6.残った者が夢の跡<6/6>
「あの子どもは、『ラグランジュ』だそうですね」
「……?!」
全く予測していない台詞だったから、グランは思わず露骨に驚いてしまった。取り繕おうかと思ったが、ヘイディアはしっかりグランの顔を見たまま、表情を変えない。
「な……なんで? 誰が……?」
「先ほど本人に聞きました。『あなたはラグランジュではないですか』と、直接」
なんだこの小細工なしの正面からの攻撃は。普通、もうちょっと遠回しにとか、周りにそれとなくとかやらねぇか?
とっさに声も出ず、間抜けに口をぱくぱくさせているグランを、ヘイディアは笑うでもなく静かに見返している。
『ラグランジュ』とは、この大陸に古くから広く伝わる伝説のひとつだ。
『手にした者に望むものを与え、成功と栄光を約束する古代の秘法、あるいは秘宝』と噂されているが、実際の正体は誰も知らない。一〇歳程度の少女の姿をしているランジュは、『ラグランジュ』が持ち主を得て具現した姿で、その持ち主として認定されているのが、グランなのだ。残念ながら。
世間的な噂はどうであれ、グランにとってはただの疫病神と変わらない。ひょっとしたら今回の騒ぎだって、グランとランジュがルキルアの一行に含まれていなかったら、明るみにはならないままだったのかも知れないのだ。
「気になったから確かめただけで、人に言いふらしたりはしませんのでご安心ください」
「ご安心って」
「ただ、持ち主であるグランバッシュ殿は、誰が知っているか把握できていた方がよろしいかと思って、お伝えしただけです。秘密を握ったからどうしろ、などということではございません」
表情に乏しい女だが、それだけに嘘や駆け引きには縁遠そうな感じだ。たぶん思ったことをその通りに言っている。グランは馬鹿みたいにぱくぱく動いていた口をようやく閉じ、改めてヘイディアに目を向けた。
グランが落ち着いたのを確認するように、ヘイディアは少し首を傾げた。
「エルディエル建国の伝説に、『ラグランジュ』らしいものが出てくるのはご存じですか。もちろん非公式ですが」
「まぁ……噂だけなら」
『ラグランジュ』の噂は、数え始めたらきりがない。その中でも有名なもののひとつが、エルディエルの建国に絡む話だ。
遠い遠い昔、それこそ古代神話の登場人物がまだ現役だったような時代、この大陸南西部は雑多な多民族の集団で構成されていた。国という概念も無かったような時代だ。それをひとつの国にまとめあげたのが、エルディエル公国の始祖ケーサエブだ。
建国間もないエルディエルは、今の大陸南西部のほぼ半分を掌握するほどの大国だった。しかし、無理な広域支配は長続きせず、ケーサエブ統治時代の終盤になると、エルディエルは当初の三分の一ほどまで領地を狭める。それがほぼそのまま、現在のエルディエルの領地として存在する。
大陸南西地区では、少ないながら、エルディエルの領地以外にもルアルグの教会が存在する。それは当時、南西地区の半分ほどがエルディエルの領地だった事の名残だという。
そのエルディエルの始祖、ケーサエブが、実はラグランジュを手に入れていたのではないかというのが、世間でもっともらしく広まっている話のひとつだった。
ケーサエブの出自は、実はよく判っていない。南西地区先住民族のひとつからの出、別の地域から流れ着いた異国の戦士、などといろいろな説があるが、どれも物語の域を出ない。
エルディエルとルアルグ教会の結びつきも、その当時からというが、関わりの詳細はグランも気にしたことがなかった。
「創始の伝説に関しては、私どもも公になっている以上のことは存じません。もちろんエルディエル内部で公式とされている記録には、ラグランジュの名前はどこにも出てきません。ほかにも、歴史上の偉人の成功の陰には、ラグランジュの存在があったのだと広く噂されているようですが、いずれの公式の記録にもその名は全くありません。だからこそ、多くの者に神秘的な幸運の伝説として憧れを抱かせるのかも知れません」
「はぁ……」
「エルディエルの庶民が使う、不思議なことわざがございます」
気の抜けた声を上げたグランに、ヘイディアは静かに言った。
「『ラグランジュには二つの顔がある、だからそいつを手に入れたら、その根を必ず確かめろ』」
「……二つの顔?」
「一般には、『ラグランジュ』を『幸運』そのものになぞらえた、教訓のようなものだと解釈されています。うまい話には裏があることが多いし、逆に一見なんの価値の無いような事に大きな意味があることがある、だから物事の表面だけではなく、その裏に隠されたものにも思いを巡らせてみなさい。というような意味合いで使われます」
「ああ……」
「でも、『ラグランジュ』が実在するのなら、このことわざにはまた別の意味があるのかも知れません」
グランは思わず考え込もうとして、ヘイディアの視線に気付いて気を取り直した。相変わらず感情の薄い、淡々とした表情で、なにを考えてこんな事をグランに言っているのかも、正直よく判らない。どうにも考えがまとまらず、グランは思いついたことをそのまま口に出してしまった。
「……あんた、俺のこと、怖くないのか?」
「え? あ、はい?」
ヘイディアはさっきから、グランの顔をきちんと見て話している。昨日までは、目どころか顔を合わせるのも避けていたのだ。
ヘイディアは言われて初めて気付いたようで、驚いて両手で口元を覆い、自分自身とグランを見比べている。今までの淡々とした顔つきが一転して、やっと表情らしいものがその目に見えた。
「そうですね……、どうしたんでしょう」
「いや、どうしたんでしょうって」
「変ですね……」
言いながらグランを見ては、やはり腑に落ちなそうに首を傾げている。意味もなく怖がられたり避けられるのもいい気分はしないが、逆に怖くなくなったから不思議だと思われるのも妙なものだ。
ヘイディアは少しの間黙った後、考えるのをやめた様子で軽く頭を振った。横に立て掛けていた錫杖を手に取り、立ち上がる。
「必要なことはお伝えしましたので、戻ります」
「あ、ああ……」
「エレム殿にも、お大事にと申していたとお伝えください」
止める暇もない、というか止める理由もなかった。ヘイディアが静かに頭を下げると、錫杖も澄んだ音を立てた。グランは立ち上がり、その背中に慌てて声をかけた。
「あ、そうだ、ヘイディア」
「はい」
「これ、ありがとな」
すっかり乾いた鞘を示す。振り返ったヘイディアは、気持ち唇の端を持ち上げた。
笑ったらしい、とグランが気付いた時にはもう、ヘイディアの後ろ姿は静かに天幕の間に消えていくところだった。




