かう道を、馬で半日ほど行ったところにあるという。ヒンシアから一番近い、レマイナ教会建屋がある町だ。そのフスタから更に半刻ほど馬車に揺られたところに、ジョゼスが昨日訪れたマルヌの村があるという。
ルキルアの部隊が移動を開始するまでの時間、グラン達はエスツファとルスティナを交えて、ジョゼスから聞いたことを改めて整理した。全員一致で出した結論は、『ラステイア』が新しい持ち主を得た可能性がある、だった。
『ラステイア』とは、『ラグランジュ』の対になる存在で、『ラグランジュ』とは真逆の性質を持っていると考えられる。
その『ラグランジュ』とはなんなのかといえば、『手にした者に望むものを与え、成功と栄光を約束する伝説の秘宝だか秘法』として広く世の中に知られている。
その点だけなら、世間的には無名の『ラステイア』も同じなのだが、実はこの噂には、大事な部分の説明がないのだ。
『ラグランジュ』は、主となったものの望みを叶えるためと称して、「試練」「機会」という名の厄介ごとを引き寄せる。欲しいものを手に入れたかったら、相応の苦労をしろということらしい。
逆に『ラステイア』は、先に欲しいものを欲しいだけ与えるようだ。主となったものは、望みを叶えるための苦労はさほどしないものと思われる。しかし問題はその後で、『ラステイア』は、手に入れたものにふさわしい代償を持ち主に必ず支払わせる。
支払いが先に来るか、後になるかの違いだけで、どちらも基本は等価交換なのだ。
厄介なのは、人の欲には限りがないということだ。
『ラステイア』の持ち主は、言ってしまえば後払いで幸運を買っているだけに過ぎない。それなのに、まるで財布の中身は無限であるかのように、次々にあれもこれもと手を出して、支払い能力を超えても買い物をし続け、最後の精算の時にすべてが破綻するのだ。
グランがその『精算』に立ち会ったのは一度だけだが、本人に支払い能力がないからそれ以上は免除、ということにはならないようで、たぶん本人が得たものとまるっきり同等のものが、本人とその周りを巻き込んででも差し押さえられる。自業自得と笑うにもたちが悪すぎる。
ただ、その『ラステイア』だって、こちらと関わらずに勝手にやってくれるなら、問題は……大ありだろうが、とりあえずグランが口を出す理由はないのだ。あんなもの、欲しがるのも使うのも好きにすればいい。ただ、遠くで目立たないようにやってほしい。俺を巻きこむな。
しかし今回は、人の形に具現した『ラステイア』が、あろうことかグランとそっくりの姿をしていると思われる。正確には、ひとまわり若い姿らしいが、なぜ自分の姿をとることでその持ち主に有利にはたらくのかが、グランには月並みな想像しかできなかった。
『ラステイア』を手に入れた者の願いがなんなのかにもよるが、勝手に自分の姿形をまねられて、もし悪さでもされたらたまったものではない。
とにかく、グラン達が一度様子を見に行くということで、話がまとまったのだ。
アルディラとオルクェルには、『ヒンシアでの建屋の誘致の件で、レマイナ教会の統轄支部側から、直接事件に関わったエレムとグランからも話を聞きたいと頼まれた』と適当に説明しておくことになった。
そもそもレマイナ教会建屋の誘致をもちかけたのはこちらだから、オルクェルはそれで納得するだろう。アルディラは多少不機嫌になるかも知れないが。