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会長とハンカチと私  作者: 蒼指輝
特別編 王子とハンカチと私
141/151

王女は月に恋をしています。

 その日の晩、ユミリアは寝ようとしたものの珍しく寝付くことができなかった。


 両隣の部屋ではそれぞれモモとシフォール、ハルバートが休んでいるころだろう。ユミリアに仕える者は人数が少ないので、ユミリアの自室の隣の部屋で休むことになっている。万が一何があってもすぐに駆け付けられるようにだった。


 そんな近くで休んでいる自分に仕えてくれている者達のことを思って、ユミリアは愛おしむような表情になった。

 皆私なんていう半端者に仕えてくれ、私のことを慕ってくれている。そんな彼女達に困惑した顔をさせているのは自分のわがままのせいだと分かっていた。


 けれど、どうしてもレイモンドには会えなかった。会えばきっと…


 眠ることもできずもの思いにふけっていると、急に窓ガラスを叩く音がした。

 え、と思ってユミリアが顔を一気に窓の方へ向けると、窓の外のベランダになぜかレイモンドが立っていた。


 一瞬硬直し、これは夢か幻想なのでは、とユミリアは考えたものの、夢でもなんでも、取り敢えず事情を聞く以外道はなかった。


 急いで窓の方へ駆けて行き、窓を開けると、夢でも幻想でもなく、本物のレイモンド皇太子だった。


「夜分にいきなりこのようなところからすまない」

「あ、あの、えっと…」

「とりあえず中に入れてもらえると助かる」

「あ、はい」


 ユミリアはレイモンドを部屋へ招きいれると、どうしようか、と慌てて考える。

 皆を呼んできた方がいいか、取り敢えず何か飲み物とかの用意?いやそれよりもここは寝室だから別に場所を移さなくては……


 軽いパニックを起こしキョロキョロしているユミリアに、レイモンドは窓を閉め声をかけた。


「その、本当はこんなこと常識外れだとは思うのだが、どうしても話がしたかった。すぐに済むからこの部屋で構わない」

「え、でもここ寝室で…」

「私は立ったままで構わない。貴女は座ったままで構わないから」

「そん」


 そんなことできません!とユミリアが抗議しようと言いかけると、レイモンドの手で口を塞がれた。


「すまないが、他人に聞かれたくない。静かにしておいてくれると助かる」


 いつもあまり表情が動かないレイモンドが珍しく懇願するような顔をしたため、言葉をやめて一つ頷いた。

 ユミリアの頷きを見て、レイモンドは安堵の息を吐いてユミリアの口元から手を離した。


「分かりました、寝室で構いませんが、私が立っているのでも構いませんか。流石に隣国の皇太子様を立たせたまま座るのは…」


 これがローゼやシュンの部屋ならベッドの他に豪華な椅子や机があるのだろうが、残念ながらユミリアの寝室は広くなく、座れるところといったら、今ユミリアの真後ろにあるベッドくらいだった。


「しかし、私が押しかけてきたのだから。それに女性を立たせて自分は座るのは忍びない」

「いやいや、立場的にそんなことさせられません!狭くて申し訳ありませんが、どこでも構いませんのでお座りに…!」


 いくらレイモンドが押しかけで来たとしても、自分が座ってレイモンドを立たせている図にユミリアは反抗せずにいられなかった。

 ユミリアから引く気はないことを感じ取り、レイモンドは頬を少し指でかいた後、ベッドを指差してためらいながら提案した。


「なら、2人ともベッドに腰掛けながらなら構わないか…?」

「それなら、まだ…」


 ユミリアも、お互い譲らなければこの話で朝が来てしまうことを察し、レイモンドの提案に乗ることにした。


 2人でベッドに腰掛け、体は窓の方を向いた状態で首だけ横にいるお互いの姿を確認する姿勢に落ち着いたところで、レイモンドは1つ咳払いをしたあと、徐に話を切り出した。


「病気、とは聞いていたのに押しかけてすまない。体調は元に戻っただろうか?」

「あ、えと、二週間前よりは大分マシになりました。すみません、ご心配をおかけしまして…」


 レイモンドの急な訪問で脳の片隅に追いやられていたが、自分が病人だったことを今の質問でユミリアはやっと思い出した。

 元々元気だった、なんて今更言えず、ユミリアはしどろもどろになりながら嘘をつく。

 自分をきちんと見てくれているレイモンドに嘘をつくのは心が苦しいけれど、元々レイモンドに会った時点で避けられないことだったのだから、と苦しみを胸の奥に沈めた。


「それなら良かった」


 ユミリアの苦しみなど知らず、レイモンドは優しく言った。

 その言葉がユミリアをさらに苦しめているけれど、それさえも押し殺していつもの微笑みのまま最初の疑問をレイモンドに聞いた。


「それで、レイモンド様は本日どのようなご用件こちらに?」

「あぁ。話したいことがある。どうしても今言わないと間に合わないと思って。その、急なことだし、驚かないで聞いてほしいんだが」


 躊躇いながら慎重に話すいつもと違う様子のレイモンドに疑問を抱きつつ、はい、と相槌を打ちながらユミリアは話を促した。


「その、貴女はこの国を出たいとは思わないか?」

「この国を、ですか?」


 驚かないで、と言われたものの、突拍子もない質問に思わずユミリアは驚いてしまった。驚きはしたものの、冷静に戻り、思っているままを述べた。


「そうですね。出たいと思ったことはありませんわ。ずっとこの国で生きてきましたから、この国を出るなんていう発想になったこともありませんでした」

「ですが、貴女は王女という身分でありながら冷遇されているだろう。腹を立てたりしないのか」

「冷遇というほどのことではありません。王女という身分で見るからそうなのであって、衣食住が最低限保証され、働かなくてもよい状況というのはこの城の中でも、この国の中でも恵まれているほうですわ」


 窓の方を向いて、この国について思いながらユミリアは理由を述べた。と同時に、やはりレイモンドが自分を王女と分かっていたのだと確認できた。

 外は月が綺麗に浮かんでいた。満月ではなかったけれど、明かりを灯す必要がないくらいに明るい月は、2人の顔を照らしていた。


「そうか。それじゃあ、逆に王女として私の国で迎え入れたいと言われたら貴女は来てくれるか?」

「え……?」


 反射的にユミリアがレイモンドの方へ体ごと向けると、レイモンドが真剣にこちらを見つめていて思わず体が硬直してしまう。

 レイモンドはユミリアの両手を取り、胸の高さで自分の手でユミリアの手を包むようにして言った。


「貴女に私の国に来てほしい。後悔はさせないと約束する」


 手を強く握りしめ、レイモンドはユミリアに懇願した。

 それはユミリアにとっては一切予期していなかったことだった。


「貴女と話していると心が落ち着く。会う度に貴女と居たいと思う気持ちが強くなるんだ。ずっと貴女といたい。貴女が望むならどのような立場でも与える。迷惑だとは思う。ただ、共にいてほしい」


 真剣なその目はユミリアにはまぶしくて、なのに目を逸らすことが出来そうになかった。

 けれど、懸命にこらえて、顔を下に向けた。


「その…」

「返事は後日で構わない、また私が来た時でも…」

「いえ、今返事させてください」


 顔を上げ、真剣な表情でユミリアはレイモンドを見た。


「申し訳ありませんが、共にロランジュへ参ることはできません」

「…なぜ」

「レイモンド様が嘘をつかれていないことは分かっております。きっとあちらの国へ行ったなら良い待遇を受けられるでしょう。けれど、それに甘えられません。甘えるだけの何かを私は持っていません。この国にいても思っておりますが、与えられてばかりで何も返せない状況というのは私にとって苦しいばかりなのです」

「返せないというのは違う。ただ傍にいてくれるだけでそれは私にとっては返してもらっていることになる」

「レイモンド様はお優しいから。そう仰って下さることは身に余る光栄ですわ。それを素直に受け取れるような心根の優しさを持っていれば受け入れたでしょう。けれど、私にはとても受け取れない」


 月に照らされたユミリアの表情はまさに王女というべきそのもので。凜とまっすぐに見つめる瞳はどこまでも透き通っていて、何よりも輝いていた。

 魅入られていて力のなくなったレイモンドの手をユミリアは解き、ベッドの上にそっと置いた。


「提案は大変うれしく思います。ですが私はロランジュへは参りません。お許しください」


 そしてユミリアは徐に立ち上がり、レイモンドにお辞儀をした。

 ユミリアが頭を下げたままでいると、レイモンドは立ち上がり手でユミリアの肩を持って頭を上げさせた。


「頭を上げて。貴女が頭を下げるようなことじゃない」

「けど…」


 その代わり、と言ってレイモンドは少し口角を上げた。


「またしばらくしてからもう一度返事を聞きたい。今は揺らがないだろうけど、もしかしたら時間が経ったら決心が変わるかもしれないから。私はいつでも良い返事を待っている」


 そう言ってユミリアの頭を撫でた後、夜分に失礼したと言って窓から帰っていった。

 頭を撫でられた直後から硬直したままだったけれど、レイモンドが去って行ってしばらく、急に頭を抱えてしゃがみこんだ。


「今日だけで寿命5年は縮んだと思う…」


 急な訪問もそうだったが、久しぶりに会うレイモンドは元々顔立ちが整っている分ユミリアの心臓へ多大な負担をかけていた。

 それに、お茶の時より距離感も近く2人きり。それで、あんなことを言われたら誰でも恋に落ちる。


 そう、ユミリアは自分がレイモンドに恋をしていることに気付いていた。

 自分のレイモンドへの気持ちが憧れというもので片付けられるような、引き返せるようなそのような気持ちでないことは理解していた。


 先ほどレイモンドに述べた理由は正しくもあり、けれど本当でもなかった。

 ユミリアはレイモンドに恋しているこの状態でロランジュに行ったら、いつかレイモンドに恋心を悟られるのは分かっていた。悟られなくても、みじめにもいつかレイモンドに縋る未来が見える。


 けれど、レイモンドの横にいるのはローゼか、ローゼでなくてもどこかのきちんとした王女様だろう。間違っても自分ではない。

 その時にこの醜い心を隠したまま素直に祝福なんてできるほど自分が出来た人間だとはユミリアは思っていなかった。


 それを見られてレイモンドに失望されるのが何より耐えられなかった。レイモンドの前ではよい女性として見られたかった。


 だからこそ、レイモンドの提案を断った。これ以上醜態を晒す前に、レイモンドへの思いが溢れる前にレイモンドから離れたかった。


 だから、宰相からの命令は本当はありがたかった。この気持ちはレイモンドだけでなくモモやシフォール、ハルバートにも隠しておきたかったため、よい理由付けができたから。


 立ち上がり、月を見ながらユミリアは深いため息を吐いた。自分は月を見上げる存在にしかなれない。太陽にも、星にも、空にもなれない、ただ月を見上げて魅了されることしかできない自分をむなしく思った。


 そのユミリアを、1人のメイドは扉越しに見守っていた。


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