姉弟は約束を交わしました。
「近いうちに城を出ようかと思っております」
ユミリアのこの発言にはシュンも予想できなかったのか、大きく目を見開くと、息を飲んだのをユミリアは感じた。
隣のショーエルも似たような感じで、宰相は約束を守ったようだとユミリアは安心する。
ハルバートを退室させ、ユミリアと宰相の2人だけで話していた時、ユミリアは最後にここだけの話、と前置きをしたうえで宰相に話していた。
「それで、私からも一つお願いがありまして、どうか聞いてもらえないでしょうか」
「内容次第で判断させていただきます。恐らく、こちらが了承できる内容だから仰るのだと思いますが」
「はい、実は、もう少ししたら城を去ろうと思っておりますの」
その時の宰相も2人と同じような表情をしていた。
「城を去る、というのは、そのままの意味で受け取っても?」
「はい、城でずっとお世話になってきましたが、城を出て自分で生計を立てる暮らしをしようかと考えています」
「それは、お一人で、ですか?」
「そのことについてなのです」
そう言うと、ユミリアは膝に両手を置き、宰相から目を離すことなく、まっすぐとした表情で言った。
「私のところにいるメイド達とハルバートさんを私がいなくなっても私のところにいたという偏見なく雇ってあげてほしいのです」
ユミリアの表情に思わず気圧されてしまったものの、すぐに立て直して宰相は答えた。
「……それは一向に構いませんが。ということは、従者は連れずお一人で?」
「最初はそう思っていたのですが、一人だけ。うちの庭師は城でやとってはもらえないだろうということで連れて行くことになっております」
「確かに、彼は前王妃が勝手に雇った者ですから、私としてもそれで構いません。しかし、一体どうして急に?」
動揺を隠せずにいる宰相に、ユミリアは冷静に理由を述べた。
「ローゼもレイモンド様の帰国に合わせて婚約の準備に入るのでしょう。いつまでも私が城に居座っては彼女の枷になるだけです。今まで決心がつきませんでしたが、今回のレイモンド様とのことで思い知りましたわ。決心した近いうちにするべきだと思いまして」
「なるほど…しかし、城を出るなんて言ったら、王女を虐げていたという事実を隠すために貴女を殺すとは思わなかったのですか?」
「私を殺すならもっと早いうちに殺されているはずです。それをされなかったので、城から追い出されることしか考えておりませんでした」
「そうでしょうか、前までは殺すつもりはなくても、外へだすよりは、と考えるかもしれません」
「宰相様は私が城から去るのに反対ですか?」
「いえ…正直私個人としては賛成です。しかし、この国の宰相としては反対です。私が予想していた以上に貴女は頭が回る。人を手懐けるのも上手いようです。そんな貴女を城の外に出して、クーデターを起こされないという可能性はゼロではありません。貴女がクーデターを企画しなくても、担ぎ上げられる場合だってあります。今の王政では、クーデターを起こされたらそのクーデターにのる民衆の数は極めて多いでしょう。あまり、民衆に好かれるような政治を出来てはいないでしょうから。その際の被害も考えたり、もしくはクーデターに乗じて他国から攻め入られる可能性もあります。そう考えた時に貴女を出すのは」
「なら!」
反対の理由をずっと述べていた宰相は、ユミリアの今までにない強い口調に話を中断させた。
「なら、シュン殿下を納得させれば、よろしいですか」
「それは…」
「恐らく今城を出てもクーデターが起きる頃にはシュン殿下が国王となっている頃でしょう。シュン殿下を納得させられたら、殺されたり牢屋に入れられることなく城を出てもよろしいですか」
ユミリアの言葉に、宰相は思わず了承の返事を出そうとしてしまった。
確かに、ユミリアが今城を出ても、民衆の間ではユミリアの存在はなかったこと、悪い者という扱いであり、まだ成人していないこと、城の外での生活に慣れてないこと諸々を踏まえると早くて5年はかかる。あくまで最短であり、恐らく10年はかかるだろう。
その頃にはシュン殿下が国王となっている可能性が高い。
確かにシュン殿下が納得して承諾してしまえば、彼が国王の頃には私も宰相の座を辞しているため、反対の意見など所詮老害からのものになる。ユミリアの提案に反対する余地がなかった。
別に好んでユミリアを殺したいわけではなく、できればこの固唾を飲んで見守る、この緊迫した表情の不運な王女にはそれなりの幸せな生活を営んでほしいとは思っているのだ。
シュン殿下が頭が悪かったら余計拒否したかもしれないが、特にそういうわけでもない。
熟考した上で答えは1つしか用意されていなかった。
「分かりました。シュン殿下の承諾を得ること、レイモンド様と接触しないこと、これらを満たせたなら城から出るのを許可します。貴女のところのメイドとハルバート騎士のことも何とかしましょう」
「っ、ありがとうございます!」
パッと笑顔になってユミリアはお礼を言った。雰囲気も、先ほどまでのものから一気に明るくなり、思わず宰相は安堵した。
「それで、この話し合いを持てるのもこれきりでしょうし、いつ頃かをお聞きしてもよろしいでしょうか」
「あ、それは宰相様にお任せしますわ」
ふんわり笑ってそう言うユミリアに、宰相は面食らってしまった。
「良いのですか?」
「はい、出来れば早い方がいいかと思いますが。あ、もし理由を作りたかったら協力いたしますけれど…」
「いえ、このまま皇太子との件を適当なタイミングで陛下にお伝えして、その流れということにしようかと。恐らく殿下のところの3人からの反発は大きいでしょうが、ユミリア殿下からお伝えすれば分かってもらえるかと」
「城を出ることを3人に、ですか?3人には黙っていようかと思っていたのですけれど…」
「言った方がわだかまりなく別れられるかと。もし揉めた場合はハルバート等を通じて呼んでいただければ参りますが、大丈夫だろうと思いますよ」
「そうでしょうか…」
少し悩んだ顔をしたものの、ユミリアはすぐに眉を下げつつ笑った。
「そうですね、去ることが正式に決まったら話をきちんとしようと思いますわ」
「お願いいたします」
お互い落ち着いたところで話は終わった。
経緯を2人に伝えると、ショーエルは驚きが隠せない様子だったけれど、シュンは最初は驚きを見せたものの、すぐに考えてしまった。
「というわけで、シュン殿下からの許可をいただきたいのですが…」
考え込んだ様子のシュンにユミリアはそう声をかけると、シュンは顔を上げて答えた。
「いいよ、許可する」
「「えっ!?」」
「なんでそんな反応なの?」
ユミリアとショーエルの驚いた様子にムッとした顔で不満を言うシュンに、だって、とユミリアは弁解した。
「そんな即答で返ってくると思いませんでしたから」
「別に何も考えず答えたわけじゃない。ただ、これでも弟として姉には生きていてほしいし、平和的解決を望むならいつかはユミリアは城を去る選択をするだろうとはずっと思っていたんだよ。それが今だった場合の損害諸々を考えてタイミング的に問題ないなと思っただけ」
「なるほど」
「反対されたらどう言うつもりだったの?」
にこやかに訊くシュンに、ユミリアは少し考えて答えた。
「『私に革命を起こさせない王になってください』とかかしら」
「ははっ、貴女らしい」
さて、と立ち上がったシュンに続いて、慌ててショーエルが立ち上がった。
「私はこのままショーエル騎士と宰相のところまで行ってくるよ。先ほどまでのことは伝えておくから心配しないで」
「えぇ。すみませんが、よろしくお願いしますわ」
立ち上がり深々と頭を下げたユミリアの肩をポンポン叩いてシュンは笑った。
「別に頭を下げるようなことじゃないよ。伝えたらきっと宰相はすぐにでも動くだろうから、覚悟しておかないとな」
「はい、承知いたしました。あ、最後に一言ずつだけ」
顔を上げてしっかりと頷くユミリアに安心して去ろうとしたシュンを引き止め、ユミリアはそれぞれに言葉をかけた。
「ショーエルさん。この度のことで色々ご迷惑をおかけしてすみません。ハルバートさんとこれからも仲良くしていってください」
「殿下が謝られることではありませんが、ハルバートと仲良くやっていこうと思います」
「はい。シュン殿下」
穏やかにいつもの微笑をたたえてショーエルと話したユミリアはシュンの方を向いた。
「2つ伝えたいことがあります。一つ目が、モモとのことはきちんとしてください。あの子を不幸にしたら許しませんから」
「…気付いてたんだ…」
「そりゃ気付きます。私以外にも、シフォールも気付いてますよ。どうぞ、あの子のことをよろしくお願いしますわ」
「…分かった。2つ目は?」
ユミリアに自分の恋心を気付かれていたことに若干へこみつつ、シュンはしっかり頷いた。そのままシュンに促され、ユミリアは2つ目を声に出そうとしたものの、これから言う言葉を思い出して真剣な表情になった。
「絶対、私がクーデターなんて率いなくても良いような、素晴らしい国にしてくださいね、シュン・サザ・フィオーラ殿下」
その言葉に、その表情に、シュンは腰を折って臣下の礼を取った。
今目の前にいるのはいつも接しているユミリアではなく、ユミリア・フィオーラ王女だった。
「かしこまりました。必ずやこの国をより良いものにしてみせます。ユミリア・フィオーラ様」
その返答に満足げに微笑むとシュンは立ち上がって同じように微笑んだ。
「それでは」
「さようなら」
「失礼いたします」
3人がそれぞれそう言って密会は終了した。