43.漆黒の傭兵と炎蛇の女王<3/5>
エレムとオルクェルが反射的に両脇に転がり避ける。グランも横に避けたいのを、右腕を顔の前にかざして必死で踏みとどまった。
夫人の手から放たれた炎の矢は、グランの正面に現れた赤い法円に吸い込まれた。
法円が鮮やかに輝いて消えると、グランをかばうように現れた炎の鳥が、孔雀のように大きく翼を羽ばたかせた。グランは同時に自分の剣を鞘から引き抜き、床を蹴った。
「いっぺんぐらい、役に立ってみろ!」
フィリスは首を伸ばし、グランの横を滑るように追いかけてくる。グランはそのまま右腕を引き、玉座に向かって駆け上がった。近づいてくる夫人の表情は、恐怖ともあきらめともつかない色で歪んでいた。
引いていた右手を前に突き出すのと、フィリスが剣身の中に吸い込まれるように消えていったのはほぼ同時だった。剣身はそのまま、玉座に座ったままの夫人の胸と、その後ろの玉座の背もたれを貫いた。
夫人の口から獣の叫びのような断末魔の悲鳴があがる。その息は火のように熱い。
今までフィリスの体を形作っていた火の魔力が、今度は体の中から夫人を焼き尽くそうとしているのだ。
グランは剣を抜こうと腕を引こうとした。だが、夫人の体ごと玉座まで貫いた刃は、簡単に引き抜けない。
手間取っているグランの右腕を、弱々しいながら夫人の左手が掴んだ。
その動きは夫人の意思というよりは、夫人を支配していた力そのものの意思のように思えた。使い果たされたと思っていた赤黒い光の力が、夫人の左手に再び集まりつつあるのが判る。
遠距離ならともかく、手が体に触れた状態で炎の魔法が発動したら、さすがにどうなるか判らない。焦るグランの顔の間近で、皺の深く刻まれた夫人の口元が、笑みを浮かべたように見えた。
その顔に、銀色の刃が突き刺さった。
湿った泥のような固まりと、黒っぽい土塊のようなものが周囲に飛び散った。
夫人の左手に集まっていた力の気配が、急速に四散していく。
近づいてきたオルクェルは、自分の投げた槍を引き抜き、静かに首を振った。もう命の気配のない夫人の左手に、爪に塗られたものとは違うを銀色の輝きを見つけて、グランは思わず手を伸ばした。
不意に、玉座の周辺……頭を垂れて動かない夫人の頭上に、金色に輝くいくつもの小さな法円が現れた。
法円は、現れるそばから白く輝く小鳥へと姿を変えていく。もう気配しか感じないが、夫人の体から離れ散っていく力を吸い取っているのは判った。男達は揃って振り返った。
「最後の力は、フィリスが使っちゃったのね。ちょっと惜しかったかなー」
グラン達の背後に、法円を足場にするように浮かびながら、キルシェが残念そうに呟いた。白い光でできた小鳥たちは、まるで夫人を迎えに来たなにかのようにしばらくその頭上で羽ばたくと、キルシェの方に集まっていく。
「外もあらかた片付いちゃってるわよ。あれだけの魔力が水で消されちゃったのは残念だけど、感心できないやり方で作った魔力だし、よしとしましょ」
グランは黙って視線を戻し、夫人の体から剣を引き抜いた。そのまま数歩下がると、グランが離れるのを待っていたかのように、夫人の体は一気に灰になって玉座の上に崩れ広がった。
オルクェルが驚いて身を引いた。
「これは……」
「さっきの火の鳥が、内側から燃やし尽くしたんだ」
グランは、一滴の血もついていない剣の刃を軽く振り、鞘に収めた。
「年をとった姿を、人に見られたくないみたいだったからな」
「なかなか優しいのねー」
かっこよく締めようとしてるのをからかうように、キルシェが声を上げた。その右の手のひらの中に、光でできた小鳥たちが次々と飛び込んで行く。
「終わってみれば、なかなか収穫も多めでよかったわ。ありがとね、グラン」
「待ってください」
明るい笑顔で身を翻そうとしたキルシェを、エレムが固い声で呼び止めた。
「僕らを操るような真似までして、あなたが魔力を集めるのはなぜなんですか。その力を、なんに使うつもりなんですか」
「なんにって……」
エレムは厳しい目つきでキルシェを見上げている。意外なことを聞いた、とでも言うように、キルシェは大げさに首を傾げた。
「あれば便利だから、かな?」
「ふざけないでください」
確かにキルシェの態度はからかっているようにしか見えないが、エレムが他人に対して、不愉快さをあからさまに見せるのは珍しい。キルシェは可愛らしく口元に指を当てて、困ったように小首を傾げた。
「ふざけてなんかないわよぅ。魔力はあれば便利だし、魔法を使えるのは楽しいじゃない?」
「そんな、おもちゃを集めるような理由で、こんなに多くの人を動かすんですか?! そんなわけないでしょう!」
「そりゃあ、今回は結果的にこうなっちゃったけどぉ」
キルシェは妙に胸元に腕を寄せて肩をすくめ、助けを求めるようにグランに甘えた目を向けた。もちろんグランは知らん顔で視線をそらす。
「でもこうして、人の命を食い物にしてた魔女もやっつけたわけだし? これからはもう犠牲になる人もいないんだから、あたしって、実はいいことしたんじゃない?」
「それこそ結果論ですよ! 僕は、あなたの目的を聞いてるんです」
「困ったなぁ」
こうなるとエレムは引かない。のらりくらりとかわそうとしていたらしいキルシェは、面倒そうに息をついた。
「嘘でもごまかしでもなんでもなく、あたしが魔力を集めたり、新しい魔法を探すのは、楽しくて、便利だからよ? 利用しようと思えばそれ以上のいろんな事にも使えるのは判ってるけど、今はそんな気はないし」
「そんなわけが……」
「じゃあ、逆に教えてよ、坊や?」
見かけだけならキルシェは、エレムよりも年下にしか見えない。そのキルシェに坊や呼ばわりされて、さすがにエレムも言葉に詰まった。
「あなたが、古代遺跡や古い魔法に関する知識を求めるのはなぜ? レマイナの神官として薬や医療の知識もあるのに、剣を持って強くなろうとするのはなぜ? 人並み以上に剣も扱えるのに、法術まで使いたいと思うのはなぜ?」
「それは……」
不意をつかれた様子で、エレムが答えに窮している。
「力そのものは、悪でも善でもないのよ。それをどう使ってるように見えるかで、周りが勝手に決めるだけ。まぁ、今回はあたしもさすがにやり方がまずかったかも知れないけど、力を集めることや持っていること自体を責められるのは、お門違いってものじゃない? あなたのその知識も、そこの隊長さんの持ってる地位と権力も、グランが綺麗な顔して目茶苦茶強いのも、それだけじゃ悪でも善でもないでしょ?」
確かにそれも理屈ではある。しかし顔は関係ないだろう。自分まで引き合いに出されて、オルクェルが戸惑ったように目をしばたたかせた。
「あたしから見たら、グランやあたしよりも、坊やの方がずーっと欲ばりよ。強くなりたい人の役に立ちたい、いろいろなことを知りたい、あれも欲しいこれも欲しいもっと欲しい、なんだもの。そんなにいろんなものを欲しがって、あなたはいったいなにになりたいの?」
「僕が欲ばり……?」
エレムは本心から驚いた様子で問い返した。キルシェは呆れたようにため息をつき、今度はグランとオルクェルに目を向けた。
「そうそう、この城なんだけど、とっくに建物としての寿命は切れてるみたいなのよね」
「……は?」




