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紐の倒錯的な空想シリーズ

滅亡前夜の蠱惑的な日常

作者: 深山瀬怜

 明日世界が滅びるという噂が流れている。マヤ文明の暦が終わってしまうとか、そういう話。でもきっとその予言は当たらない。そう思っているから、私と恭一くんはいつもと同じように部室に居座っていた。

 無防備に曝け出された恭一くんの細い首筋。それはまるで儚いものを象徴しているかのように頼りなく、容易く折れてしまいそうに見える。私は楽譜の陰から、恭一くんを見つめていた。彼はテナーのパートを口ずさみながら、指揮者に出された宿題をこなしている。時刻は既に夜の十一時を回っている。彼はまだ家に帰らないのだろうか。家まで徒歩五分だから、終電の心配はないけれど。

「えーっとここがトニック? いや、転調してるからドミナントになるの? めんどくさ……」

 恭一くんが愚痴をこぼす。大学から合唱を始めた彼には、少し難しい課題だったのかもしれない。私も自分の楽譜に印をつけながら、彼の首筋を眺める。今日の彼は丸首のシャツを着ていて、細い喉が露わになっている。それを見ていると、彼の首を絞めてしまいたい衝動にかられるのだ。

 綺麗な薔薇を手折るみたいに、恭一くんを手折ってしまいたい。

 最近は毎日そんなことを考えてしまう。恭一くんに会わなければそんな妄想にとりつかれることもないかと思ったけれど、離れていても無駄だった。それに部活が同じである以上、完全に離れるのは無理だった。

 だから私は、こうして必死に理性を保とうとしている。

 でも、もう限界かもしれない。彼の首に手をかけ、指に力を入れていく。恭一くんは私の手を引き剥がそうとするだろう。でも私はそれを許さず、更に力を込める。彼の顔が歪み、苦しげな吐息が漏れる。その倒錯的な光景の美しさに私は魅了されてしまった。もしも許されるのならば、今すぐその喉に手をかけたい。――しかし彼はきっと嫌がるだろう。

 それでいい。人に首を絞められるのを許容するなんて、こちらが心配になってしまう。一歩間違えば死に至るかもしれないのだ。だから恭一くんには抵抗して欲しい。私の行為を決して許さないで欲しい。

 でも、彼に嫌われたくないというのも事実で。だから彼の首を絞めることは出来ない。この衝動は私の中だけに仕舞っておかなければならないのだ。


 私は恭一くんをどう思っているのだろう。

 綺麗な子だとは思う。痩せてはいるけれどしなやかな体。何かを見つめる真剣な眼差しと、その目を縁取る長い睫毛。柔らかく高い声。気さくに話し掛けてくるところ。ごくたまに見せる不器用な優しさ。それらを全て纏めて、綺麗だと思う。

 でも、恋愛感情ではないと思う。恋愛感情がどんなものかはよくわかっていないけれど、とにかく違う。私は恭一くんに触れたいけれど、決して一緒にいたいわけではない。彼と同じ時間を過ごしていても、私が恋愛に求めているような胸の高なりも喜びも得られはしない。それは直感でわかっている。

 強いて言うなら、お気に入りの玩具に対する感情みたいだ。

 冷静に考えれば、酷い話だ。恭一くんだって一人の人間なのだ。それを玩具みたいに思うなんて、どうかしている。でもこれ以上にしっくりと来る感情がなかった。子どもがお気に入りの玩具をわざと乱暴に扱うように、小さな生き物を嬲るように、私は恭一くんに触れたいのだ。


 不意に、恭一くんが溜息を吐いた。

「先輩、明日世界が滅びるって話知ってます?」

 彼はこういうふうに突然話を始めることがある。社交的だが決して人付き合いが上手くないのは、こういうところにも起因しているのかもしれない。

「ああ、マヤ文明の暦の話だよね? まあどうせ、ノストラダムスのときみたいに何も起こらないとは思うけど」

「もし起こったとしたら、この宿題も無駄になっちゃいますね」

 起こらなかったら困るから、やるけど。彼はそう呟いて楽譜に向かう。私は頬杖を突きながら、彼に向かって言った。

「今日は何時に帰るの?」

「明日の講義はないから……これ全部やっちゃおうかなって」

 そんなことをしていたら、きっと日付は変わってしまうだろう。彼が今やっているのは組曲の二曲目で、あと三曲分同じ作業をしなければいけないのだ。もし本当に世界が終わるなら、この作業も全て無駄になるわけだけど。

 本当に人類が滅亡するなら、そのときは恭一くんと一緒にいたいかもしれない。

 特に好きな人なんかいないし、友達も決して多くはない。今のところ恭一くんが私の一番のお気に入りで、もし最期が訪れるなら横においておきたい存在だ。

「今日は、泊まっていけば?」

 それは欲望にまみれた私の言葉。人類が滅びるのは何時だろう。もしその瞬間に恭一くんと立ち会うことが出来たなら、世界の終わりが来る前に恭一くんの首を絞めたい。そんなことを考える。

 そのあとに全てが終わってしまうなら、恭一くんに嫌われたって構わないから。

「ま、ぼっちで人類滅亡に立ち会うよりはそっちのがいいかもしれませんね」

 恭一くんは何も知らずに、そう返す。私は左胸に棘のようなものが刺さったように感じた。


 もし本当に世界が終わってしまうなら、恭一くんはとっても不幸だ。

 ごめんね、恭一くん。

 私は、最期にあなたを苦しめてしまうかもしれない。


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