王女は王子と別れを告げました。
レイモンドが深夜ユミリアの部屋を訪れると、ユミリアは寝室で座って待っていた。
「寝ていなかったのか」
「レイモンド様が来られる予感がしておりましたので。従者達は休ませておりますがレイモンド様が来られるかもしれないことについては伝えております」
窓を開けてレイモンドを招き入れたユミリアは、そのまま隣の、日中いつも過ごしている部屋へ案内した。ただ、席へは案内せず、レイモンドを外へ招いた。
「外でいいのか?」
「今この時間帯ですから大丈夫でしょう。庭でお話します」
月は以前夜にレイモンドと会った時よりも欠けていたものの、ランプがなくてもかろうじて庭へ行くことは出来た。
庭にある席に腰掛け、ユミリアは話を切り出した。
「来られたということは、やはり伝わっているのですね、私が城を出ることを」
「あぁ、どういうことか聞きに来た。城を出るのは本当なのか?」
「本当です。レイモンド様の出国を見届けることができないのは残念ですが」
「理由は」
「内々の話ですのでお答えできません」
「私と会っていたからか」
押し黙ったユミリアだったが、その目は肯定の意を示していた。レイモンドは眉を吊り上げ口調を荒くした。
「それなら私が話を通して」
「隣国の皇太子が内々のことに首を突っ込んではなりません」
「だが!」
「それに、いつかは私も城を出なければなりませんでした。それが今になっただけ、むしろ遅かったくらいです」
「なんで貴女はそんなに冷静にいられる?王女である貴女が城を出される謂れなど」
「レイモンド様」
静かに、けれど凛とした声でユミリアはレイモンドの言葉を遮った。ユミリアの顔に表情はなかった。
「レイモンド様、これは決定事項です。私は1週間後に城を出ます」
静かで、けれど今まで聞いてきたなかで一番決意のこもったその言葉にレイモンドは何も言えなくなった。
何を言ったって、レイモンドが何をしたって、これは覆せない、そんな響きを感じた。
「決まっているのか」
「はい」
「そうか…」
レイモンドはそう言うとユミリアから視線を外し、庭の花を眺めた。
ユミリアは少し笑むとレイモンドにでも、と言った。
「一つだけ訂正すると、これはレイモンド様のせいではありません。ですから、それは誤解なさらないでくださいませ」
「きっとずっと前から決まっていたんだろう。それこそ、私が貴女をロランジュに誘っていた頃から」
「…はい」
「そんなに城の外が好きなのか、それともそこまでロランジュや私が嫌われているのか」
静かにこぼすレイモンドをユミリアは見れなかった。
何を言ったって、私はこの人を傷つける。
ほとんど関わりもないのに、私の状況を嘆き、私を救ってくれようとする優しい人。
自分はそこに惹かれ、しかし、それを受け入れることは出来なかった。
もうレイモンドとは会えないとユミリアは悟っていた。
今日別れてしまってそれから会うことはお互いを苦しめる。
いいことなど何もなかった。
そう思うと、自然と言葉が出てきた。
「レイモンド様のことが好きでした」
それは口から出てしまえば余計苦しむだけだと思っていたけれど、想像とは反対に気持ちが上昇した。
目を見開き驚くレイモンドに微笑みかけ、ユミリアは続けた。
「レイモンド様のことが好きだから、私はレイモンド様とともには過ごせない。」
せめて今日だけは自分に素直で居させてほしい。
この恋をあきらめる代わりに、今日だけは。
「だから、城を出る原因は私であってレイモンド様ではないし、私は全く嫌だとは思ってないです。今日のことも忘れてください。代わりにご自分を責めないで。私が願うのはそれだけです」
そう言うとユミリアは立ち上がり手にずっと持っていたハンカチをレイモンドに渡した。
「私が刺繍したんです、どうか受け取ってくださいませんか」
白の絹地でできたハンカチにはサクラの花が刺繍されていた。
「以前この庭で話した時に、ロランジュには異国から届けられたサクラという花があるという話をしましたでしょう。図鑑で前に見て綺麗だと思ったので刺繍させていただいたのです」
レイモンドとお茶をしながら話をしていた時に、お互いの国の綺麗な花について話題に出たことがあった。
「私の国の城の近くにサクラという花があって、春先に綺麗なピンク色の花を咲かせるんだ」
「まあ、私はこの城から出たことがないので、この城にある以外は図鑑等で見るくらいしかできないのですけれど。きっと綺麗なのでしょうね」
「いつか我が国に見に来ればいい、きっと貴女も気に入る」
「確かにそれもすばらしいですけれど。今レイモンド様との楽しいお話を思い出させる花にもなりましたわね」
「そうだな」
暗にロランジュには行けないことを言い、けれど表面上2人は笑顔でいた。
レイモンドとユミリアの間には様々な壁があり、2人がお互いに願うことほとんどが叶わないけれど、2人で楽しく話をしている今は壁を感じず話していたかったから。
「レイモンド様とお話したことは大変私にとって貴重な時間でした。私に楽しい時間を与えてくださって、本当に感謝しております」
ユミリアはそう言ってレイモンドに微笑みかけた。
その笑顔は満足そうで、とても嬉しそうで、それでいて儚げだった。
レイモンドは立ち上がってハンカチを受け取って、そのままユミリアの顔を覗き込み、苦しそうにつぶやいた。
「私も貴女のことが好きだ、と言ったら、貴女は私について来てくれるか?」
「え?」
突然のことで訳が分かっていないユミリアに、レイモンドは膝をついてユミリアの右手をとった。
「私も貴女のことが好きだ、信じてほしい」
そう言うレイモンドの目は真剣で、嘘偽りないと顔を見ているだけで分かった。
息を飲むユミリアに、レイモンドは畳みかけた。
「お互い思い合っているのに、一緒にいてはだめなのか」
けれど、ユミリアは首を横に振った。
「お互い思い合っているからこそ、私達は一緒になってはいけないです、悲しみしか生まないもの…」
つっ、とユミリアの頬を伝い落ちた涙は、レイモンドの手に落ちた。
静かに涙を流すユミリアに、レイモンドはユミリアから受け取ったハンカチとは別のハンカチでユミリアの涙を拭きとった。
「申し訳ありません、泣くつもりじゃ、なかったのに…」
「別に気にしなくていい、きっと私達は今会ってはいけなかったんだろう、間の壁がない時に会わなければきっとこんなことにはならなかったんだろうから…」
レイモンドはユミリアをそっと抱き寄せた。ユミリアはレイモンドの背中に腕を回して、2人はしばらくの間抱き合っていた。
ユミリアの涙がおさまった頃にレイモンドは抱擁を解いた。
そのまま、ユミリアの手に先ほどのハンカチを握らせた。
「本当は使ったハンカチなんて渡すものではないけれど、でも別れの印として是非受け取ってほしい。使ったもので、本当に申し訳ないが」
「いえ、そんな。ありがとうございます」
そのハンカチにも刺繍がしてあった。ユミリアは知らなったけれど、ロランジュの王家の人間が持つハンカチにはすべて同じタチバナの刺繍がしてあった。
そして、お互いのハンカチを持ったまま2人はユミリアの寝室へと戻った。
「私、でも、レイモンド様とお会いできて、よかったです。たとえ、過ごした時間がほんの少しでも、とても楽しい時間でしたから」
「私にとってもとても素敵な時間だった、ありがとう。それじゃあ、元気で」
「レイモンド様もお元気で、レイモンド様とご一緒はできませんが、ロランジュ国の発展をお祈り申し上げます」
レイモンドはその言葉に少し顔を曇らせたものの、すぐに笑顔を見せた。
いつもはあまり笑顔を見せるほうではないけれど、最後の時くらいは笑顔で別れたかった。
「それでは」
「ああ」
そして、2人は別れた。
ユミリアはレイモンドを笑顔で見送っていたが、レイモンドの姿が見えなくなると、こらえていた涙をとめどなく流した。
顔を伏せて泣いたりはしなかった。
ただ、月を見ながら静かにユミリアは涙を流した。
「さようなら、レイモンド様、私の愛した人…」