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45.漆黒の傭兵と炎蛇の女王<5/5>

 グラン達が城の中にいる間に、火の蛇を呑み込み尽くした水竜は、そのまま城を離れ対岸の陸地に上がったところで姿を解かれ、湖面の波は穏やかとは言い難いながらもだいぶ収まっていた。

 それまで雲に覆われていた空から月が顔を出し、湖面を照らしてくれたことで、エレムの法衣が白っぽく夜目に浮き上がった。二人は、城に残された使用人を救助するために出された船のひとつに見つけられて、なんとか引き上げられた。

 早い段階で気を失っていたエレムは、さほど水も飲んでおらず、船の上で何度か胸を押された程度ですぐに意識を取り戻した。比較的大きさのある瓦礫がぶつかったのか、背中や首筋に何カ所か怪我をしていたが、背負った剣が盾代わりになったらしく、命に関わるほどの傷はなさそうだ。

「なんとまぁ……運も実力のうちとはいうが、二人のは尋常ではない気がするな」

 ほかの兵士達と一緒に、島の船着き場で二人の乗った船を出迎えたオルクェルは、ずぶ濡れで疲れ切った顔のグランとエレムの顔を見ると、呆れたように呟き、すぐに笑みを見せた。

 グランにはもう言い返す気力もない。そのまま船に乗り込んで来たオルクェルは、心底嬉しそうに二人の肩を抱いた。これがエルディエルの武人流の感情表現なのだろうが、男に肩を抱かれたって嬉しくもなんともないからやめて欲しい。

 オルクェルも乗せたまま、船着き場から再び離れ、船は今度は町の方へとこぎ出した。

 夜の青い闇と、銀色の月光に覆い隠された湖上の城は、確かに幻想的な絵のように美しかった。朝になれば半分崩壊した悲惨な姿が浮き上がるのだろうが、それまでは夫人の墓標のようにそこにあればいい。



 一日に二度も着衣泳をやらされたら、さすがにもう防波堤をロープで這い上がる力など残ってはいない。グラン達を乗せた船は、水路の奥の町の船着き場に向かった。町のあちこちでは、街灯のほかに兵士達の持った松明やランタンが輝いて、全体が異様な明るさと活気で充ちている。

 船着き場で真っ先にグラン達を出迎えたのは、ウァルトを連れたエスツファとルスティナだった。エレムは自分で歩くどころか、立ち上がるのも難しいほど消耗していたので、オルクェルに背負われて船から降りることになった。

 グランは、なにか言いたそうなエスツファとルスティナを片手で押しとどめ、青ざめて立ちすくむウァルトにゆっくり歩み寄った。

 責められるのか怒鳴られるのか殴られるのかと、怯えた様子のウァルトの前で、グランは自分の左手の小指から銀色の指輪を抜き取り、差し出した。

「あんたの母さん、大事に持ってたんだな」

 玉座の上でグランの腕に触れた夫人の左手の、薬指に輝いていた指輪だった。落とさないようにとっさに小指にはめたのだが、グランには小指のひとつめの関節を通すだけでせいいっぱいだった。

 もし自分の夫がまだ生きていたら、逆に夫人は若く美しくあることにああまで執着はしなかったかも知れない。先に死んだ夫は、確かにもう年を取ることはない。

 グランが渡した指輪の意味に気付いたのか、手のひらの中の指輪を眺め、ウァルトは凝然と立ちすくんだ。

 グランは黙ってウァルトに背を向けた。背後で、嗚咽を噛み殺したウァルトの体が、膝からくずおれるのが判った。

「兄様!」

 エスツファとルスティナに声をかけようとしたところで、少し遠くからアルディラが声を張り上げるのが聞こえた。従者と護衛の兵士達に追いかけられるように、アルディラが駆け寄ってくるのが見える。気がついたオルクェルが、ぐったりとしたエレムを背負ったまま、グランの横に立った。

 アルディラは三人の前に立って、しばらく呼吸を整えると、なぜか唇を引き結び、きっとした表情で男達を睨み付けた。グランは思わず身構えかけたが、

 その目にみるみる大粒の涙がたまり、それがこぼれ落ちるのと同時に、アルディラの唇が大きく息を吸い込んだ。

 子どものように大きな泣き声を上げながら、アルディラはグランとオルクェルにしがみついた。

 オルクェルは、嬉しそうに目を細めて、あいている右手であやすようにアルディラの頭を撫でた。アルディラはしばらくわんわんと大声で泣き続けると、少し落ち着いたのか涙でしゃくりあげながら顔を上げ、オルクェルに背負われたまま力なく笑うエレムの手を取り、頬を寄せた。

 少し離れた場所で様子を見ていたエスツファは、グランと目があうとにやりと笑って、周りに控えていた兵士達になにか指示を与え始めた。こちらに近づいてこようとしたルスティナの視線が、ふと船着き場の出入り口の方に動いた。

 なんのつもりかタオルを頭からかぶってひらひらさせながら、ランジュがリオンと一緒に歩いてくる。リオンも片手に、折りたたまれた大きなタオルを抱えているから、一応ふたりの介抱の手助けに来たのだろう。

 その少し後ろを、錫杖を左手に持ったヘイディアが歩いてくる。ヘイディアはグラン達の姿を見ると、ぎこちないながらも唇の端を上に持ち上げ、笑顔らしいものを作った。

 死んだことを嘆いてくれる者がいるのも、生きて戻ったことを喜んでくれる者がいるのも、そんなに悪くないかも知れない。

 グランは軽く息をついて、さっきのオルクェルと同じようにアルディラの頭に手を置いた。アルディラは驚いた様子で涙に濡れた顔を上げ、恥ずかしそうに泣き笑いを見せると、またグランとオルクェルに抱きついた。

 いつの間にかそばに来たルスティナが、こちらを見て柔らかく目を細めた。その遙か頭上に輝く青白い満月が、ルスティナのマントをきらめかせ、長くなりそうな湖畔の町の夜を静かに染め上げていた。


<炎の蛇と水竜の騎士・了>

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