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ラグランジュ ―漆黒の傭兵と古代の太陽―   作者: 河東ちか
漆黒の傭兵と古代の太陽
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1.緋の盗賊と冒険者の羅針盤

 彼は待っていた。

 山間を縫うように伸びる、乾いた谷底の狭い道。途中、体を休められる町も村もなく、通り抜けるのに馬ですら丸二日かかる。春とはいえ朝夕は冷え込むこの時期に東に向かって旅するなら、多少遠回りでも、ひとつ山向こうにある大きな街道を使うのが一般的だ。実際、彼がこの高台で馬を止めて眺めていた半日、通り過ぎた旅人はひとりもない。

 予定通りであれば、もう半刻もしないうちに、この乾いた谷底の道を東へ抜けようと、小さな商隊キャラバンが通りかかるはずだった。

 人目につかないように先を急ぐなら、確かにこの道はうってつけだろう。そして彼は、その商隊が人目を避けようとする理由を知っていた。その噂は、雷光のように彼らの「業界」を駆け抜けたのだ。


『西エゼラルの領主が、「ラグランジュ」の詳細が書かれた書物を発見したらしい』


 それは、偉大な冒険者であるティニティが、初めて南大陸への航路を発見した際の航海日誌だという。一緒に発見された羅針盤の特徴が、彼が愛用していたと伝えられるものに酷似しており、両方が本物である可能性はかなり高いとのことだった。

 その航海日誌の中に、彼が『ラグランジュ』を手に入れた時の話が書かれている、というのだ。

 歴史上の多くの偉人が手にしたと噂される『ラグランジュ』。『手にした者に望むものを与え、成功と栄光を約束する古代の秘宝、あるいは秘法』と広く伝えられながら、その詳しい姿形や入手方法はこれまで一切知られてこなかった。

 それがついに、明らかになるかも知れないのだ。

 もうじきここを通るのは、その二つの貴重な品物を持って西エゼラルへ帰還する調査隊と、それを護衛する兵士達で編成された商隊だ。道楽者として有名な西エゼラル領主リルアンザ公が、南大陸に派遣した調査隊だった。

「来ました、エルラット様」

 彼の少し後ろで、望遠鏡を使って乾いた谷底を眺めていた部下のひとりが、はやる気持ちを抑えられない様子で声を上げた。彼は静かに頷いた。

 彼の名はエルラット。世間ではその名前より、“緋の盗賊”の通り名が広く知られている。

 今は計画上、戦衣の上に外套マントを羽織り、上級軍人のように装っているが、いつもは真っ赤な上着に真っ赤な外套を羽織り、同じく赤のスカーフで口元を隠す姿で活動している。現れるときは自ら“緋の盗賊”と名乗り、けして弱いものからは奪わない。時には虐げられるものに利するような行動をとり、義賊と噂されることもたびたびあった。

 だがエルラットはただ、己が追い求め続けるあるものが、貧しいものや力のないものには持ち得ないと知っているから、手を出さないだけだった。そう、彼が盗賊として各地を騒がせるのは、伝説の秘宝・あるいは秘法と噂される『ラグランジュ』を探し求めているからだ。 

 部下の言葉からほどなく、砂埃を巻き上げて、谷底を走る馬車が見えてきた。

 そして、それに従う幌馬車、護衛の騎兵。しかし先に聞いていた商隊の規模から考えると、騎兵の数が妙に多い。そして、近づくにつれて、蹄の音と同じほどの怒号が耳に届くようになった。

 商隊は追われているのだ。武器を持ち馬に乗った、盗賊の一団に。後方を守る騎兵はよく防いでいるが、追いすがる盗賊達は更に数が多い。このままでは追いつかれ、全体を包囲されてしまうだろう。

「よし、行くぞ。みんな、貴族の近衛としての毅然とした態度を忘れないようにな」

「任せてください」

 胸甲冑や金属の肩当てなどで兵士らしく装った部下が、澄ました顔で答える。うちひとりは手にした槍に、西エゼラルの紋章旗をつけている。

 今からしばらく、彼らは西エゼラル領主リルアンザ公の忠実な兵士として振る舞わなければならない。エルラットは、高台から谷底へ続く道へと馬を走らせた。



 商隊の先頭を走る馬車の御者は、道をふさぐように現れた騎馬隊を見て、新たな敵かと警戒した様子だった。エルラットは少し速度をゆるめ、声を張り上げた

「我は西エゼラル領主リルアンザ公より遣わされたエルラット。賊に襲われているのなら助太刀いたす!」

 エルラットの言葉にあわせ、後ろにいた部下達の半数が一気に彼を追い抜き、商隊の後方にすがる盗賊達に向かっていく。

 商隊の護衛と小競り合いをしていた盗賊達は、不意を突かれて狼狽した様子を見せた。追いすがる馬の速度が少しづつ落ち、逆に商隊の衛兵たちは活気づいて、賊を追い散らすように前方の馬車から離れていく。

 計画通りだった。あの盗賊達は、護衛の兵士達を先頭の馬車から引き離すための囮なのだ。しばらく衛兵達を引きつけた後、後から現れた自分の部下達と一緒にそのまま逃げ去る算段だった。衛兵達が戻ってくるまでの間に、残ったエルラットとその部下達はこの計画を速やかに遂行し、この場を離れなければいけない。

 賊達の姿が砂煙の向こうに小さくなると、先頭を走っていた馬車と幌馬車が速度を落としはじめた。後続の衛兵達と距離ができたので、戻るまで待とうという判断をしたのだろう。

 エルラットと残った三人の部下達は、馬車に乗る者たちを警戒させないよう、ゆったりとそれを追いかける。やがて幌馬車と馬車は完全に停止した。

 そのそばに馬を停め、エルラット達が地面に降り立つと、馬車に乗っているものと小窓越しに話していた御者が降りてきて、扉をうやうやしく開いた。

 降りてきたのは、二人の青年だった。

 一人は二十代中程で、執事風の上下揃いの服に、黒く長い髪を首の後ろで束ねている。美しい漆黒の瞳が特徴的で、顔立ちもひどく整っている。しかし突然のこの事態にも驚く様子がなく、淡々とした表情でエルラット達を伺っていた。

 もう一人は、人の良さそうな顔立ちに、麦の穂を思わせる柔らかな金髪がよく似合う、まだ二十歳ほどの若者だった。白く裾の長いローブの上に茶色いベストを羽織り、若いながらもいかにも学者然とした服装だ。あれが調査隊の隊長である、言語学者のエレミヤ氏だろう。

 馬車のそばに無言で立ったまま、エルラット達を見返す黒髪の青年とは違い、金髪の若者は、とても好意的な笑顔を見せた。静止しようとする素振りを見せた黒髪の青年を、片手を軽く挙げて押しとどめ、自らエルラットの方に近寄ってくる。

「危ないところをありがとうございました。この道を抜ければ西エゼラルの領地ということで、僕たちも少し気がゆるんでいたようです」

「いや、公の仰るとおり様子を見に来てよかった。そなたが調査隊の隊長エレミヤ殿であるか?」

「はい、先ほどは風の音に邪魔されてよく聞きとれなかったので、もう一度あなた様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 エレミヤはまったく警戒する様子もなく、握手の為に右手を差し出してきた。エルラットは穏やかに微笑み、エレミヤの握手に応えた。

「私の名はエルラット。この界隈では“緋の盗賊”として通っている」

「なるほど、エルラット様は……え?」

 なにを言われたのか一瞬よく判らなかったらしい。きょとんとしたように、エレミヤが首を傾げる。エルラットの言葉の意味に気付いた黒髪の男と、幌馬車から降りようとしていた調査隊員たちが、はっとした様子で動きを凍らせた。

 その一瞬のうちに、エルラットはつかんだままのエレミヤの手を大きく引き、その体をナイフを持った左腕で後ろから抱え込んだ。エルラットは左利きなのだ。

「申し訳ない、先ほど後ろから襲ってきた賊達も、我らの仲間なのだ」

 エルラットが正体を明かすと同時に、背後に控えていた部下達がそれぞれの剣を抜こうと柄に手をかけた。とっさに駆け寄ろうとしてきた隊員達は、エレミヤの喉元に光るナイフを目にし、立ちすくんだ。

「もちろん我々は、そなたらの誰も傷つけることを望んでいない。そなた達の運んできた羅針盤と航海日誌を渡してもらえれば、“緋の盗賊”の名にかけて、手荒なことはしないと約束しよう」

 顔の近くにナイフを突きつけられたエレミヤは、身を固くしながらもきっと、それらを引き渡さないよう声をあげるだろう。

 はるばる海を越え、奇跡的に手にした貴重な品物だ。盗賊風情においそれと渡すことはできないと考えるのは当然のことだ。思った通り、エレミヤは息を吸い込み、言葉を発するために口を開いた。

「……最後の最後で、大物が釣れたようですね」

 落ち着いたその言葉と、微笑んだ口元の意味を理解する時間を、エルラットは与えられなかった。目の前で抱えていたエレミヤの体が、視界から忽然と消えた――と同時に、エルラットは前のめりに大きく宙を舞っていた。



 エレミヤに腕を捕まれ、エルラットの体が背中から地面に叩きつけられる、そのわずかな間に、たったひとり迅速に動いたのは、黒髪と黒い瞳が美しい執事姿の青年だった。

 青年は、自分の一番近い場所にいたエルラットの部下の目前まであっという間に迫ると、剣を抜こうと柄に手をかけていた部下の右腕を下から蹴り上げた。はずみで鞘から滑り出た剣の柄を青年がつかむのと、腕を蹴り上げた脚がそのまま部下の胸を蹴り倒したのはほぼ同時だった。

 剣を手にしてからの青年の動きは更に速かった。事態に気付いた隣の者が剣を構える隙すら与えず、その顔を柄で殴り倒す。最後の一人はかろうじて剣を構えたものの、踏み込む勢いと一緒に振り下ろされた、青年の剣の重さに堪えられなかった。はじき飛ばされた剣が地面に落ちるまでの間に、青年の膝が部下の腹部にめり込み、彼はそのまま後ろに吹き飛ぶように倒れて動かなくなった。

 その光景を、エレミヤに取り押さえられ地に這った格好のままで、エルラットは呆然と見ているしかなかった。いや、たとえ体の自由がきいていたとしても、あの青年の動きには対処できなかっただろう。

 黒髪の青年に合図され、幌馬車から降りてきた隊員達が、気を失った部下達を次々縛り上げていく。それは、ただの学者集団とは思えない機敏さ、手際の良さだった。

「義賊とも噂される“緋の盗賊”さんに敬意を表する意味でも、お伝えしておこうと思うんですが」

 人の動きを封じるコツを心得ているようだ。エルラットの体を押さえつけたままのエレミヤが、気の毒そうに言った。

「南大陸に行っていた調査隊が、冒険者ティニティの愛用していた羅針盤と航海日誌を発見した、というのは、嘘なんです」

「……?!」

「今回南大陸から運ばれてきたのは、ちょっと詳細は言えないんですが、とても貴重で多くの方が独占を望むようなある植物だったんです。それで、輸送中の危険を避けるために、南大陸に実際に調査隊を派遣していた西エゼラルの領主殿にご協力いただいて、『西エゼラル領主の送り込んだ調査隊が、ラグランジュに関する貴重な文献を発見し持ち帰った』と噂を流し、一芝居打ったんです。本物の調査隊の方は、今もまだ南大陸で調査を続けてらっしゃいます」

「な、なんだと……?」

「ちなみに、輸送の本命である植物は、僕らとは別の港におろされて、とっくにある国の保護下に入っています。僕たちは、ただの目くらましだったんですよ」

 エルラットはただ、唖然とするしかなかった。長年追い求めていたものが、やっと手の届くところに姿を見せたと思ったら、それは蜃気楼でしかなかったのだ。

「ただの身代わりだし楽な仕事かと思ってたら、港からここまでとんでもなかったぞ。おまえらみたいなのがひっきりなしで、途中で遊ぶ暇もねぇ。そんなに欲しいもんなのか? 『ラグランジュ』って」

 黒髪の青年はうんざりした顔つきでぼやきながら、奪い取った剣を地面に突き刺した。それはまるで、エルラットの――“緋の盗賊”の墓碑のように、乾いた土の上で鈍く輝いた。

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