14.天幕の攻防<1/4>
まだ本調子ではない所に、人と会ったり法術を使われたりで疲れが出たらしい。エレムは少し休むといって、また天幕に戻ってしまった。
ランジュは、エスツファと一緒に戻ってきた兵士達が相手をしてくれるという。結局グランは一人で町まで行って、自分の用事を片付けることになった。とはいえ、浴場に行ったついでに必要なものを買い足す程度で、後は特にすることはなかったのだが。
せっかくだし、出立の前に湖上の城をもう一度見ておこうと、グランは水路の橋を越えて防波堤まで行ってみた。
防波堤の広場は、この前の夜とは別な活気にあふれていた。なにしろ、あの夜の騒ぎは、町の住人のほとんどが知っているし、実際に城を守る火の蛇と竜巻のぶつかり合いを見ていた者も多い。すっかり生きた伝説の地になった湖上の城を見ようと、物好きな者たちが近隣から集まっているのだ。
あまりにもあの光景が派手だったから、あの炎の蛇の下をくぐりぬけ、グラン達が浮き橋を抜けて城に入ったところは、見物人にはよく見えなかったらしい。表向き、魔女を倒したのは、オルクェルとその部下ということになっているので、グランが歩いていても特に騒がれることはなかった。
静かで何事もなかった時の湖の眺めは、それこそ風景画のように美しくて趣があった。魔力による保護を失った湖上の城はすっかり荒れ果て、今はいかにも『魔女が住んでいた城』のように凄みがある。これはこれで、新しい町の名所になりそうだ。
あの下に、いつからできたのかも判らない人骨の砂山があることは、もう永遠に闇に葬ってしまった方が、町の為にはいいのかも知れない。真実が明らかになることが、必ずしも全ての人のためになるとは限らないのだ。
眺めているうちに、だんだん気が滅入ってきてしまった。町で遊ぶ気にも食事をする気にもならず、適当に何本か酒を買っただけで、グランは郊外の部隊に戻った。
グラン達の天幕には、誰もいなかった。エレムが使っていた夜具もきれいにたたまれて、掃除までしてある。なんの用でまた出て行ったのかは知らないが、病み上がりのくせにどこまでも優等生だ。
一緒の天幕を使っているほかの兵士も、まだ戻ってくる様子がない。昼間から一人で酒を飲むのもつまらないから、結局グランは腕を枕にして寝転がって、しばらくうつらうつらしていた。ルキルアを出てから、いつも周りには誰かしらいて、こうして一人で暇をもてあますのも珍しかった。
浅い夢をかき分けるように、人の気配と足音が天幕に近づいてくるのが判った。ルキルアの部隊の天幕だから、別に警戒しなければならないような人間が来るわけでもない。二人分の足音は、天幕の近くに置いてある丸太にそれぞれ腰を降ろしたらしかった。
「……なるほど、元騎士殿が言いそうな事であるな。確かに、夫人に関してはその通りだとおれも思う」
笑みを含んだエスツファの声が、天幕の布越しに聞こえてきた。ということは、もう一人の足音はエレムらしい。
「しかしあの御仁は、あれで体と同じくらい頭も動かしているようであるな。口より先に手が動いているようなのに、考えることも筋道が立っていて不思議なものだ」
「グランさんは、もともと頭のいい方だと思うんですよ」
なんだ俺の話か? グランは思わず耳をそばだてた。
「一見やることは乱暴ですけど、でもちゃんとそうする理由があるんですよね。僕みたいに、いちいち立ち止まって考え込まないから、体の方が先に動いているように見えるだけで」
「迷いが命に関わってくる商売であるからな」
寝直すつもりだったのに、自分の名前が出てきたせいで目が冴えてしまった。しょうがないので、グランは自分の動きを気取られないように静かに座り直した。
「しかし、エレム殿のような温厚な方が、教会の指示を離れて一人で行動をしているというのも珍しいのに、元騎士殿のような規格外の御仁と組んでいるのも面白いものであるな。わりと付き合いは長いのであろう?」
「そういえば、あまり考えたことがなかったですね。いつからだったろう……」
なんの規格だ。人間性か? それは褒めてるのか?
考え込んだらしいエレムに、エスツファが笑みを漏らした気配があった。
「あまりに違いすぎるから、逆に気があうのかも知れぬな」
「今までに見ない類の人だったから、不思議な人だなと思った記憶はありますね。あんなに見た目が綺麗で、それこそ顔だけで食べていけるような人なのに、すごく強いし、口は悪いし、やることは極端だし……」
お前も褒めるかけなすかはっきりしろ。グランは口の中でぶつぶつと突っ込んだ。思い起こせば、エスツファがグランに最初に言ったのも、『あんた面白いな』だった。俺は珍獣かなにかか。
「でも、そういう目に見えるところだけじゃなくて、なんというか……とても真っ直ぐ前を見てる人なんですよね」
そりゃ後ろに目はついてないからな。内心で答えつつも、なんだかエレムの口調がしんみりした感じだったので、グランは思わず息をひそめた。
その瞬間、いきなりグランの隣に人の気配が湧いた。ぎょっとして目を向けるより先に、柔らかい感触が右腕にへばりついた。




