Ⅵ、悪臭というのは、ハエだけでなく、ある種の人が寄ってくることもある
異世界に飛ばされてから数日、いつものようにギルドの裏庭で目を覚ました。鳥の囀りが、爽やかな朝を演出してくれる。
「んー はっ いい朝だ。今日も頑張りますかね」
朝一番の大きな伸びをし、案の定裏庭に掘り出し物とばかりに置いてあった大きめの籠を背負い、ギルドに向かった。
「おはようございまーす」
「おうっ 今日も早いな……」
まだ寝起き眼のマスターは、眼を擦りながら挨拶を返す。毎日呑んだくれてこんなに早起きしているのだから、マスターの仕事も大変だ。他の冒険者たちは、まだ布団の中だろうというのに。
「行ってきますねー」
「うわっ くっさ! 何お前くせぇよ!」
「え!?」
出発報告のために近付いた瞬間、突如、マスターの口から発せられた言葉。それがうまく飲み込めず、唖然としてしまう。
「えっと…… どういう」
「まんまだよ…… お前、ちゃんと水浴びしてんのか? 服も着たきりスズメじゃねぇか……」
「そういえば、風呂にも入ってないし服もそのまま……」
「おいおい……」
ヤレヤレ、とアクションをとるマスター。
自分の体臭を改めて確認してみると、毎日せっせと薬草集めとともに溜め込んだ汗と汚れによって、相当キツイ香りを醸し出していた。
「ヤバい…… 全然気が回ってなかった……」
「しょうがねぇな。広場から少し南東に行ったとこに水浴び場があるから、そこで服と身体洗ってこい」
「はーい……」
トボトボとギルドを後にし、南東に向けて歩き出した。
◯ ◯
少し南東に歩いていると、街の様相が変わってきた。
自分と同じくらいの年齢の男女が増え、北の方とは違う賑わいを見せている。
「へぇー 若い人ばっか。なんだか渋谷とか原宿みたいな若者の街、みたいな感じなのかなぁ」
中にはお揃いの制服のようなものを着た者たちもいる。学生に人気そうな食べ歩きの出来そうな店や、女子がつい寄ってしまいたくなるような小物の店など、客層の変化が伺えた。
「お、水浴び場ってあそこかな?」
キョロキョロ周りを伺いながら歩いていると、脇道の奥に噴水のようなものが見えた。見たところ早朝ということもあるのだろう、まだ先客はいないようだ。
「おっし! 独り占めー!」
弾き出されたように噴水へ向け駆け出す。
途中で服をそこら中に脱ぎ捨て、噴水に飛び込んだ。
「うおーーーー! きもちー! けど冷てーー!」
久々の水浴びに、ついはしゃいでしまう。頭から潜り、全身を洗うように擦った。噴水は意外に底が深く、ちょうど風呂に入っているような感覚になる。
「ふぃー 温度にも慣れてきたぞ。ついでに服も洗っちゃおう」
一旦出て、服をかき集めそのまま噴水に放り込んでいく。
「一気に洗っちまうぞ! うりゃー」
バシャバシャと衣類を洗い出す。
溜まりに溜まった砂埃によって、噴水は瞬く間にドス黒く変色していった。
「うわっ! これじゃあもう入れねぇじゃん!あーあ、まぁ今日はこれくらいで……」
ふと背後から気配を感じ、さっと振り返ると同時に怒声を投げかける。
「誰じゃ貴様は!」
「き、君こそ誰ですか!」
黒地に金の刺繍がところどころに入った、軍服といっても差し支えない服を着た男が、金髪をなびかせていた。向こうも自分と同じようにこちらに指先を向けている。
この状況、どう考えればいいんだろうか。
普通に考えればこいつも水浴びをしに来た、と考えるのが普通であろう。しかしどうだ。こいつは服を脱ぐ素振りもせず、僕の背後に突っ立っていた。そういった場合、世間一般ではそっちの気があるものが、うら若き僕の身体を、舐め回すように見ていた、という結果に辿り着くのではないか。
ここは異世界だ。そういった外れた性癖をもった人物が、のうのうとそこらを歩いていてもなんら不思議ではない。国が違えば性癖が違ってくる、というのと原理は変わらないのだから。
そうとなれば、問い詰めて成敗してやらなくては。
「僕のことなんてどうだっていいんだよ! 人の身体見てニヤニヤしてる貴様は何者だって聞いてんだよ!」
「はっ!? 自分はそんなことしていません! 第一、ここは我らの学生寮の中庭であって、水浴び場じゃありませんよ!」
「何言い訳してんだよ! そうやって大義名分をあたかも当然かのように吐き散らすやつは、大体犯罪者予備軍だって相場は決まってんだよ!」
「めちゃくちゃだ! というか、誰か来ない内に服着たほうがいいですよ!」
「ケッ!」
服を着ようと噴水からジャージを取り出す。が、びちゃびちゃになったそれを着れるはずもない。
「……着れる服がない」
「え……」
「すいませんが……服を貸していただけないでしょうか」
「ええ、まぁしょうがないですよね……着るもの忘れちゃったんじゃ。ちょっと待っててください」
「はひぃぃぃ」
変態野郎に恩を売るのは気が進まないが、背に腹は変えられない。ここは乗っておいて男の水浴びを覗いた、という弱みを振りかざして利用させてもらおう。
しばらく裸のままウロウロしていると、変態野郎が服を持って走ってきた。
「はいこれ。もう使い古してしまったものだけど、一時的に着るには問題ないでしょう」
「ほぅ」
変態野郎が持ってきたのは、襟が擦れて着るにはみっともない白いYシャツに、ところどころホツレたカーゴパンツだ。新しいパンツもついている。
「なかなか上等なものを献上するではないか変態野郎」
「恩人にそういう呼び方はないでしょう…… それはいらなくなったYシャツと学校の戦闘演習で使っていたズボンです」
「うんうん。実はあのジャージしか持ってなくて。かなりありがたいなこれ」
「え? あの服しか持ってないって…… どういうことです?」
訝しげな表情をする変態野郎。確かにこの世界に住んでいるのなら、いくら貧乏でも服一式しかないのはおかしいだろう。
「しょうがない。貴様には特別に教えてやる」
「えっと、追い剥ぎに合われたとか?」
「違う! 実は僕、異世界人なんだ」
「異世界人っ!」
驚きを身体で表現するように大げさなリアクションを取ってみせた。
そりゃ驚くだろうさ。主人公補正によって最強になっていくであろう人物をお目にかかれたのだから。
「貴様は運がいいな。まだ生まれて間もない勇者になるであろう男が目の前にいるのだから」
「えっと、勇者にはなれないでしょうが、興味はありますね」
「なんだ、妬みか」
「いいえ。その様子だとまだこちらの世界についてよく知らないご様子」
「知らない」
「では自分が教えて差し上げます。その代わり異世界のこと、いろいろ教えてもらってもよろしいですか?」
「もちろん!」
思いがけない収穫に、急いで服を着る。
思えばこの世界のことを知らずに今までのうのうと生きてきて、よく無事だったと思う。今日こいつから情報を吐かせ、改めて自分がどのような状況にいるのか考えるきっかけになるだろう。そうと決まれば、早速聞かせてもらおうではないか。
「よし、準備完了! さて、この世界について教えてもらおうか!」
「その前に、朝ごはんは食べました?」
「は? そんな贅沢、できるわけ無いだろ!」
「そうですよね…… まぁ今日くらいは出会いの記念に、パァーっとおいしいご飯食べながら、情報交換しましょうよ」
「そうだな。手持ちが無いわけでもないし。どこか知ってる?」
「もちろん」
「じゃあ早速向かおう!」
得体の知らない人物に促され、街へと繰り出す森男。
転移数日にして、やっとこの世界について知ることが出来るとあって、ワクワクと身体を踊らせながら歩いて行った。