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1.残った者が夢の跡<1/6>

「空渡る風の源なりし偉大なる神ルアルグよ、その細き吐息を我が指先に貸し給う」



 声と共に、リオンの手のひらの上で、風が不自然に渦巻き始めたのが判った。

 千切った草でも手のひらに載せてやれば、もっと動きが目に見えて面白いのだろうが、今はそんなわけにもいかない。風は遠慮がちに、リオンの指先が示す方向へと流れ始める。

「……やっぱり湿ってる感じがするなぁ」

 鞘の奥に潜り込み、跳ね返されて戻ってきた風がグランの顔に触れ、前髪をそよがせた。

 グランが使っているのは、外側を革で補強した木製の鞘だ。奥まで見えるわけでもないのだが、目をすがめて鞘の内側をのぞき込み、グランはため息をついた。

「二回も水に潜れば仕方ねぇよなぁ……。丸一日、剣抜いて様子見ないと駄目か」

「あのー……」

「じゃ、次はこっちな」

「いや、そのですねぇ……」

 抜いた剣身と一緒に、広げた布の上に自分の鞘を置き、グランは今度はエレムの剣の鞘を手に取った。リオンは呆れた様子で肩を落とした。

「一応、法術って神の力をお借りしてるんですよねぇ。こんな雑用みたいな使い方をしてるのがばれたら、僕が怒られちゃうんですけど……」

「剣は俺たちにとっちゃ、命と同じだぞ」

 それはそれは真面目な顔で、グランはリオンを見返した。

「鞘の中の状態が悪いと、錆の原因にもなるし、切れ味にも関わってくるんだよ。湿気で膨張して抜けにくくなったりしたら、いざって時危ねぇだろ。剣の状態を護ることは、命を守ることと同じなんだ」

「それはそうなんでしょうけど」

「判ったら早くしろよ」

「真面目な顔がこれだけ信用できない人もそういないですよね……」

 ぶつぶつ言いながら、リオンは鞘の端を持つと、さっきと同じように手を広げ、右手の人差し指を鞘の奥に向けてまた祈りを唱えた。渦巻いた風が、指の示す方に静かに流れ始める。

 奥からはね返ってきた風と一緒に、いくつかの小さな雫が鞘口からこぼれ落ちた。

「こっちはひっくり返しとけば水は切れそうだな」

 エレムの剣の鞘は、全体が金属でできているから、水が切れてしまえば後は問題はない。鞘を立てかけ、グランは今度は椅子代わりの丸太に座ってエレムの剣を拭き始めた。

「グランさんて、ほかはいい加減なのに、剣に関してはまめなんですね」

 少し離れてその様子を眺めていたリオンが、しみじみと呟いた。グランは小さく息をついた。

「……お前、なんかエレムに似てきたよな」

「え? そうですか?」

「なんだその微妙に嬉しそうな顔は」

「だってエレムさんって、かっこいいじゃないですか」

「はぁ?」

 エルディエルは、『かっこいい』という言葉の適用基準がほかの国と違うのだろうか? グランは目を丸くした。

 いや、アルディラもおつきの侍女者たちも、俺を見て普通に反応する。オルクェルだって俺を美男子とか認めてるし、エスツファだってルスティナだって俺を美男とか色男とかは言うけど、エレムを見てそういう感想は口にしたことがないぞ。大陸南西部の人間の美的感覚が、ほかの区域と大きく異なっているようには思えない。

 グランが露骨に意外そうな顔をしたので、リオンは更に驚いた様子で目をぱちくりさせた。すぐに軽く苦笑いを浮かべ、

「そりゃ、顔立ちだけならグランさんの方がよく整ってますよ。グランさんって、その辺は全然謙遜しないんですね……」

「自分を客観的に正しく評価できてるだけだ。つーか顔だけとか言うな」

「はいはい、強いしかっこいいし言うことないです」

 まるで人をあやすように頷くと、リオンは言葉を探すように視線を宙に泳がせた。

「ほら、エレムさんってなんでもできるじゃないですか。自炊とか掃除とか洗濯とかお手の物だし、知識も豊富だし、買い物上手だし、親切で優しいのに、強いし、剣も扱っちゃうし」

 言ってるうちに調子が出てきたらしく、リオンの声に熱が入ってきた。

「神官で剣を持つって、カーシャムの神官と同じくらい強いってことですよね。レマイナの神官って、それでなくても治療術の勉強で大変だそうなのに、剣の修行までこなして認可試験も通るなんて並大抵じゃないですよ。それで今は、グランさんみたいな人と一緒の旅だなんて、普通はできないです」

『みたいな』の内容を少しつっこもうかと思ったが、なんとなく答えが予測できたのでグランは黙ってリオンを見返した。

「グランさんは見た目だけだけど、エレムさんって神官のお手本みたいなひとなのに、それ以上にいろんなものを持ってて、すごいですよね」

「俺にさらっと毒吐くのまで真似しなくていいぞ」

「率直な意見って奴ですよー」

 グランはため息をついた。

 考えてみたらリオンは、エルディエルのはねっかえり公女アルディラの世話係だ。連射式弓矢のように口からぽんぽん減らず口が飛び出してくるアルディラの世話係などやっていれば、口も達者になるだろう。

 言いたいだけ言うと、リオンは少し離れたところにある天幕に視線を移し、不安げに目を細めた。

「エレムさん、はやく熱が下がるといいですね」

「元の体力はあるから心配ねぇだろ」

「どうして素直に『そうだな』とか言えないんですか」

「口動かす暇があるなら、エレムの剣の鞘でも拭いてろよ。傷がついてるところがあったら、後で埋めるから紐巻いて印つけとけ」

「埋める?」

「瓦礫が当たってんだよ。傷ついてるところから錆が出たら困るだろ」

 理由ではなく方法を聞かれたのかも知れないが、説明するのも面倒だ。

 リオンはまだなにか言いたそうにグランを見たが、しょうがないなとでも言うように息をついて、手に取った鞘を布で拭き上げ始めた。

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