副官フォルツのささやかな休日<5>
「ルスティナって、王子のお母さまの妹なんでしょう? それでわたしのこと、あんまりよく思ってないんじゃないかと思ってたから、今日は珍しく話に乗ってくれて嬉しかったのよね。でも、侍女達に聞いたら、どうも王子のお母さまの服や飾り物が、わたしの収納庫に混ざってるみたいなの。着てくれたのは、そのせいだったみたい」
「ああ……ルスティナは、母上と本当に仲が良かったから」
「わたしは、城のものだから使っていいんだと思って、あまり深く考えてなかったんだけど……あなたのお母さまが使ってたものは、別にとっておいたいいかしら?」
「……ううん、着られるものがあるなら、着てもらったほうがいいと思う。『花は、みんなに見てもらわないと意味がない』って、母上も言ってたから」
精一杯、判りやすいたとえを用いたつもりらしく、カイルは静かに首を振った。
「でも、ルスティナにも、大事にしたいものがあると思うから、形見として持っておきたいものがないか、一度聞いてくれると嬉しいな。僕には、この庭園と温室があるけど、ルスティナには残ってるものがあまりないのかも知れない」
「そうね、ルスティナにも、使えるものがあるかも知れないし……」
青いドレス姿のルスティナを思い出して、グランは思わず背後に視線を向けた。自分達にあてがわれた部屋の窓がここからでも見えるが、ベランダに人影はない。ルスティナは中で大人しくしているのだろう。
二人の話が一段落するのを見計らったかのように、妃の膝で大人しくしていた赤ん坊が、カイルの顔に向けて手を伸ばした。カイルは目を細め、その手で握れるように自分の指をさしだしている。
「……今度は、あなたの顔を見に来てもいいかしら?」
その様子をしばらく見ていた妃に問われ、カイルは少し目を丸くしたあと、小さく頷いた。
「当たり前じゃないですか、僕の弟のお母さんなんだもの」
ここで『新しい母上』と呼ばないあたりが、今のカイルの正直な心情であり、精一杯の歩み寄りでもあるのだろう。妃は嬉しそうな寂しそうな笑みを見せた。
その視線が、渡り廊下へと移る。
姿を隠すでもなく、手すりに頬杖をついて彼らの様子を眺めていたグランへと。
「……ルスティナの服は、執務室に届けさせてあるから」
「な、なんで俺に言うんだよ?」
「他に伝言を頼めそうな人がいないからよ」
そんなわけがない。ルスティナを追いかけてきた侍女達の話を聞いて、グランがルスティナをかくまっていると最初から察していたのだろう。
この妃は、グランとエレムのことをどう思っているのだろう。詳しいいきさつは伏せられているとはいえ、父である宰相が失脚した間接的な原因、程度の認識は持っていそうなものだ。
それとも、野心にあふれた父親から解放されて、逆に気が楽になっているのだろうか。さばさばとした雰囲気の若い妃の内心は、グランにはどうにも読みづらかった。
「伝言ついでに、お使いをお願いできないかしら?」
「お使い?」
「帰る前に直接渡しておこうと思ったんだけど、もう時間もないし……」
目配せされた侍女の一人が、軽く膝を折って妃の前から離れた。銀色の盆を抱え、渡り廊下との出入り口へ通じる小径を歩いてくる。
「なんだって俺がこんなことを……」
侍女から手渡された盆を持って、グランはどうにも釈然としない気分で廊下を歩く。部屋が間近になった頃に、水差しを廊下の飾り棚に置いてきてしまったことに気付いたが、もう戻る気にもなれなかった。
盆には、銀細工の首飾りと、青い布地で作られた女物の靴が乗っている。
ルスティナが着せられた、青いドレスに合わせて作られた小物だった。前妃は数少ない外出の時に、よく身につけていたのだという。これは妃の収納庫からではなく、月花宮の保管庫からでてきたらしい。
首飾りはともかく、靴までは大きさが合うかは判らない。遺品として譲るというだけでなく、ルスティナが自分で使えるようにドレスと一緒に寸法を直せという含みなのだろうが、果たしてあのルスティナにそれが通じるものか。
「妃は、もう戻っていったって……」
とっくに居場所はばれているのだから、人目を避けるようなことはしなくてもいいのだが、なんとなく声と足音をひそめ、グランは自分たちの部屋の扉をあけた。
陽がだいぶ陰って、窓から部屋に差し込む光も夕暮れの色を帯び始めている。中に入りかけて、グランは思わず動きを止めた。
ルスティナがブーツを脱ぎ、寝台で横になって寝息を立てているのだ。
ドレスがシワになるなど、思いも寄らなかったのかも知れない。無防備な寝顔はまるで、親を待ちくたびれた子供のように見えた。
グランは出来る限り音を立てないように扉を閉じ、そこに立ったまま、どうするべきかしばらく考えてしまった。起こしてやるのが無難なのかも知れないが、連日の疲れもあるのかと思えば、無理に起こすのもためらわれた。
盆を箪笥の上に置き、薄掛けをルスティナの体に掛けてやる。それでも目を覚ます気配がないので、グランはルスティナが横になっている寝台の端に、浅く腰を掛けた。
ルスティナは、シェルツェルとの水面下の戦いで、長い間、ずっと神経をすり減らすような日々だったのだ。こうしてうたた寝できるのも、少しづつ状況が改善しているという安心感からなのだろう。
それは、ルスティナが安心できるものの中に、自分が入っている、ということでもあるのだろうか。買いかぶられすぎだなと、グランはこそばゆい気分で苦笑いを浮かべた。
ルスティナが逃げ出したことで、結果的に、カイルと妃の間も、少しづつ動き出したようだ。ルスティナは、カイルが草花の世話に逃げて、王や妃との関係に壁を作っていたのを心配していたようだから、彼らがうまくやれそうならきっと安心するだろう。
それが彼らの今後にどう関わってくるのか、グランにはよく判らなかったが、少なくとも今より悪いことにはならないような気がした。
グランは座ったまま、少しの間黙ってルスティナの寝顔を眺めていたが、
「元騎士殿、嬢ちゃんを連れ申し……」
不意に、男の声とともに扉が開かれ、グランは顔を向けた。
ランジュと手をつないだフォルツが、こちらを見て目をぱちくりさせている。
「え、あ、その……?」
「なんだ、お妃と離宮に戻らなくて良かったのか?」
よほど気が緩んでいたのか、近づいてくる人の気配にまったく気がつかなかった。多少反省しながらも、グランはフォルツに向けて軽く手を挙げた。
フォルツはなぜか、あっけにとられたような顔で言葉に詰まっている。
「い、いや、別の副官と交代になったので、今日明日はこっちで待機なんだが、あの……」
「今日の焼き菓子は三種類あるのですー。ニチリンソウの種を炒ったのが混ぜてあるのがいちばん美味しいのですー」
妙に動揺した様子のフォルツの横で、焼き菓子の入ったかごを抱えたランジュが、聞かれてもいない感想を述べながら部屋に入ってこようとした……のを、やっと我に返ったフォルツが、慌てて抱え上げた。
「じゃ、邪魔をしてすまない。もう半刻ほどしたら、改めて送り届けにくるから!」
「はぁ?」
「フォルツのおじさんといろいろな形を作ったのですー」
「そこはお兄さんって言おうか!」
いいながらも、フォルツは焦った様子でまわれ右をし、慌ただしく廊下に飛び出していく。ランジュがなにやら報告の続きを述べているようだったが、扉が閉じられる音に遮られたのと、急速に遠ざかっていく足音に紛れて、良く聞こえなかった。
閉じられた扉を眺め、ぽかんとしていたグランは、
「……ああ、グラン、戻ったのか」
物音で目が醒めたらしく、薄掛けの下で身動きするルスティナに目を向け、やっと事態に気がついた。
ルスティナは肩がかくれるほどに薄掛けをかぶっていたから、フォルツから見えていたのは首から上と手首から先くらいだった。昼とはいえ男女が二人きりで、しかも片方は寝台に横になっていたとなれば、野郎の考えそうなことなど容易に想像がつく。
赤くなればいいのか青くなればいいのかも判らず、内心で変な汗をかいているグランの横で、ルスティナはすっきりした顔で起き上がった。
「つい横になってしまったが、長い時間眠っていたのかな。妃はどうしたのだろう?」
「な、なんかフォルツが交代だから、別の副官が妃を護衛して、離宮に戻るって……」
「ああ、そういえば報告の時にそんなことを言っていたな。こんな格好をしているのがフォルツ殿にまで見られないうちに、早く着替えて執務室に戻らねばなぁ……」
いや……服のことなんかより、よっぽどまずい誤解のされ方をした気がするんだが……
のんびり髪を整えているルスティナに、なにをどう説明したらいいのか、グランは表情を取り繕うのも忘れて必死で頭を巡らせていた。
箪笥の上に置いたままの盆のことと、カイルと王妃の会話をグランが思い出すまでには、もう少し時間がかかりそうだった。
<副官フォルツのささやかな休日・了>
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