31.小さな城の大きな秘密<5/6>
表情の消えた夫人を見て、グランは片眉を上げた。
「……で? 俺達をここまで連れてきたのは、黙って帰す気がないからなんだろう? この町のために、順番にこの中に入ってくれとでも言う気だったのか?」
「……この装置は、どんな人間にも多かれ少なかれ備わった魔力を抽出するもの。普通の人間なら二・三年、よくて四・五年程度ですが、法術や魔術の素質のある者であればもっと長持ちします。そちらのお二人の……特にルアルグの神官様ほどの力があれば、それこそ五〇年は保つかも知れませぬ。あなた一人の協力があれば、この先燃料として投じられるであろう一〇人二〇人の人間が救われる……と申し上げようかとも思ったのですが」
言いながら、夫人は苦笑いを見せた。先手を打ってグランが詭弁だと論破してしまったものだから、その論法でヘイディアやエレムの、罪悪感や自己犠牲の精神を刺激することはもうできない。もっとも、まともな神経の者がそんな言葉に従うとも思えないのだが。
それに、グランとエレムは武器を持っているのに、夫人自身は素手なのだ。周りには人が隠れている気配もない。逃げ出されたり、反抗されたらまずかろうに、なんなのだこの余裕は。
グランの左の手のひらは、相変わらずちりちりと熱い。強力な法術を使う神官と、剣を持った男二人に対抗できるような手段を、夫人はなにかしら確保しているのかも知れない。
「それ以上に、私が関心があるのはあなた様です」
「俺?!」
「はい」
間抜けな声を上げたグランに、夫人は今までのものとは質の違う、媚びを含んだ笑みを見せた。
そういえばクフルで話を聞いた船頭は、『夫人はきれいな男女を侍らせて楽しんでいる』なんてことを言っていた。今のこの状況で、色仕掛けもなにもないだろうに。
「お会いした時から、ただお美しいだけではないと思っておりましたけれど、転移の法円を作動させたことで確信いたしましたわ。あなた様も、古代人の残したなにかの力と、契約なさっているのですね」
「け……契約?」
おうむ返しに答えながら、グランは腰に帯いた剣の柄に、無意識に視線を走らせた。埋め込まれた月長石は、赤黒い落日のような球体の前でも怯むことなく、濁りのない青白い光を放っている。
「あの法円は、普通の者が入った程度では作動いたしません。だからあのように、ロープを張った程度で監視もつけずに置いてあるのです。それをあなた様は作動させた。あなた様には、この城の管理者に準じる資格があると、城を守る力が判断したのです」
左手の熱さがさっきよりも増した気がする。夫人の、甘い熱を含んだ瞳がグランの視線を捕らえた。
「いかに城の主ひとりが不老の特権を得ても、家族は皆老いていきます。さすがに不死ではございませんから、永遠の孤独とまでは申しませぬけど、大勢の中でただ一人老いることのない身は、とても寂しゅうございますのよ」
「グランさん、聞いちゃ駄目です……!」
自分でも知らずに、足を踏み出したグランに気付き、はっとしてエレムが声を上げた。しかし、身動きしようとしたのは感じられたが、実際には動けないでいる。夫人はグランの視線を捕らえたまま、つややかに塗られた唇を動かした。
「城を守護する力に認められたあなた様なら、同じように老いることなくともにあり続けられます。見た目の美しさも申し分ありません。その若く美しい姿のまま、この城に留まり、私のものになることを誓うのです」
最後はもう、説得ですらない。それでも、グランは自分の足を止めることができなかった。
夫人の余裕はこれだったのだ。城の力の源の側にいるせいもあるのだろう、呪文すら使わず、人の動きを操る強力な力。ひょっとしたら、心までも。
艶やかに微笑んだまま、夫人は自分の右手を差し出した。手の甲を上にしたその仕草は、たぶん、役場でグランに拒まれたことが心に残っているのだろう。
跪くどころか、手を取るのすら御免……なはずだったのだが、今は全く嫌な気分がしなかった。グランは差し出された手を取り、なんの抵抗もなく片膝をついた。唇と同じ色に塗られた爪が、目の前で鮮やかに光を放っている。
白い肌に青白く血の筋が見える夫人の手の甲に、グランはゆっくりと唇を近づけた。
「……の閉ざされた道を開き給えっ」
それまで言葉もなく立ちすくんでいた……と思っていたヘイディアが、突然大きな声を上げた。
はっとした夫人が顔を上げるのと、夫人の背後の空間で大きく風が動いたのはほぼ同時だった。床を覆う白い砂が舞い上がり、一旦収縮するように渦を巻いた風が、一拍おいて一気に大きな石つぶてのように放たれた。グラン達からは正面に見える、磨りガラスのはめ込まれた壁に向かって。
風は先に、はめ込まれた磨りガラスを全て外に向けて吹き飛ばし、遅れて、耐えきれなかった壁そのものを外へ向かって吹き飛ばした。
窓側の壁は、燭台のある側とは違って、古い石造りの城の壁と同じだ。その気になれば遠距離からでも現役の城の塔を吹き飛ばすほどのルアルグの法術を間近で受けて、古い時代の建物の壁はひとたまりもなかったのだ。
風の向きはほとんどが外方向に流れていたが、残った壁や床に当たった一部が部屋の中にはね返って、白い砂を巻き上げた。立っていられずにグランにすがろうとした夫人の体を、グランは立ち上がりながらとっさに抱えあげ、力任せに部屋の中央に放り投げた。
ヘイディアの術が発動したのに動揺したのか、夫人の集中力が切れたらしい。それはそのままグランの呪縛を解いたのだ。
夫人は赤黒い球体の中に背中から突っ込んだ。そのままを突き抜けるかと思ったのだが、夫人の体は寒天のような球体の中に柔らかく呑み込まれた。
球体の芯に当たる部分が鈍く輝き、遅れて球体の全体が同じように輝き始めた。それはまるで新しい「燃料」を与えられた球体が、喜々としているような輝きだった。
だが夫人の体を押しつつもうとしたその輝きは、すぐになにかに気付いたように明滅を始めた。自分達が力を供給するべき対象が、誤って入り込んだのに気付いたらしい。
同時に、夫人の体と、もとあった「燃料」の周りの寒天のようなものとの間に隙間が出来、球体の外に押し出すように吐き出した。
白い砂の上に、二つの人間の体が投げ出される。
「そこから外へ!」
ヘイディアが駆け出しながら、グランとエレムに向けて声を上げた。穴の開いた壁からは、湖の水の匂いを含んだ風が流れ込んで来る。グランも後に続こうとした。
だが、体の動きが自由になった事に気付いたエレムは、空になった赤黒い球体と、その向こうに投げ出され、咳き込んで丸くなっている夫人を見比べ、背中に背負った剣を引き抜いた。