11.女神様の使者<3/5>
結局、「場を変えた」先はルスティナの天幕になった。この部隊の中で、人が集まって会議らしいものをする場所はここくらいしかない。エスツファの天幕でもいいはずなのだが、あのおっさんはたぶん人を迎えるのが面倒なんだろうと、グランは思っていた。
いくらなんでも夜着のままでは失礼だからと、法衣に着替えようとエレムが天幕に戻ろうとしたのだが、
「あ、あの、どうせまた脱いでいただくので」
と真っ赤になった、ロキュアの神官らしからぬ台詞が、周りをどよめかせた。
結局、リオンがエレムの法衣を持って、後からついてきた。さすがにいらないことを口走っても困るので、ランジュはエスツファの部下達に預けてきた。
天幕では、知らせを受けていたらしいルスティナが、テーブルを脇に片付けて待っていた。異国の女将軍に迎えられて、若い娘二人はエレムやグランを見るのとはまた違う、純粋に綺麗なものを眺めるような陶然とした表情を見せた。
「すっごーい、ほんとに女の将軍閣下だよラティオ! 話だけかと思ったら、ほんとにあんなに美人なの! びっくり!」
「その小娘みたいなはしゃぎ方やめてよね、私まで浮ついた娘だと思われるじゃないの」
ロキュアを冷静にたしなめているようで、ラティオもかなり声がうわずっている。エスツファの陰でひそひそ言っているつもりのようだが、丸聞こえなのはルスティナの顔を見れば判った。
しかし特に動じた様子もなく、ルスティナは全員に中に入るように促すと、自分の前に進んだ二人に微笑んだ。
「話は聞いておるよ。私はルキルア軍白弦騎兵隊総司令ルスティナ、わざわざ遠方からお越し頂き、レマイナ教会の迅速な対応に感謝いたす」
「え、いえ、馬車なら乗ってるだけですし……」
こういうときのそつのない返し方など、もちろん判らないのだろう。ルスティナの方から手を差し出され、二人はどぎまぎした様子で握手を交わしている。
「……こいつら、今回のこと、どれくらいまで知ってんの?」
「このお二人は、レマイナ教会がさしあたっての橋渡しに寄越しただけであるよ。今はまだ、教会誘致の下見くらいとしか聞かされておらぬはずだ」
小声で答えたエスツファに、グラン達は小さく頷いた。確かにどう見ても、経験の浅い下っ端二人組である。
挨拶が一通り終わって、敷物の上に座るように勧められてからも、娘二人は落ち着かない様子で、相変わらず筒抜けのひそひそ話を続けている。
「ロキュア、初めて見たけどあの子ルアルグの神官だよ! ルアルグの神官が側付きするのって、エルディエルの公族だけなんでしょ。そんなにルキルアって重要な国だったの?」
「落ち着きなさいよ、どう見たってあの年じゃ見習いじゃない。きっとエレムさんに憧れて押しかけてきてるのよ」
「えっ、やっぱりそうだよね! ルキルアって普通の小さい国だもんね」
気を利かせてお茶を給仕していたリオンが、いろいろ言いたそうにグラン達に目を向けた。エレムがなんとも言えない笑みを見せる。グランが、構うな、というように手を振ると、リオンは渋々二人の後ろに下がって腰を下ろした。
『普通の小さい国』の黒弦騎兵隊総司令エスツファは、小娘二人の失礼な会話を咎めるでもなく、横を向いて笑いを噛み殺している。器が大きいのか、単にいい加減なのか、グランには未だに判断がつきかねる。
「さて、とりあえず最初にロキュア殿にお願いしようか」
「あ、はい!」
エスツファに水を向けられて、ロキュアは座ったまま跳ねるように姿勢を正した。花も恥じらう乙女らしく、頬を紅色に染めて、多少潤んだ瞳でエレムを見る。
「では、エレムさん、上着を脱いでいただけますか?」
「はい?」
しかしこんな所で脱がされる理由が判らず、エレムは間の抜けた顔で問い返した。見つめ返されて、ロキュアは更に恥ずかしそうに自分の頬に手を添えた。
「あ、あの……実は私も、兄ほどではないのですが、法術の素質がございまして」
「はぁ」
「本当なら真っ先にアルディラ姫へ挨拶に伺いたいところを、先にエレム殿の傷を癒してくれるよう、オルクェル殿が頼まれたのだよ」
そういうことか。グランはなんとなくリオンに目を向けた。法術の使える人間は、同じように法術の素質のある人間を見分けることができるという。
リオンはグランと目が合うと、妙に冷ややかな目つきで親指と人差し指で指一本ほど入る程度の隙間を作って見せた。「これっぽっち」とでも言いたいのだろう。
とにかく厚意は厚意だ。みんなの前で気恥ずかしそうながら、エレムはもぞもぞと上着を脱ぎ始めた。今のエレムは上下の分かれた夜着なので、上を脱ぐだけならそんなに手間はない。
たいした怪我ではないが、首筋から背中に点々と散った傷跡と一緒に、青い打ち身の跡がいくつか広がっていた。剣の鞘が盾になっていなければ、こんな浅い傷と打ち身程度では済まなかったかも知れない。だが、娘二人はそれとは別の所に関心を引かれたらしい。
「すっごいねラティオ! そんなに大きな人じゃないのに、剣を使う人って脱ぐとこんなに筋肉ついてるんだね! 薪割りもろくにできないで半べそかいてるユリオ達とは全然違うよ」
「当たり前じゃない、カーシャムの神官と同じ剣術試験を通ってる人なんだよ。比べちゃ駄目だよ」
平静を装うラティオも、上半身程度とはいえ憧れのエレム様が脱いでいるものだから、目のやり場に困るような嬉しそうな、ひとことでは表現しがたい表情でそわそわと視線を泳がせている。見ているこちらが恥ずかしくなるくらい初々しい反応だ。
ふとグランがルスティナを見ると、特に動じた様子もなく、二人の娘の反応を微笑ましそうに眺めている程度だった。男ばかりの軍隊の頂点にいるのだから、半裸程度なら若いのから退役間近のまで見慣れているには違いない。
「ああ、けっこうひどいですねぇ……」
どぎまぎした様子でエレムの後ろに回ったロキュアは、背中の傷を眺めているうちにだんだんと真剣な表情になってきた。このあたりは、全員が治療術を学ぶというレマイナ神官らしい。
「熱があったって伺いましたけど、もう下がってるんですか?」
「ええ、解熱薬は昨日の夜に飲んだのが最後ですよ」
「じゃあ、大丈夫かな……。えっと、打ち身まで手を出すと、エレムさんがかえって疲れちゃうと思うので、傷を塞ぐだけにしますね」
なぜ打ち身を治すと『かえって疲れる』のだろう? 聞こうかと思ったが、エレムが納得しているようなので、グランも黙って見物することにした。
あまり小娘二人にいい印象を持っていない様子のリオンも、初めて見るレマイナの法術には関心があるようだ。グランの後ろから、興味津々といった様子でロキュアの動きをのぞき込んでいる。
ロキュアは、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸い、広げた右手をエレムの背中に触れるか触れないかの辺りまで近づけた。