16.天幕の攻防<3/4>
「はい、自分の問題だとはっきり判っただけでも、ちょっと楽になった気がします。お忙しいのに話を聞いてくださって、ありがとうございます」
「いやいや、聞くだけで楽になるなら、いくらでも聞くさ。おれは、元騎士殿も、エレム殿も、大事な友人であると思っているよ」
その大事な友人の一人が、天幕の布を挟んだところで女に遊ばれているのだからなんだか申し訳ない気がする。案の定、抵抗しなくなったグランにまたなにかしようと思っているらしく、キルシェが首を動かす気配が伝わってきた。
グランは左手でキルシェの頭をわし掴み、そのまま自分の胸に押しつけた。もういい加減黙ってろ。
「そろそろ、元騎士殿も町から戻って来るかも知れぬしな。少し早いが、嬢ちゃんも入れて午後のお茶の時間とでもしようか」
「そうですね、すっかりほかの方に面倒かけてしまいましたし」
言いながら、立ち上がった二人がその場を離れていくのが判った。その気配と足音が完全に遠ざかった所でやっと力を緩めると、頭をおさえられて両腕をぱたぱた動かしていたキルシェが、グランの胸から顔を離して大きく息を吸い込んだ。桜色に染めた頬にわざとらしく手を当て、恥ずかしげに視線をそらす。
「もう、グランったら積極的なんだから」
「おーまーえーはー」
「あ、やだ怒ってる」
あの二人がいなくなったら、やっぱりグランにちょっかいを出すのはどうでもよくなったらしい。ぺたんと座り込んで、キルシェは丸めた拳を可愛らしく口元に持っていった。
「なんかほら、深刻な話っぽかったし、場を和ませようかなって……」
「俺を和ませてどうするんだよ。つーかあの状態で和めねぇよ」
「じゃあ今からなご……」
「いいから、なにしに来たか言え」
グランがしっしと手を振ると、キルシェはつまらなそうに頬をふくらませ、すぐにあきらめたように息をついた。
「もー、これでも悪かったと思ってるんだから」
「だからなにをだよ」
「だから、あのおばさんのこととか、いろいろ」
「あのおばさんって、伯爵夫人のことか」
悪いと思ってたなら、まず崩壊寸前の城に俺達を放っていったところから謝ってもらわなきゃならんのだが。
グランの冷ややかな視線に、キルシェは可愛らしく首をすくめて見せた。
「坊やの様子が変になったのって、あのおばさんのことが片付いてからでしょ? 最後に、余計なこと言っちゃったかなーって、さすがに気になっちゃって」
「余計な……? ああ」
あの時はさすがにエレムも腹に据えかねてたようで、キルシェをきつい口調で詰問していた。それに答えてキルシェが言い放ったのだ。
『あたしから見たら、グランやあたしよりも、坊やの方がずーっと欲ばりよ。強くなりたい人の役に立ちたい、いろいろなことを知りたい、あれも欲しいこれも欲しいだもの。そんなにいろんなものを欲しがって、あなたはいったいなにになりたいの?』
どうせこの女は、口で言うほど自分が悪いことをしたとは思っていないのだ。グランはそっけなく答えた。
「怪我で気が弱くなってるのかも知れねぇぞ。誰かさんが放っていったせいでさ」
「だーからー、悪いと思ってるって言ってるでしょー」
むっとした様子で、キルシェは形のいい唇をとがらせる。
「あたしの転移の魔法じゃ、せいぜいあたしともう一人分くらいしか、一緒に移動できないのよ。それ以上は魔力の消耗が激しくて逆に危険なの。別に、わざとあなたたちを見捨てていったんじゃないんだから」
「ふーん」
「ほんとだってばぁ」
キルシェは子どもが訴えるように、両手でグランの右手首を掴んで大げさに振り回した。仕草は可愛らしいが、見かけが踊り子のように肉感的なので、甘えるような無駄な色気ばかりが余計に目につく。
「それで、あの城はどうなっちゃうの? 壊しちゃうの?」
「まだ決まってねぇよ。お前、今ならあそこに入れるんじゃねぇの? 動力炉が停まって、もう結界とかいうのもなくなってんだろ? 悪いと思ってるなら、ちょっと行って様子でも見てくればいいじゃねぇか」
「行ってきたわよ」
キルシェは肩をすくめた。すくめるのはいいのだが、一緒に腕で胸元を寄せて強調する理由はなんなのか。
「上の階が崩れた、その下敷きになって、動力炉の部屋はぺしゃんこ。下の階に続く階段の入り口は勝手にふさがってた」
「ふさがってた? 瓦礫で?」
「違うわ、そこも元から床だったみたいに、綺麗に。動力炉に異常が起きると、修復中に侵入されないように勝手に入り口を閉じちゃうんじゃないかな」
「下から来る人間なんかいないのに、階段を使えなくしても意味ねぇんじゃねぇの?」