従者は王子の未来を案じています。
「いかがでしたか」
ユミリアの部屋を出てレイモンドが自室に着くと、ユージンがベッドの傍で控えていた。
「断られた」
「そうですか」
静かに、けれど笑顔で言うユージンを、レイモンドは少し眉を落として見つめた。
「そんなに睨まないでください。まだ国に帰るまで時間はありますでしょう?」
「ユミリア王女を連れて行くことに関してどう思っている?」
「別に何も。ただ、少し面倒そうだな、と思うくらいで」
「そうか?お前なら正妻が、とか言い出しそうだと思っていた」
「体裁さえ守れば、愛人や友人を囲う貴族など王でなくともいくらでもおります。そのあたりはあまり心配しておりませんので」
ニコリと微笑まれそう言われると、そうかと答えてしまう。
ただ、次期宰相となるだろうユージンの反対がないならそれに越したことはなかった。
レイモンドはほっと一息吐き、寝床で休む旨をユージンに伝えた。
ユージンはおやすみなさいませ、とレイモンドに声をかけ、寝室に向かうレイモンドを見送る。
レイモンドの姿があるまでは笑顔だったが、レイモンドが寝室に消えると、ユージンはその貼り付けた笑みを落とした。
正直なところ、大変面倒な話ではあった。
何も恋をするなとは言わないが、何故不義の王女が相手なのかと頭は抱えたくなる。
彼女をこちらの陣地へ入れた時のメリットといえばこの国の弱みを一つ、手に入れたくらいか。そもそも国力の時点で我が国の方が有利なのだから弱みなんていくらでもあるうちの一つではあるけれど。
逆に彼女をこちらへ呼ぶデメリットのほうが多いくらいだ。
先ほどは愛人を囲う貴族などいくらでもいると言ったが、それは今までレイモンドが恋をしてこなかったことと、政略結婚に対して嫌な顔はしなかったことがある。
ただ、今夜のことを見る限り正妻とまではいかずとも妾にはしそうだった。
彼女自身の境遇から子供は産みはしないだろうけど、見た目としてもあまり好ましいとは言えない。レイモンドの一つの弱みになってしまう。
そして、今置いている状況からみて、この国が彼女を易々と手放すとは思えなかった。何か交渉条件なり、そもそも認めることなどするのかと思う
。戦争になってもこちらが勝つだろうが、かといってこちらの被害がゼロというわけではない。今のこの国の国王はあまり頭のほうはよろしくなさそうだから、堅実な判断よりも私情や自分の名誉を重視しそうだ。
その辺りを考えると、ユージンはレイモンドの今の行動に本当は反対の立場だった。
レイモンドには自分は賛成の立場にいると見せているものの、それはあくまで友人の意見だった。恋に溺れる愚王なくらいだったら切り捨てて別の男を国王にすることも考えて。
別にレイモンドのことが嫌いなわけではない。むしろ好ましいと思っている。
けれど、友人としての温情もかけて口出ししすぎると国のトップがどんどんバカになるだけだ。この国にきて猶更そんなことは避けたいと思った。
この国での学業や友好関係は良好だが、それは前提。
それ以外の面も王としての器にふさわしいか見極め、かけらを補うくらいはやり、それ以前の問題であれば切り捨てる。自分はそう教えられてきた。
まあ、でもユミリアがレイモンドの誘いに二つ返事で了承するような女でなくてよかったとは思っている。
レイモンドからの情報や噂程度でしか把握は出来ていないが、きちんと己の身の程を見極めて行動しているようだった。できれば、彼女には悪いけれどレイモンドの友人としてはこのまま断り続けてほしい。
会ったこともない哀れな王女を思ってユージンはレイモンドの部屋を後にした。
「ちょっと!どういうことですの!」
レイモンドの訪問から3日後の朝、鈴のような声ながら大声を部屋中に響かせてローゼがユミリアを訪ねてきた。
「ローゼ様?午前中の手習いは」
「今はそんなことどうでもよいのです!」
鼻息荒くローゼはユミリアに詰め寄り、いつもの不機嫌面をさらに般若顔にまで歪ませて叫んだ。
「ちょっと、レイモンド様とはどうなっていますの!?」
「どうなるも何も、お会いしていないので何とも…」
「なんでお会いしていないのよ!」
「ローゼ様がお会いにならないようにと仰っていたではありませんか…」
般若顔になってもそこまでの怖さはなかったものの、ローゼのあまりの剣幕にユミリアがたじたじになっていると、ローゼの後ろで控えていた騎士がそっと苦言を呈した。
「ローゼ様、その剣幕では答えられるものも答えられなくなってしまいますよ」
「ショーエルは黙ってて!」
「そういうわけには参りません。私はローゼ様のお目付け役も任されております。王女として、少しばかりはしたないですよ」
可愛らしい顔をして厳しいことを言うショーエルにユミリアは大変驚いていた。
いつも単身で乗り込んでくるローゼが今回は騎士を連れていたためそれだけでも驚いてはいたのだが、ローゼにここまで言える人はシュンか宰相、王妃くらいだと思っていた。
はしたない、と言われ頬を膨らませてむくれるローゼを全く気にせず、ショーエルはユミリアに頭を垂れた。
「王族同士の会話に割り込んでしまい申し訳ありません」
「いえ、顔を上げていただいて結構ですよ。貴方はローゼの騎士の」
「はい、ショーエル・ラヌンクロと申します。ローゼ様の護衛騎士をさせていただいております。いつもは部屋の外で待機させていただいておりますが、今回はローゼ様についていた方が賢明かと思いまして。許可も得ず勝手に部屋に入ってしまい、申し訳ございません」
頭を上げショーエル・ラヌンクロ、と名乗った騎士はどうやら見た目よりもずいぶんしっかりしているようだった。
ユミリアの隣に控えていたハルバートが珍しく身内以外の前でユミリアに声をかけた。
「ユミリア様、ラヌンクロは私の同期で、この前も一緒にご飯を食べたほど気心知れたやつなんです」
「あら、そうなんですね。ショーエル、貴方の非礼を許しましょう。といっても、特に私はそういうのは気にしませんから、そんな仰々しくしなくても大丈夫ですよ」
「お心遣い感謝します」
ショーエルが礼を再度してからローゼの後ろに戻るころには、ローゼの般若顔もいつもの不機嫌顔に戻っていた。
「落ち着かれましたか」
「もう平気よ、子供扱いしないで」
「ローゼ様がもうされないのであれば致しませんよ」
「しないわよ!」
強く言って、ローゼは再びユミリアの方を向いた。
「それで、話を戻すわ。貴女とレイモンド様が前まで会っていたのは知っているの。何故それが途絶えたのかが知りたいのよ」
「宰相様から釘を刺されまして。もうお会いになってはいけないと言われましたのでそうしているのです」
「宰相がどうしてそれを知って…」
「そこまでは私にも分かりません。ですが、ローゼ様もお知りになっていらっしゃるなら、どこかしらから情報が流れても自然でしょう」
「それは、そうだけど…」
チラリ、と後ろの騎士を見たあたり、ローゼはショーエルから情報を得たようだった。
じゃあ、じゃあ!とローゼはさらにユミリアに詰め寄った。思わずユミリアは一歩後ろに引いてしまったが、構わずローゼは焦った様子で続けた。
「レイモンド様の元に私が行く時に、ついて来て下さらない?レイモンド様は貴女のことを気に入られているようだし、この国にいるより断然いいでしょう?」
「それは出来ません」
ローゼの言葉をずっと否定してしまっていることに申し訳なさが募るものの、きっぱりユミリアは否定した。
「どうして?お父様なら私が説得するわ。あ、別にメイドみたいなことをさせるわけじゃないわ」
「ローゼ・アル・フィオーラ王女殿下。私のことを気遣ってくださっていることには感謝いたします。けれど、それを甘受できる資格は私にはありませんから」
「そんなこと…お姉様だって王女なんだから当然でしょう!?むしろなんでずっと我慢しているのよ!王女なのに冷遇されて!なんでそれを受け入れているのよ…」
涙をにじませて言うローゼに、ユミリアは優しく微笑みかけた。
「当然のことですから。むしろ私を今まで生かしてくれたこの国に感謝の気持ちしかありません」
ユミリアの笑顔を見て、余計にショックを受けたローゼはお姉様、とつぶやいて下を向いてしまった。
その様子を見て、お姉様と未だに呼んでくれていることに感動してしまい、ユミリアはローゼを抱きしめ、頭を撫でた。
「ありがとう、やっぱり優しい子ねローゼは」
ローゼはいきなりの抱擁にびっくりしたが、ユミリアの背に腕を回して応えた。
「それじゃあ、やることもあるでしょうしローゼ様、そろそろ」
「戻りましょう、ローゼ様」
ユミリアは抱擁を解き言うと、ショーエルが退室を促した。
「えぇ、分かったわ。あ、でも本当に理解したわけじゃないから。ちゃんと説得できるように色々考えてまた来る」
むすっとした顔に戻り、いつもの上から目線でローゼはユミリアに宣言した。
ユミリアは苦笑いで、分かりました、とローゼに礼をした。
「それじゃあ、ショーエル。戻りましょう」
ローゼがショーエルを連れてユミリアに背を向けたところで、ドアが開いた。
「ローゼ、ちょっと待て」
「お兄様!」
ドアの向こう側にはシュンが右手を顔の位置まで上げた状態で立っていた。
突然のシュンの来訪に皆驚いた表情をしたが、そんなことは我関せずで、シュンは部屋の中に足を踏み入れた。
「いやあ、急におしかけてすまない。ただちょっと話があってな。悪いが、ローゼはユミリアの従者達についてもらって帰れ。ショーエル・ラヌンクロにも話があってな」
「ショーエルに?まあ、分かったわ。お兄様だから変なことはしないでしょうし」
本当は1人でも帰れるけど、とつぶやきながらローゼはドアの方に向かった。
「3人とも、向かってもらって構わないかしら?ローゼ様のことをしっかりお守りしてね」
「しかし、3人まとめてでなく、1人残っても…」
「いいのよ。分かりました」
ユミリアの言葉にシフォールが何かを返そうとしたのを遮ってモモは応じた。ハルバートもかしこまりました、とローゼの元へ向かう。
そして、4人が出て行き、部屋に残ったのはユミリア、シュン、ショーエルの3人となった。
「シュン様、部屋はここでよいのですか?」
「移りたいところではあるけど、悪目立ちしそうだしやめておく。ショーエルから宰相に伝わっても大変だし」
最後のシュンの一言で一気に場の空気が緊張したものに変わった。
「シュン殿下、一体それはどういう…?」
「別にしらばっくれなくてもいいよ。レイモンド皇太子とユミリアが会っていることを宰相に話したのはショーエル騎士だろう?ユミリアも気付いているだろうし気にしなくて構わないよ」
ユミリアも気付いている、の言葉にショーエルはバッとユミリアの方に視線を移した。ユミリアは苦笑いでショーエルの焦りに答えた。
「別に気付いていたわけじゃないですよ」
「でも驚かなかったでしょ?」
「最有力候補だっただけですよ。ずっと私につきっきりのハルバートさんだけに私の監視をさせてるとも思えなかったですし、ハルバートさんとそこそこ話せる仲で、ローゼ様にも私とレイモンド様が会っている情報を流せるくらい確かな情報源を確保されている人がいたら気にしてしまいますよ」
「ユミリアは勝手に察してくれるから助かるよ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。シュン様には遠く及びませんけれど」
「いやいや、買い被りすぎだよ。俺はそんなに頭が回るわけじゃないから」
「そんなことありませんよ。将来の国王が優秀なシュン様でこの国は安心ですわ」
「ありがとう、ユミリア。さて、茶番の間に話す心づもりは出来た?」
笑顔のままお世辞を言い合った2人は、ずっと黙っていたショーエルの方を向く。ショーエルは下を向いて肩を震わせていた。
「というわけで、隠すのも無駄だし、時間もないからさっさと話してくれる?」