40.炎の蛇と水竜の騎士<後>
「聞いてねぇぞ!」
今更戻るわけにもいかない。無理は承知で、飛び跳ねながら剣を抜こうとしたグランと、グランに向かって炎の舌を伸ばそうとした火の蛇の間に、赤く輝く文字の羅列が円を描いて浮かび上がった。
まるでガラス板に描かれたかのように現れた光の文字の法円は、その中央で炎の舌を受け止め、ひときわ鮮やかに輝いた。
その輝きがおさまり法円が消えると、そこにはカラスほどの大きさの炎の鳥が、炎の蛇と対峙するように羽ばたいていた。
グランはその下をかすめるように、橋桁に飛び下りた。
炎の蛇は戸惑ったように首を引いた。位置的には、炎の舌は確かにグランを直撃していたはずだ。
先行したグランを追いかけるように、炎の鳥も左後ろについてくる。
そういえばキルシェの話では、グランの左手に棲み着いているフィリスとかいう火の鳥は、魔力の炎による攻撃なら食べてくれるような話だった。今までは怪しい奴が近づくと左の手のひらが痒くなる程度だったし、そもそも魔法で攻撃されるなんてそうそうあることではないから、グランはあまり本気にしていなかったのだ。
一旦引いた炎の蛇が、気を取り直したようにもう一度グランに向かって口を開いた。さすがに目の前まで降りてこられると、呑み込まれそうに大きい。
舌というよりも息のように大きな炎が、蛇の口から吐き出される。
身構える間もなく、フィリスが大きく翼をはためかせ、グランをかばうように前に進み出た。
再び目の前で、真っ赤な法円が展開した。吐き出された炎が大きいからか、今度の法円は複数現れた。
法円が炎を受け止めて鮮やかに光を放つ。それが消えると、フィリスは鷹ほどに大きくなっていた。
「考えてみたら、あれは魔力の固まりなわけよねー。これはなかなか美味しいかも」
橋桁に飛び下りたグランの足元の真横に、今度は白い光の法円が出現した。その上に揺らぎながら現れたキルシェは、ちらっと横目でグランを見ていたずらっぽく舌を出し、グランと同じ拍子で鳥のように飛び跳ねた。
その飛び跳ねた先の空中に、また光の法円が現れる。次々現れた法円を足場にするように飛び移りながら、キルシェはあっというまに炎の蛇の頭上に躍り出た。
「あなたの遊び相手はあたし」
言いながら動いた右手の指先の動きに合わせて、蛇の頭の周辺に赤い法円がいくつも現れた。炎の蛇は煩わしそうに頭を上げ、キルシェと法円を振り払うように首を振る。
その首が触れると、法円は鮮やかに赤く輝き、同じ数だけの炎の鳥に姿を変えた。
遠くから見たら、獲物に群がる猛禽類の群れのように見えるかも知れない。蛇も鳥も同じ炎であるはずなのだが、法円から生まれた鳥の方が明るく華やかに、蛇の周りを飛び交っている。
その後ろでは、二つの頭がひとつになって大きくなったもう一頭の火の蛇と、ヘイディアの操る竜巻がぶつかり合って水蒸気を上げている。広がった白い霧を炎が照らして、城の上空はまるで空自体が燃えているかのように明るい。
キルシェが出てきたのは三人を援護するためではなく、魔力を集めるためのようだ。それでも、とりあえず小さい方の頭はキルシェが相手をしてくれるらしい。
大丈夫とは思っても、目の前で火の蛇が口を開けるのはいちいち心臓に悪いから、ひきつけてくれるならそれに越したことはない。頭上で世界の終わりのような光景が展開する中、濡れた橋桁に足を滑らせることもなく、三人はなんとか浮き橋を抜け、岩場ばかりの島の上に降り立った。
さすがにここまで来ると、竜巻の影響でそこそこの風が吹いている。それでもかなり近いはずなのに、人や物が吹き飛ばされるほど強くはない。相当上手く制御しているのだろう。
「なんというか……その」
浴びた水しぶきで湿った髪をかきあげながら、オルクェルはかなり戸惑った様子で、グランの斜め上で羽ばたく炎の鳥を指さした。
「とりあえずそれは、味方ということでよいのであるか?!」
「あ、うん、鳥の形をした松明だとでも思ってくれ」
なんにしろ、今詳しく話している暇もない。どのみちこのままでは邪魔なので、グランはふと思い出して左手をひらいて上に向けてみた。フィリスは大きくなった体でグランの頭上に円を描き、そのまま手のひらの中に吸い込まれていった。
あっけにとられているオルクェルを見て、エレムは気の毒そうに微笑んだ。その視線を、城門の奥に見える城の玄関扉に移す。
普通なら夜は閉じられるはずの城門が、今も開かれたままだ。湖上の城だから常に開け放っているのか、城内が混乱していて閉じる余裕がなかったのかはよく判らない。
玄関までの石畳の広場にも、衛兵どころか人っ子一人おらず、松明もたかれていなかった。上空が明るいから、まわりを見るのに不都合はないが、やはり異様な感じがする。
念のために、城門の物陰から中をのぞいてみたが、建物の高見から飛び道具で待ちかまえているような影はない。閉じられた玄関扉ののぞき窓から視線を感じる程度だ。
その玄関扉は、豪華な装飾が施されてはいるが、さほど強固に作られているわけではないようだ。なんにしろ、ほかの場所を探すよりは、あれを開けてもらった方が手っ取り早そうだが、どうしたものか。
グランは少し考えた後、二人を手招きしてひそひそと自分の考えを述べた。