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うごきだす  作者: 木下秋
3/3

 店に入るともう二十二時を過ぎているというのに五人もお客さんが入っていた。

 グツグツと煮えたスープの匂いが鼻と空腹を刺激してもうたまらない。

 注文をして、カウンターに二人ならんで座ると早速本題に入った。さっきおれがした「書きたいって思ったことはないの?」という質問の答えについてだ。

 憂木くんは一口水を飲んで、体ごとこちらに向き直って、おれの目をしっかりと見据えて言った。

 「僕、実は小説家になるのが夢なんだ」

 それは予想していた答えの一つではあったけど、当たってしまった驚きと、自分と同じ志を持った人を見つけた喜びで言葉が詰まってしまった。

 「おお」とか「そうか」みたいな、ぼんやりした相槌を打って、おれも水を一口飲んで口を湿らす。

 「でも、これを他の人に言ったのは初めてなんだ」

 うつむいて言う。右手に持ったコップを傾けて、表面についた水滴の流れを見ているようだった。そして「本気で叶えたいと思ってるから」と言った。

 「うん––––わかるよ」

 そっと、言った。


 おれも「小説家になりたい」という夢は、仲のいい友人何人かにしか言っていない。あまり気安く言えることではない、と思っている。

 小説家には資格はいらない。言ってしまえば紙とペンがあればなれるだろう。もっと言えば今の時代、携帯電話かパソコンがあればなれる。物語が書ければいいのだ。

 おもしろい物語を考えて、文章にして、本にしてもらう。そんな職業。小学生にも分かるだろう。

 でもそんな簡単そうに見える小説家、実際なりたいと思っている人と、それだけで食べていける人が、それぞれどれくらいいるんだろうか。

 それが分からないほど、おれも子どもじゃない。だからこの年になって「小説家になるのが夢」というのは、“真剣さ”を分かってもらえるような人にしか話せないのだ。

 言うのは簡単だが、難しいこと。憂木くんもそれを分かっているようだった。


 おれはもう一度「うん」とうなずいた後、言った。

 「わかるよ。おれもなりたいから。––––小説家に」

 憂木くんは少し驚いたような表情で「本当に?」と聞き返してきた。

 「うん。ちょうど一年くらい前からね。だから聞いたんだ。書きたいって思ったことはないの?って。」

 「そうなんだ……こんなことあるんだね」

 ははは、と二人とも笑ったけど、憂木くんはまだ信じられないみたいだった。

 「いままで“書いた”事、あるの?」

 もちろん、“小説を一本書き上げたことはあるのか”という意味だ。

 「ううん。ない」

 少し恥ずかしそうに、笑いでごまかしながら言った。正直、ほっとした。実はおれも

短い、短編とも言えないようなものを一本しか書いたことがなかった。

 「いや、おれも一個だけ」

 おれも苦笑でごまかしながら言う。書きたいと思ったことは何度もあったし、書き始めたこともあったけど、書き終えることが出来なかったのだ。

 「……じゃあさ––––!」

 「トッピングどうぞ」

 ラーメン屋の店主の声だ。

 「あ……ヤサイオオメ、ニンニクアブラ普通で」

 「僕、ヤサイマシニンニクアブラ」

 おれと憂木くんがそれぞれ言うと、目の前にドン、とラーメンが出された。うまそう。

 麺が伸びてしまうから、先にラーメンを食べることにした。

  レンゲでスープをすくって一口、口の中に注ぐ。豚骨醤油の濃い味を、舌に染み込ませるようにじっくり味わう。丼の端に小さく盛られたニンニクを一欠片、先ほどスープを飲んだ時にできた窪みに落としてかき混ぜ、もう一口スープを飲む。ピリリとニンニクが効いて……うまい!

 「憂木くん、この後大丈夫?」

 「? 大丈夫だよ」

 「さっきの話の続きさ、後で場所変えてゆっくり話さない?」

 憂木くんはうん、と笑顔でうなずいて、目の前のモノに取り掛かった。おれももう我慢できない。


 この後、ラーメンを食べ終えたおれ達はファミレスに場所を替えて、どうして書きたいと思ったのか、どんなものを書いてみたいのか、なんて話をした。そして、小説を書く練習を兼ねて『テーマ短編』を一ヶ月に一回、書いてみようと決めた。テーマを一つ決めて、そのテーマについて短編を一本書くというものだ。なにより一本書き終えることが大事で、見せる相手と締め切りがあればきっとおれも書くことができるだろう、と思ったのだ。

 話は日にちが変わっても続いた。一時を過ぎた頃にいい加減帰ろう、と外に出た。


 昼間はあんなに暑かったのに、外の空気は冷たくて、秋の風を思い出させた。

 何かが自分の中で、自分の人生を変えるような何かが、うごめくようにゆっくりではあるけれど、うごきだした気がした。

読んでいただき、ありがとうございました。

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