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44.漆黒の傭兵と炎蛇の女王<4/5>

「そこのおばさんと同じで、城を守る魔力で無理矢理もたせてたのねー。すぐに全体が崩壊、なんてことはないだろうけど、この部屋の真下なんか壁も飛んじゃってるし、動力炉の暴走で床も壁もかなりの衝撃を受けてると思うから、ここにいるのは危ないんじゃないかしら」

 言っているそばから、玉座のある壁側から、鈍い音が聞こえてきた。大きな石が転がり落ちるような音と一緒に、床から振動が伝わってくる。

「なんでそんな大事なこと黙ってるんだよ!」

「怒鳴るなんてひっどーい、坊やの質問に答えてただけじゃない」

 両手を口元にあて、わざとらしく怯えたような素振りを見せ、キルシェはくすりと笑みを見せた。

「今日もなかなか楽しかったわ、またよろしくね、グラン」

「お、おいっ」

 体をひるがえしたのは形だけで、キルシェの体はすぐに法円の上からかき消えた。オルクェルがあっけにとられたような顔をしたのも一瞬で、すぐにそれどころではなくなった。

 ひときわ大きな音がして、玉座を乗せた一段高い床部分全体が、壁ごといきなり下に抜けたのだ。

 振動と一緒に目の前が開け、雲に覆われた灰色っぽい夜空と湖の向こうの黒い地平線が視界一面に広がった。

「ふざけんなぁぁっ!」

 グランは叫びながら身をひるがえし、廊下へ続く扉に向かって走り出した。オルクェルはもう声も出ないようで、槍を片手に同じように駆け出した。

 抜け落ちた玉座部分の床が、階下の床にぶつかったらしく、大きな音と振動が這い上がってきた。呆然と突っ立ったまま点目になっているエレムの腕を、グランが引っ張ったぶん、オルクェルが体ひとつ前に出た。

 下からの振動が引き金になったのか、抜け落ちた玉座部分の後を追うように、端から床が崩れ始めた。さっきまであんな所に立っていたのが信じられないようなもろさで、床の崩壊は三人の後を追いかけてきた。壁や天井が一緒に崩れ落ちてこないだけマシなのだろうが、それにしたってもろすぎる。

 途中からなんだか傾斜を上るような感覚になった。床が抜けかけて、全体的に斜めになってきているらしい。それでもなんとかオルクェルが部屋の扉から廊下に駆け出し、グランもエレムもあと一歩という所で、いきなり視界が下にずれた。

 手を伸ばす暇もなかった。呆然と振り返るオルクェルの顔が上に遠ざかる。蹴ろうとした床自体が、二人を乗せたまま下に抜け落ちようとしているのだ。

「後ろだ!」

 もう前には進めない。下に落ちつつあるとしても、まだ立てる足場があるうちに、どうにか逃げ場を見つけなくてはいけない。

 グランは体を反転させ、落下途中の床の上を、今度は壁側に向かって走った。エレムも反射的に同じ動作で床を蹴る。

 視界の先に、大きく穴が開いた壁と、その向こうの黒々とした夜の地上が見える。視界の下半分が灰色に濁っているのは、先に落下した玉座周りの床部分が砂煙を上げているのだろう。

 崩れながら落下していた床は、床全体の三分二ほどの所で完全に途切れていた。それ以上は先に抜け落ちているから、もう足場はない。

 だが、床に乗ったまま一緒に下に落ちるわけにもいかない。グランはその端で大きく勢いをつけ、灰色に霞む視界を突っ切るように、穴の開いた壁の先に向かって踏み切った。

 跳躍の距離が足りなければ、グランの体は一階下の、動力室の床に叩きつけられていただろう。舞い上がる砂煙と、飛び跳ねる小石の中、グランの体は、ぎりぎり上手いこと床を飛び越え、そのまま湖の上に飛び出した。その瞬間に、落下していた床が下の階に達したらしく、轟音が空気を震わせて背中から追いかけてきた。

 もうあとは、後から降ってくるであろう瓦礫にぶつからないのと、自分達が落ちる水面が浅瀬でないことを祈るしかできない。灯りも映さない夜の湖面は、ただただ暗く黒く広がって、距離感も掴めない。せめて今のうちに息だけでも吸い込んでおこうと、思ったところでグランの体は闇が形になったような湖の中に突っ込んでいた。

 自分が体のどの部分から沈んでいるのかすら判らない。判るのは、とりあえず自分が浅瀬に落ちたのではない、ということくらいだった。とにかくもがかずに、落ち着いて浮き上がろうと、大きく腕を広げると、グランの右手に水とは違う、海藻のようなものが触れた。あけた目の端に、かろうじて白っぽい色が見える。

 思わず握りしめると、その海藻のようなものごと、グランの腕も引っ張られた。もちろん湖に海藻なんかあるわけがない。水を蹴り、引っ張られた方向に左手を伸ばす。触れたのは、明らかに人間の腕だった。

 海藻のように思えたのは、エレムの法衣だ。

 ほとんど手探りで体を抱え込む。ちゃんと腕が体に、体には頭もついていたのでそれは安心したが、エレムは全く腕を動かす気配がない。落ちたときの衝撃で気を失っているのだ。早く浮き上がらなければ自分もエレムもまずい。

 が、視界がほぼ真っ暗なので、どちらが水面方向なのかも判らない。さっきまで外を赤く染めていた炎の蛇も火の鳥も、今はない。

 夜の闇の中を水に落ちる事が、これほど純粋に恐怖心を刺激するとは思わなかった。危ないとは判っていても、理屈を越える根源的な恐ろしさに手足が無意味にばたつきそうになる。灯りは、空はどっちだ。

 不意に。

 まるで夜の闇を斬るように光のカーテンが広がり、水中が明るくなった。

 目を向けると、大きな鏡のような丸い光がゆらいでいるのが見えた。太陽ほど強烈ではない柔らかな光が、二人に手をさしのべるように、湖面から光の筋を伸ばしていた。

 グランはエレムの体が仰向けになるように片手で抱え、光に向かって水をかき分けた。

 エレムが完全に気を失っていて、動かないのが逆に幸いしたのだろう。比較的楽に、グランは水面に顔を出した。



 切れた雲の間から、銀色の満月が顔をのぞかせて、辺りを青白く染め上げていた。

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