8.嵐が過ぎて後始末<後>
「……ん」
気怠そうに眉を寄せながら目をあけたルスティナは、反射的に三歩分ほど飛び退いたグランが視界に入ったらしく、眠そうに目をしばたたかせながら起き上がった。
さすが軍人、人の気配には敏感だ。ってなにやってんだ俺。
「ああ、ちょっと転がるつもりでうとうとしてしまったようだ。声をかけてくれればよかったのに」
「い、いや、急ぎの用ってわけでもなかったから……」
グランは、自分はずっとここで座って待ってたんだとでも言うような顔で、あぐらを組み直しながら答えた。ルスティナは眠気を払うように少し頭を振った。栗色の髪から、また花の香りが散って静かにグランの鼻先に触れる。
「で、グランは体は休まったのか」
「え? お、俺は平気だよ。昼までずっと寝てたし」
「そうか、ヒンシアには休暇のつもりで寄ったのに、結局グランとエレム殿には忙しいだけの滞在になってしまったな」
そういうルスティナも、そんなに休んでいないはずだ。エルディエルの部隊には比較にならないとはいえ、やはりそれなりの数の兵士が随行している。それらの管理に加えて、今回の想定外の事態だ。計画も変わっていろいろ詰めなくてはいけないこともできたろう。
最初は、他国を訪問するひとつの部隊に将軍二人だなんて、大げさじゃないかと思っていたが、こうなってくると同格の責任者が二人いるおかげで、かえってうまく回っているような感じだ。いや、自分達がいなければこんな事も起こっていなかったかと思うと、グランもなんだか複雑な気はする。きっと王子のカイルは、ルスティナには半分休暇を与えるつもりで送り出したはずなのだから。
そういえば、ルキルアの方の『大掃除』はどうなっているのだろう。本国では、白弦黒弦の副司令達が、宰相シェルツェルの残党とも言える奴らを片付けているはずだが、その話については今のところルスティナからもエスツファからも出ていなかった。貴族や富裕層の一般市民も関わっているから、あまり不用意に話題にはできないのだろうが。
「エレム殿の具合はどうである」
「熱はだいぶ下がったみたいだよ。飯食ったら、余計なこと考えないで寝てれば、明日にはなんとかなるんじゃねぇ?」
「余計なこと?」
「あ、いや」
グランは首を振った。ルスティナは少し黙ってこちらを見返していたが、それ以上喋る気がないのが判ったらしく、気持ち笑みを作って座り直した。
「私が不在の間に、オルクェル殿とヘイディア殿がグラン達に会いに来られたそうだが、なにか言っておられたか」
「ああ、ヘイディアが、会合で決まったって言って……」
グランはヘイディアから聞いたことをかいつまんで話した。ルスティナは軽く頷いた。
「異国であるからな。全ては「魔女」の仕業ということにして、城にからむ伯爵家の代々の過ちに関しては、今回は表沙汰にしないと方針が決まった以上、レマイナ教会の協力を仰ぐのが一番よさそうなのだ。もちろん、この国の王国政府には、内密ながら事情を伝えておかねばならぬが……」
「やっぱりこの町に、レマイナ教会を新設ってことになるのか」
「たぶん、そういうことになるであろうよ。もう、法術師殿が感じる得体の知れぬ気配も、城からは失われたというし、話によっては、教会の誘致に関してエルディエルからもいくらか援助が望めるかも知れぬ」
「そこまでやるつもりなのか。ルアルグ教会は嫌な顔しないのかね」
「ルアルグもレマイナも、基本的に同列の神であるから、問題はないそうだ。場合によっては、ルアルグ教会も併設されることになるだろう」
「へぇ」
エルディエルが援助するのなら、エルディエルの守護神であるルアルグの教会も一緒の方が、監視の目もより行き届くかも知れない。もう伯爵家側に、あの城をどうこうする気力はなさそうだが、時間の経過と共に状況がどう変わるか判らない。保険はかけておくに越したことはないだろう。
「しかし、もうカカルシャの式典の日も迫っているし、いつまでもこの町に留まるわけにもゆかぬ。エルディエルの部隊の一部を、レマイナ教会との交渉役として残すことにして、部隊全体は明後日の朝の出立が決まった」
「そっか……」
「明日一日、エレム殿には養生してもらわねばな」
もう丸一日あるのなら、体力は完全に戻らなくても、荷馬車で休み休みくらいの旅は大丈夫になるだろう。あまり借りを作りたくはないが、アルディラに馬車を頼むことだってできる。
「それとさ」
ほかに話していないことはないか、考えるような仕草をしたルスティナに、グランは言った。
「ランジュが『ラグランジュ』だって、ヘイディアにばれた」
「……?」
ルスティナは目をぱちくりとさせた。
「それは……どうしてまた」
「本人に聞いたんだってさ」
「本人って、ランジュに?」
頷くと、ルスティナは右手をあごにをあてて記憶を探るように少し視線を泳がせた後、なぜか吹き出した。
「そ、そうか、直接聞くとは、ヘイディア殿もなかなか面白いお方だな」
「……なんかあったのか?」
「いや、会合が一区切りついて解散する時に、声をかけられたのだよ。『グランバッシュ殿とエレム殿が連れている子どもは、いったいどういう素性の子どもなのか』と」
クフルの町でグランに訊いたのと、そっくり同じ言葉でルスティナにも訊いたのだろう。やることが率直というか、ひねりがない女だ。
「『一応聞いてはいるが、ランジュに関してはグランとエレム殿の事情があってのことなので、私から勝手に話すことはできない』と答えたのだよ。そのうちグランに聞きに行くかと思ったのだが、そうか、ランジュ本人に聞いたのか。確かに一番手っ取り早くはあるな」
話している途中からくすくすと肩を揺らし始めた。どういう顔をしていいか判らないでいるグランが、余計に可笑しかったのかも知れない。
「ヘイディア殿、あれでなかなか素直な方なのだな。まぁ、大丈夫なのではないか、知ったからどうこうという話ではないのであろう?」
「あ、ああ……、気になったから確かめただけだって言ってたから、気は済んだんじゃないか」
「そうか、それならよかった。逆に、ヘイディア殿ほどの法術師殿が事情を知っていてくれるなら、なにかと相談もしやすいのではないか」
「相談って」
「レマイナの法術師であるラムウェジ殿は、ランジュの事について、なにか気付いておられたようであったのだろう?」
やっとくすくす笑いをおさめ、それでもまだ可笑しそうに目を細めながら、ルスティナは続けた。
「どういうものを感じるのかは私には判らぬが、ラムウェジ殿と同じ理由で、ヘイディア殿もランジュが普通の存在ではないと見抜いたのだろう。キルシェ殿とはまた違う視点から、意見を聞くこともできるのではないか」
「キルシェとねぇ……」
あいつは単純に、自分が面白いと思うことに首をつっこんでるだけのような気がするんだが。
「キルシェで思い出したけど、あいつのこと、オルクェルになんて説明すればいいんだ。なんか聞かれなかったか?」
「いや、今日は特に。あの説明だけでは足りないようなことでもあったか?」
あの説明って、『古代魔法に詳しい知り合い』ってだけじゃ余計に気になるだろう……。オルクェルも、ルスティナがあまりになんともなく言ってのけたから、つっこむにつっこめないのだろう。
グランは、浮き橋から城に入るまでの間に起きたことを、簡単に説明した。火の魔法を浴びそうになると、法円が現れて吸い込み、それがそのままフィリスに取り込まれる。それを実際に、オルクェルは見ているのだ。
「キルシェ殿が護ってくれた、という事では難しいか」
「だってあいつ、最後には城が崩れるのが判ってて、俺達をほったらかして先に消えちまったんだぞ。基本的に俺達のことはどうでもいいんじゃねぇの?」
「キルシェ殿も、なかなか変わった方であるようだからなぁ……」
変わった、で片付けていいのか。なんとも言えない顔をしたグランを見て、ルスティナはまた可笑しそうに口元に笑みを乗せた。
「グランの周りには、いろいろと興味深い方が多く寄ってきて、なかなか面白いな」
……それを言ったら自分はどうなんだ。ルスティナ自身は「興味深い方」の中に入っている自覚はないのか。グランはひとつ息をつくと、気を取り直して訊いてみた。
「そういえば、カカルシャで行われる式典って、なんだ?」
「現国王の在位三〇周年記念。歴代最長だそうだ」
「……そりゃめでたいことで」




