12.女神様の使者<4/5>
「人々の命の源である慈悲深き女神レマイナよ、あなたの手の小さき命のひとつに、慈愛の微笑みを向けたもう……」
法術を使う際の、神官の祈りの言葉は、一定していない。祈りの内容は、その人間のその時の心や周りの状況で微妙に変わるものだから、決まった文句である必要はない、というのをグランはいつだったかエレムに聞いたことがある。前に一度だけエレムが見せた法術の時のあの祈りは、祈りと言うよりは半分叫びだった。要は、なにかに届けばいいのだろう。
ロキュアの声に応じて、目には見えない、力そのものとしか言いようのない気配が、微かに彼女の周囲に広がったのが感じられた。一旦広がった力は、すぐにロキュアの手のひらの周りに集まった。
気持ち身を乗り出すように眺めていたルスティナが、息を飲んだのが判った。乾いてはいたものの、瓦礫で点々とえぐられるようについていたエレムの背中の傷が、みるみるふさがっていくのだ。
輝かしい奇跡の光といった、派手なものは一切無い。目に見えるのは傷が癒えていく光景だけなのが、余計に印象強い。さすがにエスツファも、これには心底感心した様子で見入っている。
「……どうでしょうか」
そんなに長い時間ではなかっただろう。ロキュアの疲れたような声に、グラン達はやっと我に返った。ロキュアは大きく息をつき、少し下がるとだいぶ疲れた様子でへたりと座り込んだ。
「話には聞いていたが、実際見るとすごいものだな……傷がふさがる瞬間など初めて見た」
ルスティナが素直に驚いているので、ロキュアは呼吸を整えながらも嬉しそうに笑みを見せた。
新しい皮膚はまだ薄いのか、傷が癒えた後の肌は周りよりも赤みを帯びている。傷がふさがったことで、傷ついてむけた皮やかさぶたが周りに浮き上がって取り残されているのが、実際に自力で傷がふさがった証しのようで、妙に現実味がある。
ルスティナに促され、リオンが乾いたタオルでエレムの背中を軽く撫でると、かさぶたやはがれた皮が、ある程度取り除かれて綺麗になった。
「ど、どんな感じだ?」
「ああ、ちょっと突っ張った感じはしますけど、ひりひりした痛みは消えました。自分で自分の背中が見られないのが残念なくらいです」
エレムは見えない背中をのぞき込むように首を巡らし、すぐにあきらめた様子で、自分の後ろにへたり込んでいるロキュアに向き直った。
「ありがとうございます、傷に気を遣わなくていいのはとても助かります」
「い、いえ、打ち身まで治せなくて、申し訳、ないのです……」
間近でエレムに笑顔を見せられて、ロキュアはみるみる真っ赤になっていく。息を切らせているのも、疲れているからか、緊張しているからか見分けがつかなくなってきた。
「でも、『打ち身まで手を出すと逆に本人が疲れる』って、どういう意味だ?」
「あ、はい。人を癒す法術は、基本的に、その人が持っている『自分を治す力』を手助けしているだけなんです」
隅のついたての陰でエレムが着替え始めたので、グランはロキュアに訊いてみた。ロキュアはやっと息を整えた様子で、言葉を探すように首を傾げた。すぐには上手い説明が思いつかなかったようで、ちらっとラティオに目を向ける。
ラティオは頷くと、眼鏡を多少持ち上げるようにしてグランを見返した。
「怪我や病気の時って、いつもより疲れやすくなりますよね。すぐだるくなったり、眠る時間が長くなったりします。あれは、自分の体を治すために、体が集中して頑張っているから、というのも、あるんです。普段の生活に10の力を使っているとしたら、怪我や病気の時は、それを治すために3くらいの力をとられてしまっているからです。そのあたりは、元騎士様も感覚でお判りじゃありませんか?」
「あ、そうだな」
「体が一日に3の力を使いながら、三日かけて傷を治すとして、法術で一度に治すと9の力が必要になります。一日に使える力は10しかないのに、一日で9の力を使うと、残っている力は1だけになります。これではいくら傷が癒えても、ほかの活動に力が回せなくなってしまいますよね」
極力判りやすく伝えようと、ラティオは言葉を選びながら続けている。
「法術による癒しは、『自分自身を癒す力の速度を速めて助けているに過ぎない』というのが基本の考え方です。本人に蓄えられてる力で治すのですから、癒える時間が早まると、治癒に使った分、体力や気力も早く消耗します。だから、欲張ってあれもこれもって法術師が頑張ってしまうと、かえってご本人に負担をかけてしまうんですね。
……説明があまり上手ではなくて、申し訳ないのですが」
「いや、要はあれだろ。馬で出かけるのに、休憩なしで急がせてると目的地につく前にばてちまって最悪たどりつけないこともあるから、休みを取らせながらゆっくり行くようなもんだろ」
「そう……です。生き物の傷がゆっくり治っていくのは、体を休めて生命力を回復するために大事なことだから、なんだそうです」
グランが目を向けて答えると、ラティオはまた恥ずかしそうに視線をそらして、膝の上で組んだ指をもじもじと動かしている。出された茶を飲んで一息ついたロキュアが、思いついたように片手を上げた。
「あ! でも、もっと強力な法術を使える方は、そういう心配をあまりしないみたいです」
「へぇ?」




