11.母なる神の法術師
この界隈では比較的大きな町であるシャスタは、山あいの狭い平地にある。石造りの建物が身を寄せるように立ち並ぶ、可愛らしい町だ。昼を過ぎたばかりの日差しの中、街全体の雰囲気はのんびりと落ち着いている。
入り口では簡単な検問があったが、衛兵はエレムを見るなり好意的な笑顔になり、
「この辺では見ない神官さんだが、あんた様も、ラムウェジ様に会いに来られたのですか? あれほど偉い法術師様となると、同じレマイナの神官さんでもなかなかお会いできないんでしょうな」
「えっ? ラムウェジ様がいらしてるんですか?!」
「ええ、到着された昨日は、ラムウェジ様に祝福して欲しいという人が集まってきて、教会の周りがお祭りみたいに賑やかでしたよ」
衛兵は、話が微妙にかみ合っていないのに気付かない様子だ。一緒にいるグランとランジュのことも、あまり気にとめた様子はなく、すんなり検問を通してくれた。
レマイナ教会の建屋は、この門からまっすぐ伸びた大通りの先にあるという。きょろきょろするランジュの手を引くエレムは、なぜか浮かない顔をしている。
「……ラムウェジって、この間の仕事で、俺達を替え玉役に推薦した奴だよな? なんでこんな所にいるんだ?」
「南西地区にいるのは聞いてたんですけど、ひょっとしたらエルディエル公国に向かっているのかもしれないですね。あの件で、本命の輸送部隊を保護してくれたのは、エルディエルでしたから。レマイナ教会からの使者として、大公にお礼の謁見をするお役目でも預かってるのかも知れません」
「教会の代表役を任されるほど偉い奴なのか?」
「そりゃあ、教会内でも五本の指にはいるほどの、強力な法術師ですからね。グランさんも、レマイナの法術師が扱う癒しの力は、何度か見たことがあるんですよね?」
「ああ、俺が見たのは、そんなにひどい怪我の奴じゃなかったが……」
グランが見たなかで一番印象が強いのは、木切れが刺さった跡がひどく腫れあがった子供の傷を、たまたま行き会ったレマイナの法術師が癒す所だった。ゆっくりとではあったが、傷口がふさがって腫れが引くのにあわせて、中に残っていた小さなとげが何本か押し出されて来たのには、さすがに驚いた。
「でも治すのにかなり苦労してたみたいだな。わりと時間もかかってた」
「ほとんどの法術師は、軽い炎症や怪我を癒すだけでもそれなりに時間がかかるはずですよ。本来なら完治に数ヶ月かかるような大きな怪我を、それこそ『魔法のように』短時間で回復させられるような法術師は、大陸中を探したって十人に満たないはずです。少なくとも僕は、ラムウェジ様以外には、あれほど強力な法術を扱える方にお会いしたことはないです」
「てことは、一応顔見知りなのか。お前、そのラムウェジって奴に怒られるようなことでもやらかしたのか?」
「え? そんなことはないですけど」
「じゃあなんでそんなに不景気な顔してんだよ」
エレムは目をしばたたかせ、すぐに取り繕った笑みを見せた。
「いえ、とても可愛がっていただいてるんですけど、ちょっと、表現が特殊で」
「へぇ……?」
エレムはグランの怪訝そうな表情に気付かないふりで、油断をするとすぐあちこちに駆け出そうとするランジュの動きを牽制している。
大地の女神レマイナは、地上に生きる全ての命の守り手だ。それに仕える神官は皆、基本的な医療技術を学んでいる。レマイナの教会建屋には必ず診療所が併設されていて、軽い怪我や病気なら安価で診察してくれるのだ。
教会の診療所の前では、広げた布や持参の椅子に座って何人かが順番を待っていた。みんな待つのは慣れっこなのだろう。持ち寄った菓子や果物を周りの者に差し出して、お喋りをしながら時間を潰している。
診療所の受付を兼ねる窓口で、書類をさばていた女の神官は、見慣れない若い神官とその連れをよそ行きの笑顔で出迎えた。
「お疲れ様です、北東地区巡検官補佐役のエレムです」
「北東地区……?」
彼女は不思議そうに首を傾げたが、その視線が背中の剣に移り、更に後ろのグランを見て、合点がいった様子で頷いた。
「ああ、ラムウェジ様の息子さんのエレムさんですね。お話は伺ってますよ」
「え、はぁ……」
なぜかくすりと微笑むと、彼女は建物の奥を手で示し、
「ラムウェジ様ならさっき、司祭様と中庭に行かれました。誰かしらいるから、判らなければまた声をかけてください」
「ありがとうございます」
エレムはこころなしか恥ずかしそうに頭を下げる。後ろで聞いていたグランが目をしばたたかせた。
「ラムウェジって奴は、お前の父親なのか?」
「え、いえ、そうじゃないんですが……」
「今、息子って言ったじゃねぇか」
「そうなんですけど、その……」
口ごもりながらも、エレムはランジュの手を引き、早足に廊下の奥に向かっていく。誰に対しても人当たりのよいエレムが説明しづらい父親とは、どういう人物なのだろう。よほど厳格な人間なのだろうか。
廊下のつきあたりの扉をくぐると、割と広い中庭があった。その一角にある、日よけ用に作られた葡萄棚の下で、何人かが椅子に腰掛けて話し込んでいる。老齢の神官が二人と、三十歳前後の女の神官だった。
老人の一人は、ほかの神官達は使っていない、角張った帽子をかぶっている。蓄えたひげが真っ白に輝いて、見るからにありがたそうな雰囲気だ。
近づこうとエレムが足を踏み出したのと、椅子に腰掛けていた女がこちらに気付いたのはほぼ同時だった。女は目を丸くすると、
「エレム! どうしてこんな所にいるの?!」
顔を輝かせ、勢いよく立ち上がった。グランが目を白黒させて、エレムと女を交互に見返した。
「あれが?」
「はぁ……」
女は目の前にいる老人達のことをすっかり忘れたような勢いで、あっという間にこちらに駆け寄ってきた。はっとしたエレムが思わず半歩ほど退こうとしたが、その時には、女は有無を言わせずエレムの首に飛びついていた。
「きゃー、エレムだわエレム、ちょっと筋肉ついた? なんかごつくなってない? やだー」
「なってませんなってません、これはもういくらなんでもやめましょうよ」
「エレムはエレムなんだから文句言わない!」
再開を喜ぶ抱擁と言うよりは、小さな弟を一方的に可愛がる姉といった様子だった。背は女の方が低いのだが、エレムは観念したのか、多少背を丸めて抱きつかれるままだ。驚いていないのは流れがよく判っていないランジュくらいで、周りにいる者は皆一様に目を丸くして動きを止めている。
少しの間エレムの金髪に頬ずりしていたラムウェジは、やっと気が済んだのか、満足げな顔でエレムを放し、今度はグランの方に顔を向けた。
自分も同じ目にあうのだろうか。思わず身構えかけたが、ラムウェジはしげしげとグランの顔を見上げると、
「この人が、『漆黒の刃』くん?」
「はぁ?」
「グランバッシュさんですよ。グランさんって呼ばせていただいてます」
「さすが『漆黒の刃』って名前通り、髪も瞳も黒くてかっこいいわねぇ。それに“緋の盗賊”エルラットの命名なんでしょ? すごいわー」
「なんで広まってんだよ! 俺は認めてねぇぞ!」
「それに話に聞いてたより全然美男ね。いいなぁエレム。私もこういう従者がひとり欲しいわ」
「従者じゃないですよ、旅に同行させて頂いてるんですよ」
人の話をまったく聞いていない。喋れば喋るほど、高名な法術師のイメージが遠のいていく。グランがあっけにとられていると、くしゃくしゃにされた髪を整えながら、エレムがひきつった笑顔でこちら見た。
「すみませんグランさん、悪気はないんです。昔からこういう方で」
「あー、ひょっとして『漆黒の刃』くんも、私をおじいちゃんだと思ってたクチ? 意外と発想に独創性がないのねぇ」
「意外でも平凡でもなんでもいいからまず俺の名前を覚えろ。変な二つ名で呼ぶんじゃねぇ」
「かっこいいのになぁ、こう見えてわりと照れ屋さんなのかしら」
残念そうに唇を尖らせると、不意にラムウェジは表情を正し、穏やかな笑みでグランを改めて見上げた。
「グランバッシュ様、エレムがお世話になっております。私、エレムの母のラムウェジでございます」
「あ、いや、世話っていうか一緒に組んでるだけで……母?!」
急変した表情に呑まれ、思わず握手に応じてから、グランはぎょっとしてエレムに顔を向けた。どう見ても、エレムとラムウェジの年齢差は母と子のそれではない。年の離れた姉弟がいいところだ。
「なんかいろいろとおかしいぞ?! お前いくつでこいつはいくつなんだ?!」
「嫌だわ、女性に年齢を聞くなんて」
「いきなりしとやかになってんじゃねぇよ!」
「見かけの年齢は置いておいて、ラムウェジ様は僕の養い親なんです。血はつながってないですよ」
エレムが困った顔で割って入る。ラムウェジは大きく頷き、エレムの横できょとんとしているランジュの頭に手を置いた。
「こーんなちっちゃいエレムの手を引いて、一緒に旅してたのよね。懐かしいわぁ、……って、この子はどこから連れてきたの?」
「え、あ、それが」
そういえば、ランジュのことをどう説明するか、なにも考えていなかった。慌てるエレムをしげしげと眺め、ラムウェジはぽんと手を打った。
「ひょっとしてエレムの子ども? ということは私の孫?!」
「いきなり何を言ってるんですか。十年前はまだ神官学校にも入ってませんから」
「あ、うん、お約束通り驚いてみただけ。じゃあ、この子は『漆黒の刃』くんの隠し子なのね」
「違うから。つーか名前で呼べって」
「あら、独身貴族を満喫する主人公の所に突然、昔の女からの手紙を持って娘を名乗る子どもたちが押しかけてくるのって、一昔前の大衆演劇で大人気だったのよ。『お父さまは時事報朗読者』とか見たことない?」
「どこの大衆演劇だよ! 知らねぇよ!」
なぜエレムがラムウェジと会うことを渋っていたかが、今になって判ってきた。
そろそろ疲れの見えてきたグランを見て、ラムウェジは楽しそうに微笑み、今度はランジュに向き直った。膝をかがめ、ランジュの顔をのぞき込む。
「初めまして、お嬢さん、お名前は?」
「『ラグランジュ』です!」
あ、と思った時には、ランジュはよい子の挨拶のお手本のように大きな声で答えていた。エレムとグランの動きが揃って凍りついた。
だが、
「そかそか、いい名前だね」
ラムウェジはにこにこと、ランジュの頭を撫でている。
考えてみたら、伝説の秘宝だか秘法といわれる『ラグランジュ』がこんな子どもの姿をしているなどと、普通は思わない。ラムウェジと周りの者たちは、単純に伝説にあやかった名前だと思ったようだった。
「で、この子がグランさんの隠し子とかじゃないなら、どうしてあなたたちと一緒なの?」
「あ、それは……」
まさかこんな所でいきなり、ランジュが本物の『ラグランジュ』だなどと説明も出来ない。エレムが困った様子でグランに目を向けたが、グランだって自分に振られても困る。
代わりに、
「ラムウェジ殿、お取り込み中申し訳ないのですが」
いつの間にか近寄ってきた法衣姿の老人が、軽く咳払いをしながら声をかけてきた。ラムウェジが、あっと言う風に口元を押さえる。
「ごめんなさい、お話の途中だったのに」
「いやいや、久しぶりに親しい方にお会いできたようで喜ばしいことです。つもる話もあるでしょうが、診療所の患者に、ひとり急いで診ていただきたい方がいらしたと」
「あら、どうしました?」
見れば、老人の後ろには、診療所の介護役らしい若い神官が立っていた。
「隣町から、高熱で意識のない子どもを抱えて駆け込んできた女性がおられまして。水分も受け付けない状態で、もう体を冷やす以外に手だてがないと司祭さまが」
「まぁ大変」
今までの表情が一転し、真剣な瞳で頷いて身を翻しかけたラムウェジは、少し立ち止まると、振り返ってエレムとグランを手招きした。
「あなたたちもいらっしゃい。グランさんも」
「俺も?」
ラムウェジは頷くと、呼びに来た神官に続いて早足で診療所に向かって歩き始めた。ほかの神官達もぞろぞろと後を追いかける。グランが視線で問いかけると、エレムは緊張した顔つきで大きく頷いた。
「ラムウェジ様が法術を使う所に立ち会えるなんて、滅多にないですよ。ランジュもおいで」
「おひるごはんですかー?」
「ああ、そうだね。ラムウェジ様のお仕事が一段落したら、食べられるところがないか聞いてみようね」
エレムは苦笑いを浮かべると、ランジュの体を抱き上げた。
エレムはランジュの見た目にすっかり適応しているらしく、ごく普通の子どもとして扱うことに違和感を感じていないようだ。グランはどうにも腑に落ちない気分だ。
まぁそれは別にして、強力な法術が使われる所が見られるのは、確かに興味があった。
診療室では、ぐったりした子どもを抱きかかえた母親が待っていた。介護役の神官が、濡らしたタオルを首筋に当て、水を含ませた綿で唇を湿らせてやっている。しかし子どもは全く反応がなく、呼吸だけが熱く荒い。
「あの、おとといの夜から熱がずっと下がらなくて」
ラムウェジの姿を見て立ち上がった母親が、すがるように口を開いた。
「それでも、昨日のうちは白湯を口にする元気はあったのですが、今日になったら声をかけても答えが……」
ラムウェジは片手をあげて女の言葉を制し、子どもに向けて両手を伸ばした。受け取った子どもを抱きかかえ、汗の浮いた額をなでてやる。
「大変だったね、もう大丈夫だよ」
さっきまでのつかみ所のない態度からは想像できないほど、ラムウェジは優しく微笑んだ。
「……地上のすべての生命の源、慈愛に満ちた大地の守り手レマイナよ」
子守歌でも歌うような、穏やかな声だ。声量もそれほどではない。
それでも、周囲の空気が一変したのは、その場にいた全員が感じたらしい。それまで心配そうに様子を見守っていた周囲の神官達が、揃って息を飲んだのが伝わってきた。
「その美しき慈悲の指先で、あなたのおさなごの痛みを取り除きたまえ。おさなごの母の苦しみを取り去りたまえ……」
聖なる光がラムウェジの周りを包んだ、という訳ではない。目に見えるような異変は一切起こらなかった。ただ、なにかの力が、それもとても凝縮された力が、柔らかなつむじ風のようにラムウェジの足元から湧き上がったのが、グランにも判った。
湧き上がった力は間近にいた者達をかすめ、ラムウェジの腕の中の子どもを包み、そのまま吸い込まれていった。
荒かった子どもの呼吸が、穏やかに落ちついていく。ラムウェジの胸に頭を預け、穏やかな寝顔に変わっていく我が子を見て、母親が驚きと喜びで涙ぐんだ。
「この子とお母さんを、別の部屋で休ませてあげて。汗をかいたあとだから、着替えと、あと飲み物もね」
母親の腕に子どもを返すと、周りで呆然としている神官達に、何事もなかったような顔でラムウェジが声をかけた。
「お母さんも、何か食べて少し寝ないと駄目だよ。熱の原因はなくなったけど、体力はまだ戻ってないからね。お母さんが弱ってたら、子どもも元気になれないよ」
「は、はい、ありがとうございます」
「ふたりとも、よく頑張った。偉かったね」
ラムウェジに頭を撫でられ、母親はびっくりした様子で潤んだ目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
グランも今まで、レマイナの神官が法術を扱う場面を見たことは何度かあった。だが、これほど劇的に重体の者を回復させる所を見たのは、ラムウェジが初めてだ。
ラムウェジの法術を見るのは初めてではないはずのエレムも、母親の腕にかえされた子どもを、言葉もなく見つめている。
親子が、助手の神官達に連れられて別室に移動するのを見送ると、ラムウェジはランジュを抱いたエレムと、その後ろに立つグランに向けてにっこり微笑んだ。
「三人とも、お昼は済ませたの? 法術使ったら、おなかすいちゃった。ちょっとつきあってよ」
「ごはんを食べないとおなかがすくのですー」
驚きと感動の余韻に浸っていた周囲の者達は、即座に反応したランジュの声に、揃って笑い声を上げた。