9.女神様の使者<1/5>
ヒンシアの郊外で滞在中は、エルディエルの天幕ともそんなに距離がない。リオンも夜くらいは戻っても構わないのだが、やはりエレムが気がかりらしく、結局戻らずに寝るまでランジュの相手をしていた。
エレムは、寝ているのに飽きたら本を読み、疲れてきたらうつらうつらするというのを繰り返していた。あんなんじゃ夜中に目が冴えないかとグランは思ったのだが、晩飯の後で傷の様子を見に来たエルディエルの衛生兵にもらった薬を飲んだら、特にうなされたりもせずに朝まで眠っていたようだ。おかげですっかり熱も下がったらしく、リオンとランジュが持ってきた朝飯もきちんと食べていた。
あとはもう、明日の出立まで特にすることはない。もう少ししたら町の浴場にでも行こうかと、グランはとりあえず天幕近くの丸太に座って、エレムの鞘の補修の続きをやっていた。しばらくすると、エレム本人が夜着のまま顔を出した。
「起きて大丈夫そうなのか」
「丸一日寝ていたせいか、ちょっとふらふらしますけど」
多少やつれたような気がするが、昨日よりは顔色もいい。グランが鞘の補修跡にヤスリをかけているのに気がついて、エレムは小さく笑って向かい側に腰を下ろした。
「なにからなにまですみません」
「暇だしな。後で町の浴場に行こうかと思うんだが、お前どうする?」
「ああ……」
言いながら、エレムは首の後ろ辺りに気にするように手を伸ばした。
「行きたいですけど、傷にしみそうですよね。午後まで様子を見て、無理なようなら体を拭くくらいにしておきます」
「そうか」
日が昇ってだいぶ経つから、多少汗ばむくらいに気温も上がっている。周りの天幕では、休憩中の兵士達が少しづつ片付けを始めているらしく、昨日よりも全体的に人の動きがあって騒がしい。
リオンとランジュは、私物の服やタオルを洗っている兵士達の中に混じっている。ランジュは手伝っているのか水遊びをしているのかよく判らないが、とりあえず楽しそうな様子だった。
そのままエレムは、しばらくグランのすることを眺めていた。なにか昨日の続きでも言いたい事があるのかとも思ったが、そういう感じでもない。
昨日の、ヘイディアやルスティナと話したことを言っておこうかとも思ったが、周りに人が多いのでどうにもやりにくい。いつのまにか、『ラグランジュ』だけではなく、ほかの兵士の耳にはあまり入れられない、高官同士の内密な話まで普通に聞かされるようになってきていて、二人の立場も妙なことになってきた。
埋めたところがあらかたヤスリでなめらかになったので、仕上げに油を含んだ布切れで周りとなじませていたら、町の方角が少し騒がしくなった。
エスツファが、自分の部下達を少し連れて戻ってきたらしい。
すぐにルスティナの天幕にでも顔を出しに行くかと思ったのに、なぜかエスツファはグラン達を見つけると、意味ありげに笑って手を挙げた。その後ろに、兵士とは違う白い服を着た見慣れない女が二人、ついてきている。二人とも、まだ二〇歳にもなっていないような若い娘だ。
一人は背丈だけはルスティナと同じほどあるが、ルスティナよりもずっと骨張って細っこい。目が悪いのか、赤い縁の、度の強そうな眼鏡をかけている。
もう一人はその女より頭二つ分くらい小さく、その分ぽっちゃりとして愛嬌のある顔立ちの娘だった。足して二で割ったら、同じ歳の平均的な娘っぽい見た目になりそうだった。
それにしても、あの二人、どこかで見た服を着ている。……と思ったら、あれはレマイナ神官の法衣だ。
「ご婦人方、あれが例の元騎士殿とエレム殿であるよ」
「きゃー! ほんとだほんとに話どおりだわ! どうしようラティオ!」
「とりあえず落ち着いてよ、ロキュア。私まではしたない娘だと思われるでしょ」
「だってだって、すっごーい、ほんとに会えると思わなかったよ! わたし神官やっててよかったよぉ」
二人とも、一応小声で言っているつもりらしいが、小さい方は妙に興奮した様子だ。小さい方は、平静を装う大きい方の腕にしがみついて半分顔を隠し、それでいて妙に熱のある視線でこちらを見ながら近づいてくる。ノリが若い侍女や、城にいる女の使用人に近い。
考えてみれば、普通のあの年頃の娘は、ああいう元気なのが多いはずなのだ。一人だと静かなのに、数が増えると賑やかさが二乗三乗されるあれだ。
最近グランの周りにいる女は、一人でもやたらうるさいか、何人いても全然変わらないのばかりだったので、ああいうのは妙に新鮮な気がした。
エレムはぽかんとした顔で、エスツファの連れてきた娘達を眺めている。エスツファは彼らの側まで来ると、少し体をずらし、妙に芝居がかった手つきで二人の娘を指し示した。
「元騎士殿、エレム殿、お客人であるよ。ほら、ご婦人方」
さっきまであんなに元気だったのに、目の前まで来て実際に紹介されると、小さい方の娘はなにを言っていいのか判らない様子で、もじもじと大きい方の娘を見上げている。見上げられた大きい方も、平静を装ってはいるが、なぜか緊張した顔つきで、グラン達に向かって頭を下げた。




