10.見た目は子供、中身も子供
スィンザという村は、グラン達が飛ばされた遺跡から、一刻もかからない場所にあった。
藪の中に放り込んでおいた馬鹿のひとりから、一番近い村か町かの場所を聞き出しておいたので、比較的楽にたどり着けた。もちろん最初は非協力的だったのだが、全員を道から更に目につきにくい場所に移動させた上で、
「嘘をつくのは自由だけどさ、このまま誰にも見つけて貰えないで干からびて死ぬより、街の衛兵にでも迎えに来て貰ったほうがいいんじゃねぇの?」
と鶏冠頭に親切に提案したところ、涙を流さんばかりに喜んで教えてくれたのだ。
教えられたとおりの場所にあったスィンザの村で、自警団に通報したのが、午前の半ばを過ぎた頃だった。
別に約束通り通報してやらなくても、グランはちっとも困らなかったのだが、
「何も知らない人が通りかかって、あの人達の縄を解いてあげたらどうするんですか。無関係の人にまで迷惑がかかっちゃいますよ!」
とエレムが主張したのだ。
自警団の連中が慌ただしく村を出て行くのを見送ってから、三人は情報集めがてら、その本部になっていた民家で休ませて貰うことになった。
こうした辺境の村だと旅人は警戒されがちだが、人の好さそうな若い神官が小さな女の子を連れた姿が、留守番をする老女の親切心を刺激したらしい。老女は、軒先に置かれた木の長椅子を三人にすすめ、人数分の果実水を持ってきてくれた。
「森の先には遺跡しかないのに、どこからどういらしたんかね?」
「え? あ、その、なんだか迷っちゃったみたいで」
「それはまぁ、難儀でしたなぁ」
まさか、古代の魔法で突然飛ばされてきたのだとも言えない。
言い淀んだエレムを見て、迷ったのが恥ずかしいのだとでも思ったらしく、老女は皺だらけの顔で微笑んだ。原因そのものであるランジュは果実水を飲むのに一生懸命で、ある意味原因のひとつであるグランは、借りた地図を眺めて知らん顔をしている。
「それにしても、可愛いお嬢さんだねぇ。そっちのお兄さんの娘さんかい?」
「ちがいますー」
あっというまに果実水を飲み干してしまったランジュが、無邪気に答えた。
「グランバッシュ様は私の所有……」
「ちょ、ちょっとした事情で親御さんから預かってるんです!」
エレムが慌てて割って入った。老女は、一気にげんなりした様子のグランと、にっかり笑っているランジュを不思議そうに見比べたものの、
「若い男のひと二人で、女の子を預かるなんて、大変だねぇ」
そう言いながら、ランジュが空にしたカップを片手に、奥に引っ込んでいった。どうやらお代わりをくれるつもりらしい。冷や汗をかいているエレムの横で、ランジュは手つかずのまま置かれているグランの分のカップを、物欲しそうに眺めている。
「この辺にこの村があって、この国の北側を『探求者の街道』が通ってて、そのもっと北にオヴィル山脈があるってことは……」
それまで黙って借りた地図を見ていたグランは、渋い顔でこめかみを押さえた。ランジュの頭越しに地図をのぞき込み、エレムがその左下を指さす。
「ここに、『至るタルニア』ってありますけど、タルニアって確か、エルディエル公国の南東にある国ですよね」
「じゃあこの辺、エルディエルの近くってことか? 南西地区じゃねぇか!」
メロア大陸には、中央部を横断する『探求者の街道』と、その北にあるオヴィル山脈を挟んで平行に走る『探索者の街道』があり、その両者をつなぐように南北に大陸を縦断する『探訪者の街道』が交わるあたりを中央地区中央部と呼んでいる。その場所を基準にすると、エルディエル公国のある中央地区南西部と、サルツニア王国のある中央地区北西部はほぼ正反対の位置関係になるのだ。
その三つの街道のおかげで、中央地区全体ははかなり広範囲に渡って共用語のサラン語と、同じ貨幣が通用する。それでも、中央部から遠くなれば文化や風習は土地ならではの特色が強くなるし、物価の違いも出てくる。
「そうなると、単純に考えてもキャサハまで戻るのに二ヶ月以上はかかるぞ……」
グランは唸るように呟いた。
「どうして、いきなりこんな場所に放り出されたんでしょう」
「こいつが自分で言ってたじゃねぇか、ラグランジュの持ち主には、『望みに近づくための機会や試練がたくさん与えられる』って。つまり、俺がこいつを返品するのに苦労させるためなんじゃないのか」
「でも、ランジュに出会った時点ではまだ、グランさんには『ラグランジュ』を使う目的がなかったはずですよね。『返品だ』なんて言い出したのは、遺跡を出てからですよ? ただ単に遺跡から出るだけなら、こんな遠く離れる必要はないじゃないですか」
「……俺がなにを望むか、判ってたってことか……?」
二人は揃って、間に座るランジュに目を向けた。グランの分のカップを両手に抱え、既に半分ほど果実水を減らしていたランジュは、二人の視線に気付いて誤魔化すように笑顔を見せた。
「なら、まずキャサハを離れたってことに意味があるんだな」
グランは大きく溜息をついて、地図に視線を戻した。
「やっぱり返品のためには、あの遺跡にもう一度行かなきゃ駄目なんだろう。鍵はあるから中には入れるし」
「そんなに単純な話なんでしょうか」
「今はほかに考えようがないだろ。手がかりも少なすぎる」
エレムはどうにも納得いかなそうな顔つきだ。グランだって、確信を持って言ってるわけではない。しかし、役に立たない子どもを背負っての二ヶ月の旅というのは、それだけで「試練」な気もする。
「……その辺の孤児院にでもこいつを置いていったら、『ラグランジュ』の効力ってどうなるんだろうな?」
「なにを鬼みたいなことを口走ってるんですか」
「どうにもなりませんよぉ」
二杯分の果実水を腹に入れて満足していた様子のランジュも、さすがに危機感を感じたらしい。
「『ラグランジュ』の影響力に、物理的な距離は関係ないのですー」
「だったら、離れた場所にいても同じなんじゃねぇの? 連れ歩かなきゃ、少なくともお前の飯代宿代はかからないんだから、まだましだろ」
「自分が所有しているものの面倒を見るのは、所有者として当然だと思いますー」
「よく判んねぇうちに、勝手にくっついてきただけじゃねぇか」
「グランさん、小さい子相手に大人げないですよ」
エレムが呆れた様子で口を挟んできた。
「それに、ランジュを返品に行くのに、ランジュを置いていったら意味がないじゃないですか」
「あ……」
「ないじゃないですかー」
ランジュはすました顔で、エレムの言葉の語尾を繰り返した。エレムは笑いをかみ殺していたが、言葉に詰まったグランに睨みつけられ、あらぬ方向に視線をそらした。
「……まぁ、あとはもう少しでかい町に出てからだな。こんな地図じゃこれ以上はなんともならん」
「そうですね。一番近い街までさほど遠くないようですし」
「あっ!」
どうにも明るい気分になれない二人の間で、ランジュが突然声を上げて立ち上がった。なにごとかと声を掛ける暇もなく、ランジュは庭に咲く花にとまった蝶を見ようと、ゆっくり近寄っていく。
「……ほんとに普通の子どもですね。持ち主の願いを叶えるのに、どうして人間の姿になる必要があるんだろう」
「知るか」
目をきらきらさせ、ランジュは花の蜜を吸う蝶の間近に顔を寄せている。グランは渋い顔で、たたんだ地図をランジュが座っていた場所に放り置いた。