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15.天幕の攻防<2/4>

 グランの視界いっぱいに、燃えるような薔薇色の髪が飛び込んできた。例の魔法で出てきたらしいキルシェが、グランの腕に体全体でぎゅっと抱きついているのだ。

 思わず声を上げそうになったグランの顔を見上げ、キルシェは背後をちょんちょんと指で示し、いたずらっぽい笑顔で舌を出した。

「戦うことを生業にしてる人です。きっと、僕なんか想像もつかない経験をたくさんされてきたと思うんですよ。実際に、命を落とした知り合いもいるようなことを言ってました。それなのに、グランさんは戦うことにも生きることにも、全然、迷いがないんです」

 そうだった、天幕の外ではエレムとエスツファが会話している真っ最中なのだ。声なんか出したら、盗み聞きをしていたのが一発でばれる。いや、別に盗み聞きなどするつもりはなかったが、今更出て行けない。

「僕は剣を背負う資格を得てはいますけど、これを特定の国家の益のために用いることは出来ません。なので、僕と旅をするようになってからのグランさんは、野盗退治のための義勇兵や、商隊キャラバンや要人の護衛といった、公共性の強い仕事を請け負ってお金を得てきました。だから、僕は本当の戦場を知りません。……もちろん、野盗退治だって、盗賊に狙われた商隊を護るのだって、普通は命がけなんですけど、グランさんにかかるとそういうの、ほんとに大人と子どもの喧嘩みたいになってしまうんですよね。相手が命を賭けてまで襲ってくる気がないから、というのもあるんでしょうけど……」

 右手をふさがれているので、グランは左手でキルシェの頭を押して体を離そうとした。別にこの程度で焦ったり困ったりするほどうぶなわけでもないのだが、後ろで真面目な話をしているのに、こんなよく判らない女といちゃいちゃしていても楽しくもなんともない。

 だがグランが嫌がっているのに気がついたキルシェは、髪が乱れるのも構わない様子で、しがみつく腕に更に力を込め、妙に布地の少ない踊り子のような服に包まれた体を更に密着させてきた。

「でも、どんな時でもグランさんは、味方が勝って自分が生きるために全力で考えて、手を尽くすひとなんです。相手の実力や目的を見抜いて、それなりに手加減はしてるみたいなんですけど、絶対油断はしないし、相手の戦力や戦意を喪失させるまで、徹底的に叩きます」

 しばらく無言で押し合っていたが、息が切れてきそうになったので、グランはあきらめてキルシェを腕にくっつかせたまま、細く長いため息をついた。もみあってじたばたしていたら、かえって外の二人に気配を悟られてしまう。

 グランが抵抗をやめると、キルシェは薔薇のように艶やかに微笑んだ。明らかに、その下でなにか企んでいる笑顔である。

「じゃあ、死ぬのが怖いのかと思えば、そんな風にも見えないんです。死ぬことなんか怖がってないように見えるのに、生きることに迷いがないんです。髪も瞳も黒くて、あんなに強くて、きっと敵として向き合ったら死神にしか見えないんじゃないかと思います。でも、剣を抜いたときのグランさんって、なんていうか……光そのもののように見えるんですよね」

 後ろでなんだかいいことを言ってる気がするのに、キルシェは瞳を潤ませて今度は右手をグランの肩に添え、顔を顔に近づけてこようとした。もう完全に遊ばれている。

 天幕の布越しで続いていたエレムの言葉は、一旦途切れたようだ。聞き手に徹しているエスツファは、先を促すためにあえて黙っているのだろうが、ここでこの沈黙は痛い。こちらが物音を立てたら確実に聞こえる。

 とにかくグランは必死にキルシェの肩を押し戻した。恥ずかしいわけではないが、とりあえず場所を選べ場所を。いやきっと、今だからこそ、こういういたずらをしているのだろうが。

「……エレム殿は、夫人に関する、元騎士殿の判断は誤りではないと、きちんと判っているのであるな」

 いつもの飄々とした感じではなく、どこか優しげなエスツファの声がやっと沈黙を破った。エレムの中ではまだ、夫人とその家族についてのことは、片付いていないのだ。

 エスツファがどんな顔をしているか見てみたい気もしたが、それより今は目の前のこの女である。さすがにグランの力を押し切れないと判断したのか、今度は力を入れる方向を変えて、キルシェはグランの胸に頬をすり寄せてきた。肩を押さえていたせいで、すんなり懐に入られてしまったのだ。肩ではなく額を押さえるべきだった。

「それなのに、未だに振り返ってあれこれ考えているのは、夫人の家族のことを思いやっているようで、実際はエレム殿自身の中にあるものの問題なのであるな」

「そう……そうなんですよね、きっと……」

 まともにキルシェの相手をするのも、だんだん面倒になってきた。服に紅をつけられなければまぁいいかと、半分あきらめてグランが肩をつかんでいた手を離すと、キルシェはグランの背中に腕を回してここぞとばかりに胸に体を押しつけてきた。髪の色に合わせた香水でも使っているのか、柔らかい薔薇の香りが鼻に触れる。

「いや、詳しく話したくないならよいのだよ」

 後ろではやっと、話が一段落つきそうな気配だ。エスツファの声に、エレムが頷いた気配があった。

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