私は2人を祝福します。
「私が里香さんと初めて会ったのは、半年前に、私が元いた部署から今の部署に移った頃です。新しい部署で飲み会を開いた時に隣に座っていたのが里香さんでした。
最初見たとき、私は『なんて綺麗な人だろう』って思いました。人生初めての一目惚れでした。
そしてすぐに他の男達が里香さんに好意を抱いていることも分かりました。皆里香さんに媚を売ろうとしてたのが丸見えでしたから。一方で、里香さんは皆に愛想よくしていましたが、内心では面倒だと思っているんだろうな、といった雰囲気でした。
飲み会が終わって、家に着いて、ふと「この人が自分を好きになってくれるなんて有り得ないだろうな」と思いました。自分はこの通り顔が整ってるわけでも、能力とかが高いわけでもない、所謂普通のサラリーマンですから、綺麗で仕事もバリバリ出来る里香さんの隣なんて相応しくないって。だから、そんな不毛な恋なんてするべきではないだろうと。自分はもう30代ですからね。無駄な恋をズルズル引き摺ったら一生独身になってしまうでしょう。そう思い………いえ思い込もうとしました、けれど、里香さんの横顔が、頭から離れませんでした。
何日か経っても、やはり気持ちの整理がつかず悶々としてました。そんな時、友人から、里香さんが2年くらい前に亡くした旦那さんのことを今でも引き摺っていることを聞きました。あの飲み会の時に周りの男達の媚を受け流していたのは、そういうことも関係あるのか、と気付きました。
このことを知った時点で、私が里香さんを諦める理由は十分にありました。里香さんが自分を好きになるなんて天変地異が起こらない限り無理だろうから、私の好意は里香さんには重荷にしかならないのだから、と、なんとか理性で抑え込みたかった。でも、無理だった。駄目な奴でしょう?自分の感情もコントロール出来ないなんて。走り出してしまった気持ちを抑え込めませんでした。
何とかしなければ、と思っていたそんなある日に会社の廊下を歩いていると、女性の怒鳴り声が聞こえてきたんです。
「気もない癖に男を誑かしてるんじゃないわよ、この女狐!」
声のする方に向かってみると、2人の女性が向かい合っていました。その内の1人の、罵られている方が里香さんでした。
もう1人の方は、声はそこまで大きくありませんでしたが、恐らく誰も来ないだろうと、顔を般若のようにして怒鳴ってました。そこは給湯室だったんですが、営業している人達が帰ってくるのは夕方なので、昼の中途半端な時間帯には、ほとんど人は来ないんですよ。なので、結構言いたい放題でしたね。その女性は半ば顔立ちが整っている分、こいつがいなければ、と思うところもあったんでしょう。
里香さんは暫く黙って罵られていました。
「今でも夫のことを思ってる風して同情買ってるんでしょ?ふん、男達は騙せてもどう見たって丸見えよ」
けれど、亡くした旦那さんのことを言われた時だけ、ビクッと肩を震わせていましたが、それでも黙ったままでした。
罵っていた女性は散々罵詈雑言を浴びせた後、反応が無かったのが癪だったのか、それとも言いたいことは全て言ってしまったのか、鼻を鳴らして去っていきました。残された里香さんはと、里香さんの方を見たら………泣いてました。今まで凛として気丈に振舞っていたのが演技だと知り合って間もない私にも分かるほど、嗚咽を押し殺しながら、ボロボロと涙を流していました。ぐっと噛み締めていた唇には血が滲んでいました。
その時、あぁ、彼女が抱えている苦しみを吐き出してやりたい。自分は彼女の愛している旦那さんの代わりになることは出来ないけれど、せめて彼女が涙を流せる場所を作ってやりたいって、そう思ったんです。
それでやっと、やっと気が付きました、私は彼女を愛してるんだって。もう退くなんて出来ないって。
それから今日まで必死で里香さんにアプローチしてきました。隣じゃなくても、一歩斜め後ろからでも里香さんを支えたいんです。これが私の気持ちです。どうか、桃華さん、私を認めてくださいませんか」
そう言って薊野さんは私に深々と頭を下げた。30代にもなる男の人が、まだ中学生の私に向かって「お願いします」と必死に頼み込んでいる。………もうそれだけでも十分だった。
「頭を上げてください」
と私が促したが、薊野さんは頑なに頭を上げようとはしなかった。まるで、認めてもらえなければずっと頭を下げ続けるつもりかと思うほどだった。この人は本当に真面目な人だなぁ。
「薊野さん、1つお願いがあります」
そう言うと、顔を少しだけ上に向け私を見た。私はもう哀れむような顔でも、認めないといった蔑むような顔でもなく、穏やかな顔で言った。
「母は父を亡くして、まだ傷が癒えていません。大きな傷を抱えたまんまです。だから」
もう母の悲しげな顔は見たくないから。
「母に傷を付けないと約束してください。もしそれを守れなければ、私は貴方を認めません」
私は薊野さんの手を取って、目を合わせた。薊野さんは複雑そうな顔をしていた。
「もし約束を守れると、母を傷つけないと貴方が誓ってくださるなら、私は新たな『お父さん』が出来ることを、嬉しく思います」
薊野さんは、私にしっかり目を合わせた。
「誓います。これから必ず里香さんを守っていきます。絶対に傷付けたりしません」
薊野さんの顔からはしっかりした決意が見れた。私は晴れやかな気持ちで薊野さんと、それからトイレに立ったまま帰ってこない母を思う。
そもそも、母は美人だ。アプローチなんて日常茶飯事だろうし、例え誰かが迷惑と思う程求婚してきたとしても「最近私変な人に好かれてしまったようだから、気をつけてね」と言うことはあるかもしれないが、絶対迷っているなどと言ったりしない。真面目な母がうっかり口を滑らせたり、まして好きでもない男を家に上げるなんて考えられない。つまり、母はもうこの人に好意を寄せていると断言してもいい。後は私が背中を押してやるだけで彼らは一緒になれると。
そうでしょう?お母さん。
扉の向こうで泣き声を押し殺しているであろう母に、私は心の中で問いかけた。




