副官フォルツのささやかな休日<3>
ほどなく、廊下が複数人の気配で騒がしくなった。片っ端から扉を叩いては、すぐに開けている音もする。
「あっ、元騎士様?」
誰もいないと思っていたのだろう。ノックの返事も待たずに扉をあけ、顔をのぞかせた若い侍女が、床に座って防具の手入れをしているグランの姿に気付いて、驚いたように首をすくめた。
「なんだ? なんかあったのか?」
「いえ、あの、ルスティナ様がこちらに来られませんでしたか……?」
「ルスティナが? なんでだ?」
「え、いえ、そのぅ……」
グランに見返され、侍女はどぎまぎした様子で落ち着かなく視線を彷徨わせた。
ここのところの騒ぎで忘れかけていたが、自分は眉目秀麗容姿端麗、水準を大幅に上回る美男子だった。目があっただけで頬を赤らめる娘らしい反応を気持ちよく感じながらも、グランは怪訝そうに首を傾げた。
「こ、来られてなければ大丈夫です、失礼いたしました……」
侍女はぎこちなく頭を下げ、形だけは部屋の中に視線を巡らせてすぐに扉を閉じた。後から追いついてきた数人の足音が、部屋の前を通り過ぎ、別の部屋の扉を開け閉めしながら遠ざかっていく。
「……行ったみたいだぞ?」
廊下から人の気配が完全に消えたのを見計らって、グランは立ち上がり、収納棚の扉をあけた。壁際にぴったり身を寄せ、息を殺すように身を隠していたルスティナは、外の明るさに眩しそうに目を細めたあと、扉の前のグランを見上げてほっとした様子を見せた。
「すまない……助かった」
「なにやってんだ? 鬼ごっこか?」
「そのようなものだ……」
もともと使用人用の部屋なので、部屋の調度は最小限だ。鏡台に備え付けの椅子は小さくて心許ない。仕方ないので、二つある寝台の片方にルスティナを腰掛けさせる。
改めて見ても、ドレス姿とはいえ、着飾るために身につけているようには見えなかった。ルスティナ自身、途方に暮れた様子で、いつものような颯爽とした余裕が感じられない。
グランは少し首を傾げると、水差しの水をカップに注いでルスティナに差し出した。
ルスティナはそれを一息に飲み干し、やっと一息つけた様子で力のない笑みを見せた。
「で、どうしたんだ? 王妃についてなくていいのか?」
「それが……」
もう一つの寝台を椅子代わりにして、斜め前に座ったグランに問われ、ルスティナは言葉を探すように目を伏せ、
「王妃は、離宮で使う服や装飾品を取りに来られたのだ。近衛兵がいるから私がつかずともよかったのだが、こちらにいらした時くらいはとご挨拶に出向いたら、話の流れで居室までご一緒することになった」
「ああ」
「それでその……妃が、持ち出す服を選びながら、私に『こういうドレスは持っていないのか』と問われたので、必要がないから持っていないと答えたところから話がおかしくなって、こういうものなら似合うのではないかといろいろ見せられて……」
普通の女同士なら、たいして珍しくもない話なのだろうが、なにしろ相手はルスティナである。あまりにも将官の服が似合うものだから、仕事を離れたときはどういう服装を好むものなのか、そもそもこういったドレスのようなものを持っているのか、グランは考えたこともなかった。
「着てみないかと言われて最初は断っていたのだが、あまりにも熱心に勧められるので、ひとつくらい着てみれば妃も気が済むだろうと、あわせてみたのだ。……そうしたら、とてもお喜びになられたのはいいが、今度はこれ、次はこれと、次々に引っ張り出してきて、……王妃はあのようなお召し物を好むのかと、その……」
なにを思いだしたのか、ルスティナは桜色に染まった頬を両手で押さえて言い淀んだ。
なんだか妙に動揺している。よほどきわどい意匠のものでも見せられたのだろうか。
「そんなの一度承知したら、悪ノリするのは目に見えてるだろ。嫌なら嫌だって最後まで突っぱねれば良かったじゃねぇか」
「そうなのだが……」
呆れた様子のグランに、ルスティナは気恥ずかしそうな、遠くを見るような、不思議な笑みを見せた。
「……これは、姉上が気に入って着ていたドレスなのだ……」
「ああ……」
カイルの母親でもある前王妃は、ルスティナの義理の姉ということだった。前妃の父である貴族に、ルスティナの母が子連れで後妻に入ったのだという。
血はつながっていないながらも、姉との関係は良好だったようだ。ルスティナが白弦騎兵隊の総司令を務めるようになったのも、王妃になった姉の元で、騎士見習いとして作法を学んでいたのが、そもそものきっかけという話だった。
「姉上の……亡くなった前妃の持ち物は、月花宮に保管されたままだと思っていた。先の騒ぎで、月花宮はあの有様であろう? 前妃の持ち物が瓦礫の中から見つかったとしても、もう使い物にならないだろうと、私も王子もあきらめていたのだ。それが妃の部屋にあるものだから、私も驚いてしまった」
「へぇ……」
「どうやら今の妃が輿入れしてから、シェルツェル殿があれこれ持ち出させていたらしいのだ。勝手な話だが、結果的に多くのものが無事に残っていたようで……。妃も、城のものだからとあまり深く考えずに使われていたようだ」
王権を半分私物化していたような宰相だったが、前妃の遺品に関しては、それが逆に幸いしたということなのだろう。
「まぁ、こうなっちまったのを今更どうこう言っても仕方ないな。でも、この後はどうするんだ? 王妃が帰るまで隠れてるのか?」
「……どうしようか」
どうやら逃げ出すのに必死で、後のことを考えていなかったようだ。目に見えて途方に暮れた様子で、ルスティナは肩を落としている。
大きさが微妙にあわないのか、改めて見ると、ドレスの肩はきつそうだが、胸元は多少余裕があるようだ。どうやら前妃は、ルスティナよりももっと女性的な体つきだったのだろう。
そういえば、ちらっと見えたあの妃も、小柄ながらわりとメリハリのついた体型だった。第二王子がまだ赤ん坊だから、そのぶん胸も大きいのだろうが。
真剣な顔でくだらないことを思い巡らせていたら、ルスティナはなにを勘違いしたのか、
「すまないな、私の不手際なのに、グランにまで心配させてしまって」
「え? あ? いや……」
気恥ずかしそうに微笑まれて、グランは内心冷や汗をかきながら曖昧に頷いた。
「まぁ、隠れてるのはいいんだが、服、どうするんだ? マントとか、王妃の部屋に置いたままなんじゃねぇの?」
「ああ、後で侍従長にでも頼んで部屋に届けさせようかと思うが、……いや、この格好では執務室にも戻るに戻れぬな。どうしようか……」
「いいんじゃねぇ? その服でも、別におかしくはねぇよ」
「えっ、いや、そんなわけにもゆかぬだろう」
ルスティナはすこし血の気のおさまった頬をまた桜色に染めて、大きく首を振っている。
似合わないわけではないからいいのではとも思うが、慣れない格好を城の者に見られるのは恥ずかしいのかも知れない。女装させられてでもいるような気分なのだろうか。
「……妃が離宮に戻られた頃にでも、王子付きの侍従長に話をしてきてもらえぬか。察しの良い方だから、私の予備の服を用意してくれると思うのだ」
「それは構わないが……」
そうすると、妃が用を済ませて城を出て行くまで、ここでルスティナと二人きりで待つことになるのだろうか。それはそれでいいとしても、長くなると間が持たない。あまり重苦しくなったり変な雰囲気にならずに、ルスティナにも当たり障りなく話せるようなネタなどあったろうか。
「……そうだ、聞きたい聞きたいと思いながら、なかなか暇がなくて聞けなかったのだが」
「ん?」
「グランとエレム殿は、北東部では有名な『緋の盗賊』エルラットを見事に捕らえた英雄という話であったな。いったいどういういきさつで、そのようなことになったのだ?」
「ああ……」
すっかり忘れていたが、この国に来る前にそんなことがあったのだ。毎日現実の軍務をこなしているルスティナには、旅の途中のちょっと変わった話などが、逆に新鮮なのかも知れない。
着ているのが将官の服ではないせいか、ルスティナの表情までいつもよりも豊かに感じられる。期待に満ちた目で見返され、グランは軽く苦笑いを浮かべた。傭兵仕事の合間や酒場で野郎達相手に盛り上がるのとはまた違う、なんだか不思議な感じだった。